総理官邸が陥っている「認知バイアス」が国民の命を危険にさらす

今年はじめての投稿です。本年もどうぞよろしくお願いします。

最近「あっ」と2回続けて声をあげることがあったので、今回はそれについて書きます。総理や総理官邸が深刻な「確証バイアス」という認知のゆがみを起こしているのではないか、というあまり楽しくないお話です。

1度目は14日、いつもの木曜朝の習慣でコンビニで『週刊文春』といっしょに買った『週刊新潮』(1月21日号)を開き、冒頭近くの「『医療崩壊していない!』ーー『神の手』外科医が訴える『コロナの真実』」という特集タイトルを見たときでした。ちょうどその直前、非常勤で行っている某大病院で、コロナの直接的、間接的な影響で満床が続き、緊急手術が必要な患者さんも受け入れられない、という話を聴いたばかりだったからです。「ああ、医療崩壊はもうジワジワ起きてるな」と思いました。

なぜ「医療崩壊していない!」のか。ページをくくると、東京慈恵会医科大学の大木隆生教授が、「東京のコロナ用ICU(集中治療室)ベッドは250床とされているが、ハードウェアとしてのICUとHCU(準集中治療室)のキャパシティは2045床ある。ベッド数自体は10万6千ある」といったことを語っていました。

現役の外科医である大木氏はすぐに「ICU2045全部コロナに使え」とまでは言いませんが、「250分の129(注・1月10日現在のベッド使用率)で経済を止める前に、2045、10万という分母をどうしたら有効活用できるか考えよう、というのが私の主張です」と述べます。「感覚的に医療崩壊と断定し、経済を止めるのは拙速と思います」とも言ってます。そのために「民間病院は経済的インセンティブで誘導し、公的病院は政治力で動かす必要があります」という策も提案し、結論部分で再びこう強調します。

「ICU使用率と真のベッド数。そこにテコ入れして受け皿をどれだけ増やすかという努力。それらをトータルで語らず、新規感染者だけを報じて一喜一憂する無意味さと弊害を考えてほしい。」

この大木提言に対して言いたいことはたくさんありますが、ひとつひとつ指摘するのはやめて、私の意見を短くまとめましょう。私は、とにかくまず「ゼロコロナ」を目指して感染の封じ込めをすることが、経済を回すためにも不可欠と考えます。いくら「日本人の死亡率は低い、若者は死なない」と言っても、変異株も国内ですでに見つかっている今、「ウィズコロナ」はあくまで結果であり、それを目標として掲げるべきではないと思うのです。大木氏の「コロナ用ICUは十倍増しにできるから安心して」といった感染を容認するかのような主張には、どうしても同意はできません。

ただもちろん、大木氏は卓越した外科医ですし、ひとつの(やや極端な)意見としてそう述べることや『週刊新潮』がそれを取り上げることを批判するつもりはありません。

しかし、そのあとさらに驚きべき第二の「あっ」が起きたのです。

16日の夜、マスメディアはいっせいに菅総理大臣がその日の午後、総理大臣公邸で大木隆生氏とおよそ1時間面会したことを報じました。NHKのサイトによると、大木氏は面会後、報道陣に「医療崩壊ということばが盛んに言われているが、97%、96%のベッドがコロナに使われず、一般の医療に使われており、余力が日本にはある。民間病院が、商売として『コロナをやりたい』と思うぐらいのインセンティブをつければ、日本の医療体制は瞬く間に強化される」と菅総理に語ったことを明らかにしました。それに対する総理の反応は、「久しぶりに明るい話を聞いた」だったそうです。

『週刊新潮』が発売されて、わずか2日後の面会。話の内容からして、その記事を受けての面会であることは確かです。あまりの速さに本当に驚きました。

毎日のように医療現場かや医師会からの「もう崩壊寸前」といった悲痛な声が報道される中、「医療崩壊していない!」という大木提言は、菅総理にとってよほどうれしかったのではないでしょうか。もしかするとすがるようにして、大木氏に面会を申し込んだのかもしれません。だからこそ「医療現場には実はまだまだ余力がある」という大木氏の話に、思わず「久しぶりに明るい話」と反応してしまったのでしょう。

これは、端的に言って認知バイアスのひとつである「確証バイアス」だと考えられます。

「認知バイアス」とは最近、心理学の分野で注目されている、病的な現象ではない正常の心理現象のひとつとしての認知のゆがみ、かたよりを指します。たとえば「くさいものにはふた」ということわざがありますが、私たちはときには「見たくないものは見なかったことにする」という認知のゆがみを起こすことで、あまりのストレスから自分がつぶれてしまうことをうまく回避します。この認知バイアスと重なる現象として、精神分析学者のフロイトの報告した症例をもとに娘のアンナ・フロイトがまとめた「心理的防衛機制」という無意識の働きもあります。とにかく私たちは自分で意図しなくても、心の病にかかっていなくても、あの手この手で不安を軽くしたり葛藤から目をそらしたりして自分を守ろうとしているわけです。

「確証バイアス」とはその認知バイアスのひとつで、「自分にとって都合のいい情報にばかり注意が向き、反証する情報を無視しようとする傾向のこと」をいいます。ひとつの思い込みにとらわれ、たくさんの情報の中からそれを正当化してくれるものだけを選び取って読み、「ほら、この論文も私の意見が正しいことの裏付けになっている」とますます自分の最初の思い込みを強めていく、とてもやっかいな心の働きです。

ここ二十年ほどの日本のさまざまな歴史修正主義的主張、原発事故後も続く”安全神話”、そして今回のコロナ対応、すべてにこの「確証バイアス」は強く関係していると思います。しかし、言うまでもありませんが、いくら「あの新聞もこの学者もこう言ってるじゃないか」と裏付けになる情報や学説をあげたとしても、それは最初から恣意的にチョイスされたものなのですから、そこには客観性も科学的視点もありません。

これが、好きなアイドルの魅力をアピールするためにその人をほめている記事ばかり引用する、といった程度の「確証バイアス」ならまだかわいいのですが、ことは国民の命がかかわったコロナ対策です。そこで総理が「こうであってくれたらうれしいのに」と思っていたような意見を述べた人を目ざとく見つけ、すぐに面会し、「明るい話を聞いた」などと本音をもらすのはたいへんに問題です。せめて「ひとつの意見として拝聴した」くらいにとどめておくべきでした。

さらに、大木氏のような極論と言ってもよい意見を語る人を招くなら、なおさら大木氏とは正反対のことを言う現場の医師なども招き、双方から話を聞く必要もあったでしょう。「耳が痛いから聞きたくない」といまの政府の対策に厳しい意見を述べる人に会わないのは、心情としては理解できますが、一国のリーダーとしての態度としては到底、合格とは言えません。総理の側近や官邸のスタッフには、総理が陥っていると考えられる「確証バイアス」をやんわりとでも指摘し、別の意見にも触れるように促して、バイアスを修正しようする人はいないのでしょうか。もしかしたら、いわゆる”イエスマン”ばかりになっていて、「大木先生も医療崩壊は起きていない、と言っていた」といった総理のバイアスのかかった言葉に、「そうですよ!大木先生が言うなら間違いありません」などとさらに確証を深めるようなあいづちを打つばかりなのではないでしょうか。だとしたら、それは国民の命が危険にさらされることにもつながりかねません。

大木氏が外科学講座教授を務める東京慈恵会医科大学病院は、18日、次のような短い「お知らせ」をホームページに出しました。大木氏の発言や菅総理の反応でますます「確証バイアス」を強化しようとする人に呼びかけようとするようなこの声明からは、医学と医療の場である大学病院としての誠実さを感じることができます。菅総理や官邸スタッフは、はたしてこのメッセージを読んだでしょうか。繰り返しますが、コロナ対策はその方向性が間違われると、多くの国民の命が失われる危険性をはらんだあまりに重要な問題です。「確証バイアス」によって官邸はこれさえもスルーした、などいうことはないよう、祈るばかりです。

東京慈恵医科大学病院のお知らせ(2021年1月18日)

本学外科学講座教授大木隆生氏がメディアなどを通して発信している内容は個人的見解であり本学の総意ではありません。

慈恵大学病院は引き続き行政と連携してCOVID-19診療に対して最善を尽くしてまいります。

https://www.hosp.jikei.ac.jp/topics/news/2952.html