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新たな足音  ー3Kが好きー


さて、仕事をしていると、当然だが、苦しく辛い事も多いが、これぞ!!と、やり甲斐を感じる事も少なくない。だから、やめられないのだが。
生活面での連載企画は社会部から異動になって来たH生活面担当部長の意向で、当時は絶え間なく若い記者で回して、続いていた。
その中でも、山田かまちの連載に続いて、あ、どちらが先だっただろうか、文化部長賞をいずれもいただいたのだが、思い出の企画がある。
当時、リクルート社が発行していた、現場仕事を中心とした『ガテン』という求人誌がきっかけで、この中に“3K”という言葉が流行したことがあった。
3Kとは、きつい、危険、汚いの頭文字Kを取って、付けられたものだった。しかし、汚いどころか、「手に職をつけたい!」という若者も、当時から少なくなく、その方面の仕事が大変注目されている時期があった。
現場でモノを築き上げ、生み出していく仕事には魅力あるものが多く、とても惹きつけられた。
そんな仕事をあれこれ探し出し、10回に渡って連載した。

いくつも、「ほお、こんな仕事があるんだ」と感心させられたが、中でも印象深かったのは、初回に取り上げた橋梁特殊工という、橋専門のとび職だった。橋を吊るすクレーンをかけるため、実に高いところで作業しなければならない。身軽にそんな現場を、歩き回り、橋を作り上げていく。

その取材に出かけたのが、今は、お台場の顔となっているベイブリッジの工事現場だった。平成5年に開通予定だった新しい橋は、まだ工事の真っただ中で、むき出しの資材がかかっているという様相だった。その頃、どうやってお台場まででかけていたのだろうか。そんな事も思い出せない。そもそも場所としても、今のようなお出かけスポットでもなかったように記憶する。

取材の日は、快晴。写真部のカメラマンと2人、現場に出かけて行くと、
「はい、これ!」と、いきなりヘルメットを2人渡された。てっきり地上で、話を聞くものだと思っていたら、工事用に取り付けられたエレベーターに乗せられた。ぐんぐん上がって行くではないか。
「どうなっているのだろう」と、2人で顔を見合わせていると、あっという間に到着。そこは、何と、海上120メートルの高さに出来る橋の頂上というか、吊るし上げる部分で、いったい高さはどれだけあったのだろう。東京湾が一望出来るくらいの高度と言ったら大袈裟かもしれないが、地上のビルや海上の船が、実に小さく見えた。高所恐怖症で無かったから良かったものの、「あれ、それ確認されたかな!?」忘れてしまったが、あのてっぺんでの景色は凄まじかった。外に出てからしばらく、足がすくんでいたと思う。一歩の幅がやたら小さくなった。
空は、真っ青で雲1つ無く、実に気持ち良かった。。
が、その高さだから何より風が強く、吹き飛ばされるのではないかと、何回も思うほどだった。だから、ヘルメットと一緒に、命綱も装着されていたのだろう。
後にも先にもない、貴重な体験だった。話を聞く私よりもカメラマンが本当に大変だったと思う。あの環境下で、この一瞬を切り取る難しさは、並大抵ではなかった。私は必ずどこかにつかまってもいられるが、写真を撮るためには、両手をフル活用だ。バランスを崩さないか、ひやひやしたものだった。

若者の仕事に生きがいを感じているイキイキした声も聞く事が出来、改めて、仕事についても色々考えさせられる良い機会となった。皆、自分の仕事に誇りを持ち、取り組んでいる姿が眩しく。

こんな特殊な場所に行けて、なかなか普通ではない体験が出来るのも、新聞記者の醍醐味だった。本当にありがたい。

連載は、自分の仕事を噛み締め直す良いきっかけにもなった。
書き終えてしばらくしてから、編集局前の掲示版で賞をいただいた事を知った。
実に光栄な事だと。
自分自身も、このシリーズを通じて、3Kの彼らと同じく好きな仕事に打ち込めている事を再認識出来た。

<写真キャプション>
連載記事のスクラップが1冊行方不明で、この連載の記事の原紙もそこに貼られていると思われます。コピーが綺麗でなくて、申し訳ありません。写真がカラーでないのも、本当に惜しいです。

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