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岡田麿里作家性濃縮還元120%の怪作ー『アリスとテレスのまぼろし工場』(ネタバレあり)

岡田麿里監督作品『アリスとテレスのまぼろし工場』を観てきた。

作家性100%以上濃縮還元、という濃密度でとても驚いたのだけど、観てよかったと思う怪作だった。好みか好みでないかを通り過ぎていくような、ギャーよくこんな強いものがこんな規模で公開されましたね!? と叫びたくなるような。そのほとばしる作品のエネルギーに当てられるような作品だった。


以下とっってもネタバレ含みます!!!!!

1.岡田麿里の作家性ー娘の自立と失恋


物語の構造でいうと、実はこの作品は『空の青さを知る人よ』と同じ構造になっている。

少女が若き日の「母の恋した男性」に出会い、はじめての失恋を経験し、母と別れることを決意し、そして大人になる。

語り手の視点や状況は本当に違うのだが、構造としてはまったく同じである。

そしてついでに言うと、フロイト的な息子の父殺しは「息子が母に恋して、父を殺して、大人になる」構造を指す(オイディプスはもちろんのこと日本の物語だと『海辺のカフカ』を読めばこの構造はよくわかる)。というわけで岡田麿里脚本のやろうとしていることって本当にフロイトの娘バージョン……つまりは「母からの娘の自立」なのだと思う。

この作家の主題は基本的に「母からの娘の自立」であり、そのギミックとして、母と父の恋の物語、それに伴う娘の失恋、が存在しているんだろうな、と思う。

ついでに言うと『心が叫びたがっているんだ。』も『さよならの朝に約束の花をかざろう』も三角関係のなかで主人公が失恋する、それによって主人公は自立を果たす、という構造になっている。なのでああやっぱりこの作家は「失恋」が「自立」のひとつの表象なのだなあ、と感じるのだった。

※『空の青さを知る人よ』は母ではなく姉だろう、というツッコミが来るかもしれませんが、私はあの話は、あくまで象徴的なレベルでの、母と娘の物語だと思っているのです。あしからず。そういう意味では、今作も『空の青さを知る人よ』でも「車を運転できること」が大人の象徴になっているのが面白かった。


2.宮崎駿との対比ー息子と娘の成長

そして『アリスとテレスのまぼろし工場』を見ててもうひとつ思ったのは、「すごいタイミングの公開だ……これ『君たちはどう生きるか』B面じゃん!!」ということであった。

というのも、2作とも「自分が生まれてくる前の親と出会う」物語なのだ。

『君たちはどう生きるか』について私は「これ僕のヒロインはお母さんです、って話じゃん……」と書いたのだが。『アリスとテレスのまぼろし工場』もまた、自分の生まれる前の父親に出会う話なのだった。

しかしもっとも違うところといえば、『君たちはどう生きるか』において生物的な父親(つまり同性の親)は存在感がほぼないに等しいのに対し、『アリスとテレスのまぼろし工場』は母娘の同性同士の感情がむしろクライマックスになるところである。

そもそも『アリスとテレスのまぼろし工場』は親目線の物語だ。父は娘に戸惑いながらも娘を生かそうとし、母は娘を愛しすぎないように注意しながらも娘と自分の関係を切断しようとする。父も母も、娘に対し、自分なりの戸惑いを抱えつつ、子離れを試みる。

それに対し『君たちはどう生きるか』は、自分の生物的な父は蚊帳の外にいる。問題となるのは、塔の中にいる父ーーつまり仕事上での父との切断である。このあたりは宮崎駿の「生物的な母への愛着」と「仕事上の父への思慕と断念」という主題が含まれてるのかな、と思っている。

翻して、とても雑な言い方をしてしまうと、「男の子の成長物語」を描いた宮崎駿に対し、「女の子の成長物語」を描く岡田麿里がいてくれてよかったーー!!!! という話でもある。女の子側の話はあまりに語られなさすぎた。

そういう意味で、こういう物語がこの規模のアニメ映画になっていること自体に、すごいなあ、時代が進んだなあ、と私は思うのだった。それにしてもすごいフロイトめいてる2023年現代日本。なぜ。

3.設定の不思議と描きたいもの

とはいえ『アリスとテレスのまぼろし工場』にツッコミどころがないかといわれたら、ある。普通にありまくる。

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