職場へのクレームと表現の自由

なんだかおだやかではないタイトルでごめんなさい。ある裁判の勝訴が確定したので、その報告です。

ご存じの方も多いと思いますが、2020年9月1日、医師の高須克弥氏が私などを愛知県警に刑事告発したと記者会見で公表しました。高須氏は、私などがツイッターで発信した内容が、当時、高須氏が会長となって進めていた愛知県知事リコール運動に対する「きわめて悪質な妨害行為」であり、地方自治法に抵触すると考えたのです。現在、この案件に関する書類は愛知県警から愛知県検察庁に送付されていますが、まだ起訴・不起訴の結果は出ていません。もちろん私にも言い分はありますが、それは結果が明らかになってからにしたいと思います。

刑事訴訟法では告訴・告発をすべて受理すべきという定めはないということですが、実際には犯罪捜査規範63条などの内部規範によって、正当な理由がない限り告訴・告発はほぼ受理されるそうです。もちろん誰でも刑事告発ができるという制度そのものは、とても大切だと思います。

ただ、高須氏の会見のあと、SNSでは多くの人たちが「刑事告発=犯罪者」と決めつけたかのような内容を投稿していました。そう考えるのも自由といえば自由なのですが、ちょっと困ったのはその一部が私が勤務している大学にメールや電話をしてきたことです。

いえ、所属している教員について所属先に電話をするのも――たとえそれが否定的な内容だとしても――自由だと思います。とくに大学教員は、学内の教育や学務だけではなく、対外的にもその成果を公表したり専門知識を使った啓発活動を行ったり、と公共性の高い職業です。それについての責任は基本は教員個人に帰せられますが、所属先に使用者責任を問うこともあるでしょう。

とはいえ、なんでもかんでも、あるいはどんな手段を講じてでもそれを伝えるのが「表現の自由」だ、と言ってよいのでしょうか。

この刑事告発を受けて、とくにひとりの男性が、繰り返し大学や講演会の主催者に電話をしてきました。その内容は、「刑事告発を受けてもうすぐ刑務所に行く人間に授業や講演をさせていいのか」という“意見”にとどまらず、「もし続けるならどうなるかわからない」といった“ほのめかし”までが含まれていました。しかも毎回の電話はとても長時間に及び、「調べて返答します」と切り上げようとしても応じてくれなかったようです。

そして、その人はツイッターで他の人にも電話をするように呼びかけたり、街宣活動をするという予告を行ったりしたのです。以下はその中のふたつです(上のツイートの電話番号は私が消しました。下は途中が切れててごめんなさい)。

大学や講演主催者からその報告を受けた私は、必要事項以外の話で会話を異様に長引かせるのは業務の妨害であるし、「街宣車で行く」といった“ほのめかし”は脅迫にあたるので、警察に通報してはどうかと話しました。ただ、教育機関などは日ごろ、こういったおだやかではないクレームにあまりなれておらず、「警察に通報」という行為には踏み切れないようでした。大学職員はおびえて疲弊しきっており、途中から「私の仕事場の電話番号を教えてこっちにかけてもらってください」とも伝えたのですが、この人の狙いは「大学での香山の印象を悪くする」ことだったからなのか、その番号に電話が来ることはありませんでした。

電話やメール攻勢はそれほど長く続かずに終了しましたが、大学で電話対応をした職員、講演会で万が一に備え警備の手配をした主催者、そしてその報告を受ける私自身、受けた傷はかなり大きかったと言えます。私は、こういった行為も表現の自由の範囲内であり許されることなのか、それともそうでないのか(もちろん、私個人は「とても許されるものではない」としか思えませんでしたが)法廷で判断してもらおうと考えて、この人を民事提訴することを決めました。この人は多くのSNSを使っており、その中には実名でやっているものもあったので、多少の手間はかかりましたが(協力してくださった方、本当にありがとうございました)、名前や訴状の送り先も判明しました。

提訴した後、この人からは答弁書の提出や口頭弁論期日の出頭などがまったくなく、ノーレスポンスのまま裁判は進みました。そしてこのほど「慰謝料50万円」という一審判決が出て、控訴もないまま判決が確定しました。

いちばん下に判決文の一部を貼っておきますが、クレームの電話やメールをしたことをSNSに投稿し、他の人も行うように煽動するのは、そうされた人の「職務上の地位・立場を悪化させるもの」で「職業生活を妨害されることなく、平穏に生活する利益を侵害するもの」なのです。

とはいえ、繰り返しになりますが、その組織に属する人やその組織の商品などに社会的な問題があった場合、批判や抗議の電話やメールをすることじたいは、表現の自由だと私は考えます。私自身、一般の読者向けの著作もときどき出しますので、その内容についての批判が出版社にではなくて大学に来ることもあるかもしれません。人の考えはさまざまなので、たとえ100万人が感動する本でも、「けしからん」と思う人もいるでしょう。だから、その内容によって「これはクレームを入れてもいい」「これはダメ」と仕分けするのは、とてもむずかしいと思います。

とはいえ、表現の自由は決して「伝家の宝刀」ではありません。最高裁判所は「憲法21条1項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであ」るとしています(最高裁判所第二小法廷・2008年4月11日判決)。大阪市で「ヘイトスピーチへの対処に関する条例(注・ヘイトスピーチを行った者の氏名の公表)」をめぐって裁判が行われた際も、大阪地裁は、この条例が「表現の自由を制限するものである」と認定した上、その制限は「公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限であり、容認されるものである」と判断したのです。つまり、表現の自由は無制限ではないのです。

では、今回の私の例はどうだったのでしょうか。長時間にわたって執拗に電話し続けるとか、脅しのような言葉を交えるとか、そういった行為が表現の自由にあたるのか。それとも「やむを得ない限度」として制限されるべきなのか。民事なのでそれに関する判断はありませんでしたが、「慰謝料50万円」が何を意味するものなのか、今後も私なりに考えていきたいと思います。

そして最後に、今回、私が提訴した人は、さまざまなSNSで長年、ヘイトスピーチを垂れ流し続けていたことをつけ加えておきたいと思います。私に関するツイートの中にも私を韓国人だと決めつけておいて侮辱するものも含まれており、一連の行動は単に私自身への批判ではなく、根にあったのはやはり韓国への憎悪感情や日本で暮らすコリアンへの排外主義的感情ではなかったか、と考えています。人種・民族差別主義こそ諸悪の根源だとまた確認することになりました。

(以下は判決文の一部)