ライブハウスという場所

 初めてライブハウスに行ったのは15歳の頃、友達のお兄ちゃんのバンドのライブを見に群馬県のキャパ100ないくらいの小箱に遊びに行った。その後自身でバンドを組み一杯ライブハウスに行きながら17くらいにライブハウスで働き始めるわけなのだが、高校生当時勿論(というか話してなかっただけかもしれないが)周りに所謂バンド好きは殆どいなかった。強いて言えば9mm、エルレ、back number好きが少々いた程度だろう。僕は頭が悪かったのでそこで話ができるわけもなく、ライブハウスに入り浸ってた。不思議なことにライブハウスに行けば自分の好きなバンドなんて当たり前に知ってるかのように色んな人間に出会えるのだ。それが嬉しくて沢山話をしたし、高校生ながら自分の曲や思想に自信を持ってライブをしていた。居場所はまさにここなんだって思っていた。
 勿論音楽の趣味が合わない人も沢山いるわけで、それでも地方の閉鎖的な空間は、仲間意識を強めて切磋琢磨できる環境だった。上京した今でも地方のジャンルレスの強みは都内では出せないものだと思っている。つまり同じ志や音楽観以外でウマがあった人たちがどんどん集まっていって居場所になっていく、いわば箱は人間だと思う。当時もそうだが全員友達という感覚があった。
 話ができる=友達とは思わないが、何となく言葉にすら起こさない気持ちの共有感があるのだ。其々の意識が意識の集合体であるバンドやアーティストを訪ね、その日のそのフロアはまた集合体となる。その集合体がまたその日のイベントを作り上げて、ライブハウスそのものへと変化する。だからライブハウスは人間。それが一ヶ月一年と続いて今度はその周りや街が人間となる。
 意味わからん考え方かもしれないが結構マジで思っている。全く顔も名前も知らない人が俺らのライブで手を上げて泣いて笑っている。そんな素晴らしい事があるか。俺もそれ見て泣いてる。正直歌えなくなるからやめてほしいまである。
 ライブハウスにきたことない人は是非遊びにおいで。本当に楽しいから、この文化を耐えさせないためにもシーンを守るためにもあなたも人間の集合体の一部になろう。橋渡しだってやるよ!逆に舐めてるやつはぶん殴る!愛してるぜ!

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