島の細砂

どっかに行こう。

5年前の秋ごろ、電車に乗って旅に出た。

西に向かいながら、電車の中で行先をいろいろ考えた結果、離島巡りをすることにした。

持ち物は、お金と寝袋とウォークマンだけ。
しばしば電気やガス、水道が止まるほどにはお金が無く、その後の生活も考えて節約旅である。

初日、島に着くともう夕方である。
歩いて夕食が食べられるところを探す。

完全に普通のおばあちゃんの家に思える食堂にて、海鮮系のご飯をいただく。肌寒くなってきた秋の夜長、放浪の末たどり着いた味噌汁。暖かく、心に味がしみ込んだ。

「どこの宿で寝るんか?」
「今日は野宿ですね」
「そうか。近所の○○さんは、酔っぱらって港で寝てた時にイノシシに顔を引っかかれたで、気をつけんといかんよ」
「イノシシですか、出るんですか」
「そうよ、たまに出るみたいね。あんときはうちで薬塗ってやったんだから」

『港の方ではイノシシが出る』という貴重な情報を得て、20時半、ふたたび暗い道を歩み続ける。

公園や神社があるが、どこも寝られるようなスペースがない。そもそも変に薄明かりがあって気味が悪いので、違う寝床を探そう。目的地に着いて腹を満たした後、最初にやるのが夜の寝床探しである。なんでこんなことをしているんだろう、と毎回思うのだが、その”どうしようもない感じ”を、本能がどこか求めている。ただ無計画で行くのが良いのではない。思うがまま行動していても、結局最後は生物としての本能に還り、飯を食い、安全な寝床を探して眠る。私はただのホモサピエンス、生物に過ぎない。それを実感できるのが良い。

休憩も含め3時間ぐらい歩き続けただろうか。人気のない海岸沿いに、ベンチを見つけた。波音が気になるが、悪くない。一番は人通りが少ないこと。狭い空間に寝袋を広げ、頭の部分はジャケットで覆い隠すようにし、深夜1時、眠りに着く。

数時間後、強い雨で目が覚める。降ってきやがった。そして、足元の方が浸水し濡れている。寝袋の隙間から入ってきたようだ。冷たいし、当然に不快ではあるが、もう少し眠りたい。

目を閉じ、雨音と濡れた足元だけに意識を向けながら、再び眠りにつくことにした。この状況で寝続けること、普段ないよなぁ。やっぱりそこまでして眠りたい私は、ちっぽけなただの生き物で、大雨や自然には逆らえない。そう感じるとまた、切なさの奥の嬉しさをみた。細砂を両手いっぱいに包み込む。そして重なった手を開くと、キラキラと輝く、小さな星をみるのだ。心を澄まし、暮らしに埋もれた、小さな小さな星を、私はみよう。

早朝、起き上がった私は島の探検の続きに出た。




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