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日米野球史①不滅の大投手:球神沢村栄治(2021年8月)

東京オリンピックでの野球は日米で優勝を争い、日本が金メダルを獲得して終わった。

日米野球の歴史は古い。1934年11月に読売新聞社主催の日米野球が行われていた。

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11月20日静岡県草薙球場での試合では、沢村栄治が登板。7回裏にルー・ゲーリックにソロ本塁打を浴びたのみで、ベーブルースを打ち取り、メジャーリーグ選抜チームを8回5安打1失点9奪三振と好投した。(スコアは0対1。ゲーリッグの一発が決勝打)。

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この年の日米野球では日本側は全く手も足も出なかったため、沢村の快投は有名になり、草薙球場に銅像を今に残す。(トップ画像。向き合うのはベーブルース)

この日米野球の10年後、日米戦争で沢村は台湾沖で米軍機の機銃掃射に戦死。不滅の大投手として伝説化する。

筆者も小学生の時は少しばかりソフトボールをやっていた。近所に、戦前の「名古屋金鯱軍」(現在の中日ドラゴンズの前身)に所属していた老人が住んでいて筆者を含む子供たちにソフトボールの指導をしていた。老人は、プロ時代に沢村を直接知っていて、その剛速球ぶりや人となりを語ったのが忘れられない。
「沢村とキャッチボールしただけで手が腫れ上がった。」「ものすごいスピードで160kmは出ていた。」ボロボロの古いグローブを大切に持っていて、このグルーブを現役時代に使い、沢村とキャッチボールをしたとも語った伝説のグローブだった。

子供の時に、球神の存在を強烈に植え付けられた。一方で遠征での宿舎では、下ネタに花を咲かせもしていたようだ。(そんなこと小学生に言っていいのかとも思うが)等身大の「球神」の一面もある。

普通に考えればツッコミたくなるが、球神伝説は伝説のまま、大切にしたい。不滅の大投手は、死して伝説を残し記憶され続ける。日米で金メダルを争った夏に「球神」の伝を思い出されて欲しい。

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