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9、新たな足音  ⭐︎ウシ、モーモー

9、新たな足音  

⭐︎ウシ、モーモー

念願の長女を秋に出産し、2度目の産休・育児休暇を取得することになった。しかも、育児休暇制度を会社に作って貰って、その1号も2号も自分になってしまって、申し訳ないと思う気持ちと、後輩たちも後を追って来てくれたら、全面的にバックアップしようと言う強い決意でいた。

そんな思いで取った子供たちとのひと時であった。が、出産直後から、大変な事が起きてしまった。出産までは順調だったのだが、産後、歩行が困難になってしまったのだ。一歩足を前に踏み出そうとすると、足のつけ根に激痛が走って、とても歩けたものではなかった。直立不動で、身体のバランスを崩さずに立っていると大丈夫なのだが、足を動かそうとするといけない。
出産後5日間入院して、実家に戻ると更に悪化してしまった。やむなく病院に戻り、診断を仰ぐと、主産後、骨が戻らない内に、重いものを持った事が原因で起きる症状だそうだ。
「だから、出産後は安静にしなければだめなんだ」と、先生にエラく叱られてしまった。
「重いもの?え、そんな荷物なんて抱えていないのに、何故だろう?」
最初は全く思い当たらなかった。あれこれ思いを巡らせてみると、
「あ!!」
思い当たる事が。

そう。主産後すぐから、毎日のように母に連れられて、見舞いに来ていた長男。この時2歳半を過ぎてはいたものの、見事な赤ちゃん返りをしてしまっていた。
「ママ、だっこだっこ!!」「ママ、ママ、ママ~!!」
私が出産で5日間入院している間、実家に世話になっていて、寝泊まりしていた。なので、やはりこの歳では母親の不在は辛かろうと不憫になってしまった。なので、何度も何度も抱き上げてしまい、かまってやっていた。
ロンドン・リバプール出張の時は、帰宅しても、私をチラ見しただけで、飛んで来る事もなかったのに。やはり1年の成長ぶりとは凄いものだと、妙に感心してしまった。

が、結果的には、それがいけなかったのだ。重い荷物は持たなかったが、重い子供を抱えてしまい、身体の戻りが遅くなり、しかも激痛が走るほどになってしまった。コルセットできつく巻いたり、腹帯にしていた布で腰をきつく巻き上げたが、後の祭りで痛みは消えない。
「これは時間がかかりますね。残念ながら」と、医師の診断を受けた。
帰宅後、2足歩行が痛過ぎて、とうとう4足歩行に切り替えた。実家の中をハイハイして移動するハメになってしまった。立ち上がる時も、バランスを崩すと激痛が走るため、気を付けながら、しっかり壁や支えに頼りながら、ゆっくりゆっくりと慎重に動いた。
ハイハイ生活なんて、自分が赤ん坊の頃以来だった。もちろん、そんな当時の記憶なんて微塵もなく、生まれて初めての体験だった。

そんな私の姿を見て、長男は
「ウシ、モ~モ~」と、呼んでいた。
「何言ってるの!!あなたのせいじゃない!!」などと、怒鳴る訳にもいかず、
「うんうん、そうだね、ウシモ~モ~だね」と、苦笑いを返したのだった。

普通なら、出産後1ケ月、実家に世話になって、元気に自宅に戻るところを、回復に時間がかかり、実に3ケ月もかかってしまい、母の仕事をまたまた増やしてしまう私はダメな娘であった。
不幸中の幸いは、長女が実に手がかからない赤ん坊で、母乳を飲ませるとその次の母乳の時間まで、3時間ほどピクリともせずにクークー寝ている事が多かった。ヒーヒー泣いていた長男とはエラい違いだった。あまりに起きないので、母と不安になり、良く寝ている長女の顔を覗き込んだり、時には鼻の下に手を差し伸べて、
「本当に息をしているかしら?」と、確認した。
スースーと小さな小さな息を感じると、安心したものだった。
個人差はあるだろうが、「男の子に比べて女の子は手がかからないというのは、やはり本当なんだ」などと、母と二人で妙に納得していた。
主産後3ケ月で、やっと長男と2人自宅に戻り、手のかからない長女を育てていった。

娘はすくすく育つを絵に描いたように成長した。そしてまた、保育園に預ける問題が浮上して来てしまった。当時は、今もかもしれないが、子供を保育園に預けるのに、一番入園しやすいタイミングは、4月の新年度からのゼロ歳児と言われていた。1歳になると、多くの企業や役所が当時は育休を1年間にか認めていなかったので、一斉に保育園探しが始まり、入れるのは至難の業だった。自分も長男の時、いやと言うほど痛い思いをしていた。

元気に育ち、全く手がかからなかった娘は、生後半年で保育園の門をくぐる事になった。
もっともっと近くで見守りたかったが、スムーズに仕事を続けて行くためにはやむを得なかった。

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子供に関する記事は本当に良く書いた。ママさん記者の視点を遺憾なく発揮したものだった。

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