日笠陽子の美しさについて ——あるいはナタリー・日笠陽子『Couleur』インタビュー補遺

2014年10〜11月に開催された声優・日笠陽子さんのライブツアー「Le Tour de Couleur」のパンフレットに寄稿したテクストを転載します……無断で。「もう6年前の話だし、問題ねえだろう」と勝手に思っていますが、ポニーキャニオンに怒られたらマッハで引っ込めます。

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■検証・日笠陽子はなぜ美しいのか? その1

 本稿の読者諸氏に今さらお伝えするようなことでもない気がするが「日笠陽子は美しい」のである。

 ルックスが? もちろん。

 スタイルが? もちろん。

 声が? もちろん。

 そして何より、そのありようが美しいのだ。

 今夏、最新作にして1stオリジナルフルアルバム『Couleur』リリース時の音楽ナタリーでのインタビューで日笠はその制作コンセプトについて、こう語っている。

「カッコいいロックをやりたい」

 少し話は変わるがコメディアン・マキタスポーツは、本名・槙田雄司名義での著書『一億総ツッコミ時代』(星海社新書)において、今は“ツッコミ過多”、つまり誰もが批評的になりすぎている時代なのではないか、と指摘している。芸能人やスポーツ選手、政治家、はたまたリアルやネットで目立っている市井の人々に対して、ときにはクールな(つもりで)ツッコミを入れ、ときには笑う。これまでならお茶の間レベルで繰り広げられていただろうそんな言動の数々が、Twitterなどの普及に伴い、多くの人の前に可視化されるようになり、またそれらネットサービスの存在が我々のツッコミ気質に拍車をかけている、というのがマキタの見解だ。

 我が身を振り返るに確かに思い当たる節はある。

 何か風変わりな事件が起きれば、なんの気なしにそのニュース記事のアクセスURLをTwitterの投稿フォームに貼り付けて訳知り顔で「興味深い」などと書き添えてみたり、テレビのスポーツ中継観戦中、ミスをしたプレイヤーに対して反射的に批判めいた言葉をつぶやいては、同調してくれた誰かと盛り上がり、さらに反射的な言葉を重ねてみたり……。そんな経験はけっして少なくない。

 翻ってそんな状況にあっての「カッコいいロックをやりたい」発言である。ある意味これほどの“ボケ”もないだろう。

 たとえひいきのスポーツチームが勝利を収めたところで、誰かが「あの守備はいただけなかった」「あの采配はどうなんだろう?」とのツッコミを入れかねない、いや事実入れる“ツッコミ過多”のご時世にあって、かなり勇気のある言葉である。「『カッコいいロック』だって(笑)」「何、熱いこと言ってんの?」。そんなクールぶったツッコミが返ってくることも十分予想されるのだから。

 しかしこれまた当然ながら、ネットでツッコミを入れている人間と、強豪相手に苦闘しながらも勝利を目指すスポーツ選手や、カッコいいロックアルバムを作るべく邁進するミュージシャンのどちらの態度が美しいか? どちらが建設的で創造性にあふれているか? 明らかに後者だ。

 10年近い声優としてのキャリアの中で日笠は、てんで的外れのものも含め(おそらくこちらが過半だろう)、多くの批評・批判に曝されてきたはずだ。それだけに自らの発言の拡散性、影響力については相当にセンシティブになっていることだろう。それでも“音楽”を前にした瞬間、周囲から巻き起こるやもしれないノイズをシャットアウト。自らの表現欲求に素直に耳を傾け、ポジティブかつクリアに「カッコいいロックをやりたい」と言い切れる。

 この態度は紛れもなく「美しい」。

■検証・日笠陽子はなぜ美しいのか? その2

「カッコいいロック」発言にはもうひとつ注目すべきポイントがある。この言葉は「予告ホームラン」なのだ。

 バッターボックスに入り、バットをバックスクリーン目がけて高々と掲げた打者がもし三振などしようものなら、スタンドは当然大ブーイング。たとえ三塁打を打ったところで少なからずガッカリムードが漂うことだろう。

「カッコいいロックをやりたい」発言はある意味、この予告ホームランのモーションと同じ。「一生懸命がんばって作った結果、カッコいいアルバムができあがりました」と言っているのではない(それはそれで尊いことなのだが)。「カッコいいロックをやりたい」と言い切った以上、その成果物は当然カッコよくなければならない。

 ところが改めてインタビュー音声を聴き返してみるに、日笠の言葉にプレッシャーやイキがりはみじんも感じられない。

「アルバムの制作が決まった段階から『原点回帰したい』ということは伝えてました。アーティストデビューの話があった2〜3年前に私がやりたいと思っていたことを今また改めてやってみたい。バンドと一緒にカッコいいロックをやりたいって」

 あっさり、そう言ってのけている。

 では、果たして日笠はホームランを打てたのか?

 これこそ読者諸氏にお伝えするまでもないことだろう。ご存じの通り『Couleur』は文句なしのホームラン、「カッコいいロック」アルバムだ。「ホームランを打つ」と軽やかに宣言した直後、本当に白球をスタンドに叩き込み、ダイヤモンドを一周してみせる。

 これほど「美しい」プレイはそうはあるまい。

■この2年の旅路を語るアルバム『Couleur』

 カッコいいロックアルバム『Couleur』の中の日笠は、今作のために撮り下ろしたアーティスト写真——トレンチコート姿の彼女の傍らにはクラシカルなトランク=旅装——が象徴するかのように“ここではないどこか”を目指す言葉を連ねている。

 タイトルがそうであるように、オープニングトラック「新世界システム」はその典型。この曲で彼女はイントロ、ノイジーなギターリフを切り裂くようなハイトーンのロングブレスを聴かせたかと思えば、目まぐるしく展開するアレンジに乗せて〈あいつはクズだ〉とまさに“ツッコミ”ばかりを繰り返す〈誰か〉を〈理想と現実にはさまれて 右にも左にも行けてないじゃん〉と振り切り〈誰も見たことの無い 新しい光をつかめ〉〈僕の新世界を作るのは僕だ〉と高らかに宣言してみせる。

 イントロやAメロで魅せる楽器隊のアンサンブルが文字通り“カッコいい”「ENVY DICE」でも同様。〈予定調和なんてありえなくて ルールのフェンスを飛び出して行こう〉とタフにアジテートし、本作の中でも珍しいポップチューン「Brighter day」でも〈世界で1番ツイてない日も 大丈夫 2人で笑い飛ばしていこうよ〉と、聴き手とともに“Brighter day”=より明るい日を目指している。

 しかも日笠は安易な現実逃避を試みているわけではない。

〈この退屈な世界はいつも 思い通りにならないことばっか〉(「新世界システム」)と嘆き、また〈退屈だったありきたりを すべて飲み込み作ろう最初の想いを〉(「ENVY DICE」)と現実や世界のありようを受け入れつつもなお、新たなる一歩を踏み出す覚悟を決めている。「美しき残酷な世界」でもドラマチックなストリングスを背に〈ボクたちは 風見鶏 飛べずに〉と現状を憂いながらも〈もしもボクら歌ならば あの風に 帆を上げ 迷わずにただ 誰かの元へ 希望 届けに行くのに〉とわずかながらの希望を見出そうとしている。

「美しき残酷な世界」は日笠はデビューシングル。しかもアニメ『進撃の巨人』のエンディングテーマだっただけにあくまでアニメのテーマに寄り添った言葉を作詞家・マイクスギヤマにオーダーしただけかもしれない。しかしそれならば“オリジナルフルアルバム”にあらためて収録し直さなくてもいいはずだ。それでも今、我々の手元にある『Couleur』の中にこの曲がラインナップされていることには確実に意味がある。それは「終わらない詩」「EX:FUTURIZE」「Seek Diamonds」といった他のシングルナンバーについても同じこと。〈このまま私のいない世界でも あなたが幸せでいれるよう あなたが私を必要とするなら 守っているから〉(「終わらない詩」)、〈その光が眩しいから 僕らは迷わず行き先を辿る〉(「EX:FUTURIZE」)、〈未来 希望 願い 夢 頼りに もっと熱く 強く ただまっすぐ〉(「Seek Diamonds」)と、やはり自身と聴き手の明るい行く末を願う楽曲だからこそ、13曲の中にその名前を連ねているはずなのだ。

 この既発曲群とアルバム書き下ろしの新曲群とが、なんらコンフリクトすることなくパッケージされていることも『Couleur』と、“ボーカリスト・日笠陽子”の大きな魅力だろう。先の「原点回帰」発言の通り、彼女は2013年5月の「日笠陽子ソロプロジェクト」始動時から自身が歌うべきこと、表現すべきことを見定めていて、こと今に至るまで自らの実力を持ってしてそれを歌い、表現し続けてきた。その証左なのだから。

■『Couleur』が魅せるもうひとつの旅路

「うーん……。難しいですね(笑)。アルバムに入っている曲は全部私がキュンとくる、カッコいいと思えるロックではあるんですけど、細かく見るとサウンドはけっこうバラエティに富んでる気がしますし」

 これは「日笠陽子の考えるカッコいいロック」を具体的に言語化できないか? との問いに対する日笠の回答だ。事実、彼女は本作で言葉の旅だけを繰り返しているわけではない。音楽的な冒険も繰り広げている。

「カッコいいと思えるロック」「キュンとくるサウンド」という自身の美意識を手がかりに「Crazy you」「Pollution」という往年のブリティッシュロックを彷彿とさせるヘヴィなビートが印象的な楽曲を選び取り、まさに“ハードロックボーカリスト”といった風情で歌い上げたかと思えば、GLAY・HISASHI作詞作曲の「憂冥」では一転。HISASHI一流とでもいうべきケレン味あふれる、ある種クレイジーな音遊びに圧倒的なハイトーンボーカルで呼応してみせ、あるいはパーティチューン「Sleepy Hungry Minds」ではラジオ番組やトークイベントなどで見せる陽性な“ひよっち”的側面、ラブリーで少しファニーな横顔を見せている。またそれでいて〈誰かの視線なんか 気にしなけりゃいい〉(「Crazy you」)、〈眩しい光求めてfly 虫ケラだとしても僕の本能〉(「Pollution」)、〈うつむく明日を嘆く自分脱ぎ捨て行こう〉(「憂冥」)、〈描き出す夢は現実になる〉〈大きな声で夢を叫んで〉(「Sleepy Hungry Minds」)と、ときに現実と戦い、ときに折り合いながら、よりよい明日に向かっていくことも常に忘れてはいない。

■デキる女・日笠陽子

 かように『Couleur』は、日笠陽子という人物の表現欲求と内なるビジョンに裏打ちされた“オリジナル”アルバムではあるのだが、本作を巡る議論を複雑かつ面白くしているファクターに、日笠がシンガーソングライターではないというものがある。

「私は役者であり歌手ではあるから、言葉を操ったり、言葉の描く世界を表現することは得意、できると思ってるんですけど、作詞家ではない」

 だから彼女は「私には思いも付かない言葉、それこそ『クズ』とか『虫ケラ』っていう言葉で私の気持ちを代弁してくれる作詞家さん(中略)にお願いするのが正解なんだと思ってます」と、自らの発すべきサウンドはもちろん、メッセージをも名うてのクリエイター陣にアウトソースしている。

 これは2013年7月の“コラボレーション”アルバム「Glamorous Songs」リリース時、いや5月のプロジェクト発足当時から一貫した日笠のスタイルだ。当時のインタビューで彼女は、自身の音楽活動について、「日笠陽子ソロプロジェクト」は“ソロ”と銘打ってはいるもののクリエイター陣やバンドメンバーはもちろん、スタイリスト、PVの撮影班、レーベルスタッフ、プロダクションのスタッフら、信頼のおける面々すべてをひっくるめた“チーム”で運営しているものだと回答。また『Couleur』リリース時のインタビューではその“チーム力”が以前よりも増していると答えている。だからこそ声優という誰よりも言葉の重みを知る職業に就き、また自身の中にあふれかえらんばかりの“伝えたいこと”を抱えていながら、その実作を“チーム”メイトに託せるのだろう。

 ただし自身が“チーム感”を大切にしている理由について「みんなで何かを作るのが好きだから」とノンキに笑う彼女の言葉だけは眉にツバして聞いておかなければならない。

 こんなものはただの謙遜、または本人が自らの才能に気付いていないだけのこと。『Couleur』の出来映えを見るに彼女は、意識的か無意識的かは別として、自身の思いを歌に乗せて伝える“仕事”を効率的かつ魅力的にこなすためにすべきことを知っている。信頼のおける人々の魅力的な言葉と魅力的なメロディを自らが高らかに歌い上げれば“日笠陽子オリジナル”の表現が完成することもきちんと知っている。

 つまり日笠陽子は“仕事がデキる”のだ。そして“仕事がデキる”女はいい女だ。やはり「日笠陽子は美しい」のである。間もなく幕を開ける今日のステージでもきっとその美しさ、いい女っぷりを見せつけてくれることだろう。