遠い夕方の風景
昨日は穏やかな夕暮れでした。
小さなころは決まって秋田犬のフジを散歩に連れて行く祖父のお供。低い山から見る神戸はまだそんなに高いビルもなく遠くの平野まで滑らかに続く坂道や急な階段が山から流れる川の支流のように海に向かっていました。
今より夕焼けが赤かったのはなぜでしょう。山に還るのかカラスが何羽か鳴きながら飛んでいきます。
紫陽花のつぼみは日に日に大きくなってもうすぐ咲きそうなのを見ながらそうなると雨の日が続くのだといつの間にかわかるようになりました。
帰ってくると敷地内にあったお風呂に入りますが当時はまだ薪で炊かれていました。
風呂上がりの楽しみはラムネ。栓はビー玉でした。木の栓抜きで力を入れてそれを落としこむとシュワっと炭酸水。それが噴き出るまでに口に持って行くのがミソです。ころころとビー玉の音がして楽しみの一つでした。それは氷冷蔵庫で冷やされてましたが、キンキンのとはならずそれでも火照った体に心地よく流れていきました。
祖母と母は夕餉の準備で忙しそうで、おなかをすかして台所に行くと出来立ての湯気の立ったご飯で小さなお結びを作ってくれました。
テレビはもう少し後の時代。ラジオはありましたがつけっぱなしということはなく静かな時間が流れていました。
必ずと言っていいほど家族そろっての食事でした。
食器の音とたまに誰かが話す。母親は台所に戻ってお代わりのご飯や味噌汁を小さなお盆にのせて戻ってきます。
そんな平凡すぎる毎日でしたが、それが普通。
そんな日々を今になってふと思い出すとは…。
きっと忙しくて頭が疲れていた時にはそんな些細なことなど忘れていたのかもしれません。
今いろんなことが見えだして、結局物欲がその時の原動力になった時があったとしても一時期のモノ。まだまだ身軽にできそうです。
心を満たすのは自分自身の考え方や、すべてのことは自分から始まるのだという法則?であることが分かりました。
時代が流れて小さな時の子供たちや今の孫たちがいつも楽しそうに家族と食事する時が一日でもたくさんあればいいなあと思います。
あの時があったからと言える何にもない日々は今となっては貴重な時間です。
今朝は曇り空ながら丁度いい気温で軒下のツバメの子供たちの成長を見ることが出来ました。4羽の兄弟姉妹はきれいに並んで親鳥の帰りを待っていますが、大きさがきれいに右から左へと違っています。
いちばん大きくなった子はドン!と貫禄さえあって私を見下ろしています。一番左の子はやっと巣から頭がみえるぐらいで思わず「頑張ってね!」と言いたくなるほどの大きさです。
今日もいい日にしましょう!
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