お先真っ暗な日本を生きるための服 ― ヨウジヤマモト
山本耀司のパリコレ初参加は38歳。俺、今年38歳。ああ、人生まだまだこれからだって言っていいんだな、と思えた。Kurt CobainやJimi Hendrixが27歳で死んだから、その歳を過ぎたあたりから自分の人生なんて大したことなかったんだと半分諦めていた。俗に言う "27 Club"である。川久保玲のパリコレ初参加は39歳。Just wow. I assumed that they've achieved that in much younger ages. 宮崎駿が未来少年コナンの監督を務めたのは37歳。うーん、なんか希望が湧いてきた。そんな彼らももう後期高齢者だそうだ。彼らから学ばなくては。
山本耀司の服が欲しくて、どうせ買うならその背景にあるイデオロギーやコンセプトを理解したいと思って、彼の書籍「服を作る」を読んだ。
Kindle版が無くて、ひさしぶりに紙の本。手触りが良い。電子書籍はなんか単に情報を摂取してるって感じだけど、紙の本は指の感覚を伝って情報を物質的に受け取っている感じがする。
彼の世界での評価は、これまでの西洋の服の概念を壊した事にある。
予定調和であるという指摘にとても納得した。西洋文化はとても構造的なのが特徴とされていて、それは服にも言えることだったのかと。西洋は日本のように自然に恵まれていないから、規則正しくカットされた並木道、シンメトリーな庭園などに見られるように、自然を制覇しようとする方向性を持っている。日本の文化は、どちらかというと調和を重んじ、俳句・短歌の季語、借景、あるいは茶室のように、人が環境と対立しない。この違いは音楽にも見いだされる。
侘び寂びとは「間」の事を言うのだと思う。ヨウジヤマモトの服には侘び寂びがあり、それは日本にしか無い文化だから、西洋の人には新規性があると評価されるのだろう。
まぁ現代のなんでもクリックで情報が手に入るネット時代では、その文化もどんどん混ざっているように感じる。今更、目新しくもない。アメリカ音楽にだって侘び寂びを取り入れたようなものは存在するし。日本人だけができる芸当とは思わない方が良い。彼はBefore Internetの時代にやったから偉大なのだ。
服の設計に関する背景はなんとなく分かった。じゃあ、それをなぜ着る必要があるんだろう。
確かに自分が興味を抱いたのも、ネットや著名人が着用しているのを見て興味が湧いたからだ。その独特なシルエットはノームコアの流行とは相容れない。日本に鬱屈と漂う閉塞感に辟易し、どうにか抜け出したい(いっそのこと海外に移住したい)という想いの矛先がファッションに向かう人がいてもおかしくはない。でもなんでヨウジヤマモトに?
山本自身はスーツを着ない。世の中の「普通」な人たちとは異質であるという認識が自他共にあって、それを服でも表現しているようだ。不安定な社会で、なんとなく不安が漂いつつもそれを明確に打破する手立ても無い。エライオトナが解決してくれそうもない。そんな社会のレールに乗っかったって、幸せになれる気がしない。だったらいっそのこと、道を外して生きてみたっていいじゃないか。薄々みんなが感じている不安や生き方の迷いを、彼の服が代弁してくれる。生き方を共感しあえる仲間がほしい。そういう事なのかもしれない。じゃあ、彼の服を着てどうするの?彼はこう言う:
なにかを成し遂げるには、表面的なスキルだけじゃ足りないのだ。ましてや、彼の服を着たからと言って秘められしパワーが発揮される訳でもない。でも、彼のメッセージが背中を押してくれる事はあるかもしれない。気分って大事だよね。
結論:山本耀司の服は、お先真っ暗な日本で、オトナの「普通」を拒否して、自分の才覚で生きていくための戦闘服である。
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