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青春18きっぷをよく見たら、わかること

「毎日家にいるなら、バイトか免許取るかどっちかやりなさい」

母だ。ばれたか。

大学1年の夏休み、私は家にこもり冷房を効かせて毎日パソコンとゲームばかりしていた。確かに時間がもったいない。

結局、夏から自動車学校、秋からバイトを始めた。母に言われたのもあるが、実際に免許やお金は必要なのでやらざるを得なかった。人と違うことをしたい逆張りモンスターの私だが、これはしょうがない。

夏休み中、「なんか新しいことするか~」と考えてやったのは、青春18きっぷで電車旅をすることだった。きっぷをよくみたら宮島へのフェリーも乗船できるとのことだったので、ゴールは宮島に決める。

出発は、9月の上旬。スタートは名古屋駅、ゴールは宮島。あとは未来の自分に任せた。

よくある旅行と違ったのは、①貧乏で、②ノープランで、③経験がないことだろうか。泊りの一人旅は初めてだったし、バイトもしてない上に電子ピアノを買って貯金もない。持っているのはガラケーで、目的地も宮島としか決まっていない。

不安もあったが、それよりも『知らないところに放り投げだされる経験』を体が欲していた。大学に入ると、周囲の大多数はみなバイトやサークルに精を出しているように見えた。でも自分は何か違うことをやりたかった。それが何かわからないけど、どこか、ここではない場所や方向に向かいたかった。

というわけで、発つ数日前に親に「9月〇日から、5日間ぐらい宮島行ってくるからご飯いらない」とだけ伝えて出発である。母は「はあ?」と言っていた。

みちのりとしては、大阪で1泊(ネカフェ)、岡山で1泊(ビジホ)、広島(ネカフェ)で1泊。で、帰りに和歌山(ネカフェ)で1泊。


旅程


初日、大阪では、551の肉まんを初めて食べた。お金がないので、肉まん2個が夕食である。目当ての観光地などは無いので、新大阪駅からひたすら歩き続けると、大きな川があった。川沿いの道は犬の散歩やランニングをしている人が多かった。「おお走っとる」「橋の下は変な構造になっとるなあ」とか、思うがままに景色を見て歩くのが楽しかった。

夕陽に照らされて光の粒がきらめく川やランナーたちを、当たり前のように眺めている。でも、その自分は今朝まで名古屋にいた。そう考えるとなんか夢の世界にいるようで、高校時代寝ながら聴いていた『松本人志の放送室』を思い出した。すると胸の奥がざわつくように切なく、寂しくなった。本やラジオから思い浮かべるモノクロな世界に入ったような気持ちである。ネットカフェで明日の行き先やダイヤを調べて眠る。

2日目の岡山では、岡山城と後楽園に行った。本当はジーンズも欲しかったが、そんなお金はない。そもそも普通列車に乗っているので、時間もあまりない。朝の通勤・通学の時間に乗る電車はやはり新鮮だった。頭の中では宇多田ヒカルの『虹色バス』や『HEART STATION』などが流れていた。後楽園ではたくさん写真を撮った気がする。あれからケータイ5台以上壊したからもうないけど。

3日目、ついに広島、ゴールの宮島へ向かう。昨日からの流れで、ウォークマンで宇多田ヒカルをよく聞いていた。宮島のある廿日市市に着くころには昼過ぎになっていた。乗り継ぎは走って最速の電車(普通)で行く。

船に乗り宮島に着くと、潮が引いていて鳥居を触ることができた。社会の便覧で見たあの鳥居だ。金田一少年の事件簿の『秘宝島殺人事件』を思い出す。

お金がないので揚げ紅葉(もみじ饅頭を揚げたやつ)3個を遅い昼食にする。厳島神社の境内は混んでいるので、島内を探検してから後で来ることにした。山道を歩くと急に人が消える。すれ違うのは丘の上の旅館のバスだけである。

山を回って狭い路地を降りてくると、子どもたちが遊んでいた。私は新興住宅街の育ちなので、年季の入った家やその周りで遊ぶ子どもたちが少し羨ましかった。狭い路地はどうして魅力的なのだろう。そうこうして、神社に戻ってくると、誰かが看板のようなものを持ってくる。

『18時までです。境内は入れません』

ん??


「すみません、さっき一度来たんですが混んでいて、今また来たとこなんですけど、すぐ出るんで入れませんか」「申し訳ございません」「はい」


海を見ると、知らぬ間に潮が満ちていた。鳥居は、社会の便覧で見たように、海の中に厳として立っていた。私は崖近くの大きな石に腰掛け、海を眺めた。夕陽が美しい。大阪ではこの時間帯に川沿いを歩いて、ランナーたちを眺めていた。知らぬ場所に当たり前のようにいる自分が非現実的で、でも、その不安や焦燥は、ゆるやかに穏やかな気持ちに変わっていく。海の向こうの街をみつめながら、同時に心の移ろいを眺めていた。

こんな時間でも、人の往来は結構ある。外国人も多い。海を眺める人はいるが、みな10分もすれば去っていく。私は1時間半から2時間ぐらい、ただぼんやりと海を眺めていた。さっき通った外国人の男女ペアが帰ってきて、私を指して笑っていた。おい、視界に入ってるぞ。「まだいるぞ」とでも言うんか。まあ、そんなことはどうでもいい。

結局私は真っ暗になってから、20時近くの便で島を出た。
宮島に来たんだけどなあ。厳島神社に来たんだけどな、私。なんか誰もおらん山道散策してたら、境内入れんかったなあ。普通列車で、けっこう頑張ってきたけどな、まあいいか。

その日の夜は、すき家のにんにくの芽牛丼を買った。テイクアウトしてネットカフェに持っていったら、においが強くて気まずくなったことを覚えている。

4日目。ここからは帰り道なので気楽である。厳島神社も入れなかったし気楽である。ただ時間だけがあったので、帰りは紀伊半島をぐるっと回って帰ってくることにした。

5日目(最終日)、本州最南端の串本町は景色も良かったが、海沿いを探索していたときの雰囲気が穏やかでよかった。下車して近くの観光センターで案内を受け、橋杭岩という変な岩を見に行った。観光客もいたけど、すれ違う地域の人たちからは、ゆるやかな時間が流れているような心象を受けた。

それからこれはすぐにケータイにメモしたが、見老津駅という駅があるのだが、この駅付近の電車内から見える景色が美しすぎて、10年以上経っても脳裏に焼き付いている。帰路、時間をかけて紀伊半島をぐるっと回った価値があったもんである。境内に入れなかったからといってすねなくてよかった。


あの青春18きっぷ旅から10数年の月日が流れた。変わったことより、変わらないものに目を向けたい。

知らないところに放り投げだされる経験を、私は求め続けていると思う。自分のやり方や選択次第でいかようにも安定することはできるが、年を重ねるにつれ、『8割の安定と2割の混沌』を求めている自分に気づいた。

私は、私のあずかり知らないカオスとランダムを楽しみにしている。日常は穏やかなものでありたいけど、楽しく生きるにはカオスが必要である。適当に、気分で、無計画に、なんなとく選んだ先には予想してないことが起こりやすい。多少失敗しても、このサイコロ枠の選択は笑いとばして生きていきたい。

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