幸か不幸かなんて全部気の持ちよう

私はなぜか、漠然と不幸だった。

客観的に見て、確かに私には嫌な出来事が人より多く起こっていると思う。顔とか運動神経とか劣っている部分もたくさんあるし

でも、私を無碍に扱わない両親のもとで何不自由なく育ち、私に優しくしてくれる人もたくさんいたし、五体満足で大きな事故も病気もなくここまで生きてきた。


それなのに私はずっと不幸でたまらなくて、ずっと死にたくてたまらなくて、毎年毎年さらに死にたくなってる。


多分私は、しあわせに対して完璧主義なのだ。


辛いことがあったらそれを消化し切るまで辛いと思わなくてはいけないし、人に嫌なことをされたら何度も何度も反芻し脳裏に焼きつけ、いつかは同じだけ不幸にさせなければいけないと決意する。

そのくせ嬉しいことがあった時は、そこから必死でアラを探しては ほら、結局お前はダメなんだよ、何も大したことないしこんなの全然幸せじゃない。と調子に乗らぬよう釘を刺してしまう。

不幸になりたいわけじゃない。むしろ、幸せになりたくて仕方がない。

なのに私の性質は不幸を追い求めるみたい。不思議なことに


私の人生における大切な教えがある。

大学生のころどうにもこうにもいつでも不幸で、忙しい時は暇な時間に恋焦がれ、暇な時は忙しさに恋焦がれるせいで私はいつも不幸なんだな〜 とつぶやいた

その時友達とも言えない知り合いの男の子に返された言葉が忘れられない。


「幸せってもしかして、気の持ちよう?」


そんなもんなのかもなぁ。





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