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子供の頃に経験したイジメ。「大人には頼れない」と悟った私。

子供の頃にいじめられて記憶は、小学校の頃に遡ります。

小学校の低学年の一時期。
そして、高学年の一時期。

そしてその経験は「大人は助けてくれない」という、
ちょっとした絶望感とも繋がっています。

今から思うと、
イジメが辛かったのか、
「誰も助けてくれない」という想いがより辛かったのか、
どちらだったのでしょうか。

私の受けたイジメは、ニュースで聞く様な陰湿なイジメとは、
全くレベルが違います。
読者の方の中には「そんなのイジメとは呼ばない」という方もいらっしゃるかも知れません。

小学校低学年

小学校2年生の頃。

クラスの男子生徒が、放課中とか清掃の時間とかに私を追っかけて
「チューしよ」と迫って来ました。
それも1人でなく、
複数の男の子に追っかけられて「キス」を迫られる。

大人になってから思うと、もしかしてそれを始めた男の子は
私の事が好きだったのかも知れないのですが。
そんな、からかうような形でしかアプローチ出来なかったのかも知れません。

とにかく、いつも、担任の教師が教室にいない時間になると
男の子数人に追いかけられるのが、恐怖で、嫌でした。

あの頃、今の頭脳があったら

「その子供が私にキスしたい」という彼の意思を確認し
感染症などについてのインフォームドコンセントを取った後
ディープなフレンチキスでもしていましたね。

(私がキスしたかった訳ではないけど。
多分相手は逃げている私を楽しんでいたと思うので。)

その一回で、多分イジメは終わったと思います。笑

でも、その追っかけよりも傷ついたのは…

その学級では、生徒達は毎日、先生と日記のやり取りをしていました。
多分目的は、「担任が子供の事を知る」というより
「毎日生徒が文章を書く練習」という事だったのだろうと思います。

私はその日記に

毎日男の子達が「チューしよ」と言って追いかけてきます。
先生、注意して下さい。

と書いて渡したのです。

その後、先生から日記帳が返されました。

(何か先生が解決策を考えてくれるのではないか)と
大きな期待して、日記帳を開けてみると、
そこには、先生から一行の返事が。

「チューしよ」って何ですか。

今はこんな言葉使わないですが(笑)
その時は
(この先生はバカか?)と思って、かなりがっかりしました。

子供ながらに
(これは大人であるこの先生が、「キス」なんて事を子供と話し合うのに抵抗があるから、わざと分からないふりをしているのか、
それとも本当に分かっていないのか)と疑問に思いました。

「チューしよ」というのは「キスしよう」という意味だ、という事を
この先生に説明したほうがいいのか、とも考えましたが
なんかこの返事の一行で、既に先生への信頼を失っており
(説明しても、放っておきなさい)とか言われるのがオチだなあ、と思って
諦めました。

小学校高学年

小学校時代は、勉強とか運動とか結構出来たので
リーダー的な存在でした。
ただクラスの中にはいくつかグループがあり、
他にもリーダー的な女の子がいました。
(A子と呼びます。)

その頃、「雨の日以外は、放課には校舎の外に出て遊ぶ」という決まりがありました。
遊びには流行り廃りがあって、
みんなが縄跳びしている時期もあれば、
ボールを使ったスポーツをしている時もありました。

それはドッジボールが流行っていた時。
A子のグループの子みんなが、ドッジボールのゲーム中に
私に向かってボールを投げる、という事が続きました。

どんなに近くに、ボールを当てやすい子供がいても
ボールを手にした相手チームの子は
常に私を狙ってボールを投げてくるのです。

放課になるたびに、ドッジボールをして
みんなに狙われて。
毎日放課になるのが嫌でした。

これも、あの頃、今の頭脳があれば

わざとボールに当たって、外野に出る。
相手チームの人にボールを当てなければ、ずっと外野にいられるので
他の人にボールを当てられる事もない。
つまり、この方法ではいじめようがない。

このようにしたと思います。笑

でも、その時は真面目に「戦っていた」のでしょうね。

結局…

これらの経験は、幼い私の中に
「結局、誰も助けてはくれない」
という、ある意味での「諦め感」を植え付けたように思います。

今から考えると、それは、

  • 打たれ強くなる

  • 自分で問題解決をする

という意味で、人生の大切なレッスンだったのかも知れません。

ただ、子供の自分にとっては、あの時に
「自分で解決出来なかったら、相談に乗るから、いつでも来い」
と言ってくれる大人が周りにいたら

または、そう子供の私が信じられる大人が、周りにいたら

もう少し生きやすかっただろうなあ、と思います。

大人になった今でも
思い出すと、ちょっと胸が寂しくなる思い出です。






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