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「不都合な真実」を暴くため、彼女はシベリアに飛んだ。疾走600キロ、ついに遺体が埋められた場所に…

まずい、間に合わない。どうしよう。
その日、私は初めて訪れたシベリアで、荒野の中をとばす車の中にいた。

7月なのに、寒い。登山用の防寒着を着ているのに、肌にまで寒さがしみこんでくるようだ。でも、それはまだいい。

車がとんでもなく揺れる。道があったとしても、舗装されていないのだ。1つ数キロある撮影用の機材が、幾度となく跳ね上がる。まるで体全体に強い重力がかかっているようで、特にお尻が痛い。もうだめ。ワゴン車の座席に寝転がってしまった。

これまでの記者人生、岡山でサツ回りをしていた時も、東京に上がって夜中の張り番を繰り返していた時も、体力的にきついと思ったことはなかったのに…事前にあれだけ調べたのに、4時間かけて最初に訪ねた村が目的地と違っていたというショックも、拍車をかけているのだろうか。

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ボーッと窓越しに、シベリアの原野を見る。こんなところに、しかも真冬に抑留されていた人たちは、いまの私には想像できないような過酷な環境にあったんだろうなと、ふと思う。

…起きなきゃ。必ずここで遺体が埋められた場所を突き止めなければ。

ようやく新たな村の入口が見えた。人がいる。電話をした村長さんだろうか。

手に何か持っている。あれは…

情報が間違っていた!?

私は「厚生労働省の不都合な真実」、戦没者遺骨収集事業の問題を追う、NHKの取材班の一員だ。これまでの取材で、シベリアのどこかで収集された16人の遺骨すべてが「日本人ではなかった」ことを示した非公開の議事録を入手していた。(ここまでの経緯は以下の前編を)

しかし、肝心のその現場が特定できていなかった。手がかりは、「第24収容所・第13支部」という表記だけ。そこがどこなのかも、全く分かっていなかった。

日本を出発する前、モスクワに在住するリサーチャーに、手持ちの情報を伝えて何とか探せないかと尋ねた。しかし収容所の番号というものは、年代によりたびたび変更されていて、特定が難しいのだとか。ただ関係する人の話を聞いた結果や、消去法で可能性の薄い村を消していくと、ここではないか、という村に目星を付けることができた。

ところが、大ハズレだったのだ。

前日にロシア入りし、私を含め5人のスタッフで朝6時に出発。4時間かけて到着した村だったが、村長と話しても全然話がかみ合わない。おそるおそる、手持ちの情報を全てぶつけてみると、状況も人数も全部違う。ダメだ、この村は間違いだったんだ…。

取材時間は、あまり残されていなかった。翌日には「この日しか空いていない」と言われたロシア側の遺骨収集担当者へのインタビューが決まっている。モスクワへ行ったら、シベリアの奥地に戻るなんてもう無理だ。チャンスは、今日しかない。

こうなったら「地取り」だ。それが私の持つ財産の全てだ。

まさかのシベリアで「地取り」

地取りというのは、事件の現場などで周辺の人たちに話を聞いて回り、証言や手がかりをつかむ取材手法だ。1年生記者が最初にやる基本中の基本だが、記者である限り、生涯つきまとう取材手法でもある。

事件記者が割と長い私は、地取りの経験なら豊富だ、という自負はある。でも、シベリアか…やるしかない。

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とにかく、村長の知り合いや前の村長、この地区を管轄する政府の役人など、おおよそ考えつく限りの人に次々と話を聞いたり、電話をかけたりしていった。通訳のリサーチャーが本当によく助けてくれた。そして村役場を訪ねて来てくれたうちの1人の話が、引っかかった。

「このあたりで少ない人数の遺骨を収集した村は、ボルジカンタイ村じゃないかしら」

抑留者の埋葬は数十人単位で行われることもざらにあったので、16人の遺骨を収集した現場は「少ない人数」だ。

「ボルジガンタイ村」の場所を調べると、現在地からの距離は…なんと200キロ以上!シベリアは広い。

いま午後3時だ。6時には夕暮れ時だというので、あと3時間しかない。しかも途中には舗装された道路がほとんどなく、もちろん街灯もない。行ったら、後戻りはできない。

この情報に賭けるのか…それしかない、行こう!

どうやって裏をとれば…

そして冒頭で伝えたように、道なき道をとばした。

1日で合わせて600キロもの距離を走行し、精も根も尽き果てそうな私たちを村の入口で手招いていたのは、やはり村長だった。事前に電話で行くことを伝えてあり、その際に、村で日本の収集団による遺骨収集が行われていたことは確認できていた。

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ただ、私はずっと不安を抱えていた。

遺骨収集が行われていたとしても、それが「第24収容所・第13支部」の16人だという確認を、どうやってとればいいのだろうか。「裏」がとれなければ、状況が似通っていたとしても、全く説得力がない。

車の中でもずっと、「大丈夫かな」と悶々としていた。間もなく日が暮れる。もうどこにも転進できない。

村長に挨拶をする。手に持っているのは、何か書かれた書類だ。

「お前たちが探しているのは、これじゃないのか」

名簿、のようだ…あっ、もしかして。
「それ、見せて下さい」

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それは、村の墓地に埋葬されているとされた日本人の名簿だった。なんと村長は、収集団を案内した当人だったのだ。当時のことはよく覚えているという。

「第24収容所・第13支部」の16人の名前は、日本で公表されている。それと、村長が持っていた名簿の名前を突き合わせた。

一人残らず、一致している!

ここだ、「第24収容所・第13支部」の人が埋められたとされているのは、ここなんだ。

ついに現場を突き止めた…どっと安堵感がわき起こる。墓地の場所を尋ねると、村の中でもひときわ小高い場所を、村長が案内してくれた。

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日本人の骨が埋まっていたという場所は、他の墓と墓の間の、通路のようにも見える場所だった。本当にこんなところなんだろうか。

村長に素直にぶつけてみると、「昔、住んでいた人の話だと、ここに埋葬されたそうだ。でもほかには誰も知らなかったんだが」という。そこから出た遺骨を日本で詳しく調べたら、日本人ではないという結果が出たということを伝えると、驚いた様子だった。

ボルジガンタイ村でのロケを終え、ようやくホテルに戻ると、すでに日付が回っていた。乗っていたワゴンを見ると、車体の下から半分以上が泥まみれで真っ黒になっていた。「あ、ツートンカラーになっている」疲れた頭では、そんな感想しか浮かばなかった。

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仮眠をとったら、次はモスクワだ。ロシア側の遺骨収集団体幹部への大事なインタビューが待っている。

あと一踏ん張りしよう。

ロシア、そしてパプアニューギニア

ここまで、2019年にシベリアでの取材にあたった本多ひろみ記者の独白で、取材経過をご紹介しました。いま、彼女は育休に入っています。

翌日、彼女はモスクワに飛び、文中にもあるロシア側の担当者へのインタビューに臨みます。すると担当者は怒りをあらわにして、
「日本側から連絡を受けたことは一度もない。取り違えはあってはならないことで、厚労省は信用を失った」
と語りました。

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ロシア側から見れば、日本人ではないということであれば、ロシア人の遺骨が持っていかれてしまった可能性が高くなります。何年も前にそのことが分かっていたのに、知らせてこないのは信義則に反する、国として看過し得ない状況だというわけです。

一方、取材班ではもう一つのミッションが同時に動いていました。その舞台は、寒い国とは正反対の南太平洋の島国、パプアニューギニアでした。

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実は「情報公開」も使いました

パプアニューギニアでは、南方戦地で最多の遺骨収集が行われていました。

取材は、今度こそ情報公開制度を使いました。請求したのは、パプアニューギニアの遺骨収集団の「実施報告書」という日報にあたるものと、遺骨の「鑑定書」でした。木村デスク、なぜこちらは情報公開を?

「こうした資料の作成には民間団体なども関わっていたので、公開しない理由はつけられないだろうと判断しました。公開された資料には、遺骨の写真などもついていたんです」

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取材をしたのは内山ディレクター。専門家に見せたところ、「どう見ても子どものもので、日本兵の骨とはいえない」とのことでした。彼は現地に飛び、証言を集めまくりました。

「フィリピンの時と同じで、現地の住民は『日本人が骨を買ってくれることを、みんな知っている』と語っていました。判定にはやはり現地の博物館の学芸員が関わっていて、なぜ日本人の骨だと分かるのか、と尋ねると『日本人の骨はキラキラと光輝いている』と、なんだかスピリチュアルなことを言うわけです。ああやっぱりそうか、同じようなことが起きているなと」

材料は集まりました。取材班は、いよいよ発信に向かいます。

いよいよ報道 「作戦」は

取材班の目的は、単にスクープを発信することではなく、ずさんな遺骨収集を国に改めさせることです。シベリアやパプアニューギニアの疑惑を報じるドキュメンタリー番組の放送は、戦争の記憶が蘇る8月。厚生労働省がどう対応してくるかシミュレーションした上で、番組放送に間に合うギリギリのタイミングで事実関係を厚生労働省にぶつけました。そして番組の放送に向けて、先手先手でニュースは出し続けることにしました。

想定した厚生労働省の反応はこうでした。
・隠していたわけではない。公表するつもりだった。
・取り違えはレアケース。鑑定は適切だ。
・ロシア側と協議中だった。
・問題なのはシベリアだけで、他は大丈夫だ。

「ニュースを出したら、どんな反応をしてくるか。厚労省の言い訳を聞いた上で、それを覆すような発信をしていく、という作戦をとりました」

最初に報じたのは、2019年7月29日。
「シベリアで収集された16人分の遺骨が、すべて日本人ではないと鑑定されていたことがわかった。厚労省は公表してこなかった」
ニュース7でこのように発信しました。

このニュースに対する厚生労働省の説明は、取材班が事前にシミュレーションした通り、「ロシア側と協議した上で公表するつもりだった。ただスピード感は足らなかった」というものでした。

「厚労省は、『スピード感に問題があった』という反応。それならば、さらにもっと以前から問題を把握していたはずだということを示して、スピード感というレベルの問題ではないと発信することにしました」

次に報じたのは、16人分より更に前に、70人分の取り違えが明らかになっていたのに、1年半以上公表していなかったというニュースです。より以前から、しかも規模の大きい取り違えが起きていたことを、むしろ続報として発信したのです。

取材班は、毎日のようにニュースで続報を発信。厚生労働省が説明すると、それを覆す、を繰り返していきました。そして8月5日に満を持して放送したのが、「戦没者は二度死ぬ ~遺骨と戦争~」という番組でした。

それでも、なかなか厚生労働省の姿勢は変わりませんでした。

「厚労省から現場の記者に対して『NHKさん、まだこの問題を取材するんですか』という探りのようなものもありました」

今回は蓄積してきた情報もある、続報もある。しかし一進一退の局面が続きました。

決定的な「ブツ」を入手

ただ、報道をし続けたことは、やはり無駄ではありませんでした。

一連のニュースを見て、これまで取材や資料提供に応じてくれなかった人が協力してくれるケースが増えてきたのです。そしてついに、この局面を打開できる決定的な資料を入手しました。

それはやはりDNA鑑定人会議の「議事録」。それまでに入手できていたのは一部でしたが、最終的にほぼ全貌が分かる、2005年5月~2019年3月までの膨大な量の議事録を入手することができたのです。

詳しく調べると、遺骨を取り違えた疑いは15回も指摘されていました。

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専門家の「1例も該当遺骨がない」「女性がこれだけ入っているでしょう。この墓地自体の何かを疑いますよ」などという厳しい指摘。そして厚生労働省幹部の「嬉しくない発見です」「DNA鑑定しなければ、かつてはそのまま千鳥ヶ淵に納骨」などという発言も書かれていました。

9月12日のニュース7で「少なくとも14年前から、取り違えが再三指摘されていた」と報じ、問題を把握しているにもかかわらず、公表してこなかったことの全容を明らかにしたのです。

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「さすがにこの報道のころから、厚労省の対応が若干変わって来ました。その後も続報を積み重ねていったのですが、取材班は『ずっと厚労省の動きをウオッチしているぞ』という意思を明らかにするためにも、書けるものは全部書くという姿勢でやっていきました」

極めつけだったのが、あるメールを入手したことだといいます。

「一連の報道がきっかけになって、ロシアでの収集事業に日本の派遣団を送ることが、ロシア側の意向で中止になりました。その時に厚労省の担当者が関係者に送っていたメールを入手しました。そこには『あの報道さえなければ中止にならなかったのに』ということが書かれていました。ああ、これが厚労省の本音だなと。隠し続けていれば従来どおりのやり方で遺骨収集が続けられたのに、ということなのかなと」

厚労省がついに再発防止策 担当者の処分も

2020年5月21日、厚生労働省は、科学的な鑑定を行う専門センターの設置や、鑑定前の焼骨の取りやめ、DNA鑑定人会議の議事録の詳細な要旨の公表、1万人分の再鑑定、そして担当幹部の処分を行うことなど、再発防止策を明らかにしました。

3年にわたった報道は、遂に国を動かすに至りました。

木村デスク、そもそもなぜ今回の問題が起き、厚生労働省はなぜ不都合なことに蓋をし続けることにしたのだと思いますか。

「ご遺族が高齢化していくなかで、遺骨収集をスピードアップしなければならないんですね。法律で『集中期間』というのも定められましたし。そんな中で取り違えを一つ認めてしまうと、これまでの鑑定とか収集の在り方がどうだったのかと。過去に遡って問題が指摘されれば、事業が止まってしまう懸念があったということは、関係者の取材を通じても強く感じました。厚労省の調査でも、聞き取りに対し、何人かの職員は『事業が止まってしまうこと』を懸念していました」

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「遺骨収集事業は、例えばアメリカも行っています。いまも国民を戦争に送り出すことがあるアメリカという国では、全ての遺骨を家族のもと帰すことを『国是』にしていて、遺骨の鑑定にも最新の科学技術を活用しています。予算も桁違いで、行方不明者が8万2000人ほどのところに、28億円の予算がついているんですね。これに対し、日本は112万人で1億5000万円ほど。限られた人員と予算の中で、滞りなく進めなければならないというジレンマの中で起きたのではないでしょうか」

調査報道に必要なものとは

調査報道が国を動かす、というのは簡単なことではありません。いま振り返ると、一連の報道で何が功を奏したと思いますか?

「やっぱり当局が隠していることを明らかにする調査報道をするためには、行政、権力側の懐に入らないと、なかなか探り出せないということを感じましたね。当局に接近する取材そのものがいま議論になっていますが、真実を解き明かす取材のためには重要だと思っています」

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「そして単発のニュースだけでは事態は変わらない。基本を地道に、続報で事実を積み重ねて矛盾を一つ一つ指摘する報道を粘り強くやらなければ、なかなか真相にはたどり着かない。行政を変えることにはつながらないと思いました」

報道の世界では時々、「調査報道」と「当局取材」がまるで逆ベクトルのもののように言われることがありますが、決してそうではない。やはり取材対象に肉迫しないと、真実にも迫れないということですね。

足かけ3年に及ぶスクープの背景の紹介、本当にありがとうございました。あ、もうお仕事に戻っていただいて結構ですから…お邪魔してすいません。


木村 真也 報道局 社会部
(プロフィールは前編に)

本多 ひろみ 報道局 社会部
2009年入局。岡山局を経て社会部へ。社会部では検察と厚生労働省を担当。
これまでの記者人生の中で最も忘れられない取材はやはり今回のシベリア取材。帰りがけに村長の妻がビニール袋に入れて手渡してくれたクレープのような甘いお菓子の味が忘れられない。1児の母。目下の仕事はソーシャルディスタンスを保ちながら子どもを砂場で思いっきり遊ばせること。

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【本多記者はどういう取材をしてきた?】

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編集後記:「議事録」はやっぱり大事

お読みいただき、ありがとうございました。
今回の報道でカギになったのは「議事録」でしたね。国の事業が適正に行われているかどうかを検証するため、公文書である「議事録」の重要性が改めて明らかになったのではないでしょうか。

古くは国会会議録をはじめとして、議事録は国民に法律や政策が決定されていく過程を明らかにする重要な役割を持っています。故に調査報道にとっても、基本中の基本ツール。ただこの数年来、公的な議論の場で作られるべき議事録が、適正に作成されていないことなどを指摘した報道が相次いでいます。

このため、いま議事録は作成方法や保存期間、公開の在り方をめぐって議論され、注目の的となっています。そんな中で、今回の報道によってDNA鑑定人会議の記録が公表されることになったのは、一歩前進ではないでしょうか。

今後も「調査報道」の経緯と手法を明らかにするシリーズを展開していきます。あの報道をどうやって実現したのか、これまで培ってきた調査報道テクニックも公開しますので、若いジャーナリストの方にもお役に立てていただければ幸いです。

熊田 安伸 報道局 ネットワーク報道部
ジャーナリストの知識とスキルを共有する活動に取り組んでいます。


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