うつ

 私はうつ病ではない。幼い頃からある程度厳しく育てられた記憶はある。平成10年代より前に生まれ落ち、幼稚園の頃から塾に通い、運動部では根性論を叩き込まれ、うつとは無縁の世界で生きてきた。後、中学時代にいわゆる「メンヘラ」と呼ばれる子と出会った。
 今よりその言葉がまだサブカルチックだった頃、感情の起伏が激しい人なんだなと思っていた。
リストカットに別に偏見はなかったし、アトピーを持っている私からしてみれば「わざわざ肌を傷つけて勿体無い」くらいに思っていた。
 その子曰く、自分の腕から血が流れる様子を見ると生きている実感がすると泣きながら話していた。高校生の頃友達の家で「死にたい」と叫んで3階の窓から飛び降りようとした子がいた。今でも猛省しているが最悪にも私は「死ぬとしても人の家で死ぬな」と叱責した。
 何もわかっていなかった私は正直、「うつ」というものが甘えだと思っていた節がある。今でもそう思ってる人はいるかもしれないが、それは一旦置いておいて、無の経験は時に理解を拒絶する。なまじ自分の人生においてその経験で生きてこれたせいで、おかげで、経験してない事が全くもって理解できないのだ。
 否、それは悪い事ではなく当たり前のことである。
だから私達は何時も拒絶する。経験をしたおかげで経験できなかったものというのは皮肉なもので、年月が重なれば重なるほどその経験は綿密に、濃厚に、そして自信へと繋がっていく。自信と過去の経験は鎖である。
 2021年夏頃流行病に罹った。フリーターだった私は仕事ができず、且つその日暮らしだったため綿で首を絞められてる思いだった。バンドもできない、仕事もできず金もない、自宅待機が終わっても虚無感と焦燥感は抜けず新宿を歩いた。沢山の人が夜を闊歩する中新宿から音が消えた。足が地につかない感覚、今大通りのトラックに飛び込んでも無傷でいられるような感覚。
自分自身を俯瞰している様な感覚。今までにない感覚に酷く怯えた。
 きっと私は幸せ者なのだろう。幸せを享受している事実を飲み込んでしまえば、自分の人生に言い訳ができなくなる。私は臆病者で卑怯者なのである。考えなくていい事は考えたくない、嫉妬に狂っておかしくなりそうな時も考えたくない、ただ天井を見つめて「また今日が来たな」と思う程度で良いとすら思ってしまう。
 うつは心の病気ではなく脳の病気とはいうが、果たして正体はなんなのだろうか、あなたは頑張りすぎているのかもしれない。そもそも遺伝的な、先天的な話かもしれない。今ある守りたいものを守るために自分を傷つけながらやるしかないのかもしれない。飲みながらTwitterを眺めていたら「うつ」についてのツイートを見かけた次第の投稿でございます。
 何にせよ、お身体と愛にはお気をつけて。

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