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きりこについて

西加奈子氏著作、「きりこについて」を読了したので、感想を綴っていこうと思う。

この本を知ったきっかけとしては、なんと言っても松村北斗。
彼が読み返す作品の一つに今作を挙げていることを知り、本屋さんで見つけた時に買ってみた。(他にも松村北斗きっかけで買ってみた本がたくさんあるので、のちのち読んで感想文載せていくつもり)

サラバ!とか漁港の肉子ちゃんを読んでいた私は、西加奈子さんと言えば、かなりの長編のイメージだったけど、今作は200ページくらいと割と短く、故に一気読みしやすい作品だった。

読み終わってすぐ妹にも貸した。

あらすじ

美人なまぁまと、ハンサムなぱぁぱの間に生まれたきりこは、紛う事なきぶすだった。
とてつもないぶすなきりこだったが、両親から「可愛い、可愛い」と言われ、愛情たっぷりに育てられたことで自分は世界一可愛い女の子と信じ、また持ち前のリーダーシップで周りの女子を従え、皇女のような少女時代を過ごしていた。
そんなきりこはある日、小学校の体育館裏で見つけた人間の言葉がわかる賢い猫を拾い、“ラムセス2世“と名付け可愛がる。
自分によく懐いてるラムセス2世と、底抜けに自分を愛してくれる両親、そして自分を慕ってくれる同級生たちと、優雅な少女時代を過ごしていたきりこ。
しかし彼女の人生は、同級生のこうた君にラブレターを送った時から一変してしまう。
ぶすはお姫様になっちゃいけないのか?美しいことが正義か?
ルッキズムが蔓延る現代人の心に沁みる物語。

容赦ないぶす描写

この作品の冒頭いきなり「きりこはぶすである」から始まり、そこからその主人公のきりこがいかにぶすかを説明される。

その容赦ないぶす描写に、仮にも物語の主人公となる人、しかも女の子になんて無惨な……という感想を抱いた。

西加奈子氏の文章はテンポが良く、ポップさがある。今作は関西弁を駆使しているから、特にそれを感じる。
そんな明るい文章の中で、これでもかと出てくるぶす描写は、とてもとても頭で処理できず、ではきりこがどのようなぶすなのか全く想像ができない。

きりこは、想像を絶するようなぶすなのだ。

それに引き換え、登場人物の心情や、周りの環境の描写が的確でリアル。

庶民の生活を、まるでそのまま切り出したかのように物語が進んでいくので、「あー分かるー」「こういうことあったあった」と共感する事が何度もある。

そんな親しみのある物語の舞台の中で、もうきりこの顔、見た目だけが異質で、もはや架空の生き物のような印象を受ける。

もちろんきりこのぶすさの表現だけが、抽象的なわけではない。
むしろ、輪郭がブヨブヨとか、鼻はアフリカ大陸をひっくり返したとか、かなり正確な描写をしている。

それでも、想像ができないということはこれは作者の配慮?

いや、みんなに無償の愛と労力を割くきりこ、その想像を絶するぶすな少女は、もしかしたら人間として生まれてきた神様なのかもしれない。

そう思えるくらい、作中においてきりこは特別だった。

きりこがただのぶすだったら、ここまでみんながついてくることは無かっただろうし、読者の胸を熱くすることはなかったと思う。

彼女が、振り切ったぶすでいてくれたからこそ、私たちは救われた。

純粋無垢な子供時代と思春期

子供の純粋さって可愛くもあり、めちゃ残酷。

さっきの章でも言ったけど、西加奈子氏の心理描写は一つ一つポップに的確に突いてくる。

悪気のない、純粋な気持ちから出た言葉が相手を傷つけるまで考えが及ばない幼さ、その幼ささえ自覚できない子供時代。

相手の言われたことをそのまま受け入れ、それを盲信する危うさを秘めた子供時代。

そのバランスの悪い曖昧な子供時代の状態を、お酒に酔っているようだと解釈して書き進めていったのは、面白かったし、「その発想はなかった…」とハッとし、感動した。

そしてその酔いから覚めた先の、思春期。

物語の中盤で、きりこが自分がブサイクという事に気づいてから、自分の使命に気づくまでは、本当にキツかった。
自分の見た目を、赤の他人に否定される描写は自分の過去と重なって心を痛めた。

思春期時代。私は成人してから思い出さないようにしてたから、正直覚えてない。
というか、思い出せない。
下手したら同級生の顔もうっすらおぼろげ。

この4行で私の思春期が如何に黒歴史だったかが分かると思うけど、このきりこの思春期描写は、心の傷がグワっと抉られる。

思春期に一生背負っていく傷を受けることは、もう人間として生きていく事に対してのイニシエーションなの?

ただ傷つけられたからこそ、傷ついた人の心に寄り添うことができる。
それは自分の強みだと思っている。

きりこもそうだった。
思春期にあれだけ傷ついて、引きこもったきりこだからこそ、傷ついた人のそばに寄り添い、一緒に悲しみ、一緒に戦うことが出来た。

物語の中盤(予知夢をみて自分を馬鹿にしたり、離れていった人たちを救っていく場面)から、きりこのたくましさとカッコ良さ、そして中身の美しさが堂々とイキイキと描かれていく。
ページを捲るごとにきりこの快進撃が続き、きりこの見た目はなんら変わってないのに、またみんながきりこの周りに戻ってくる展開には胸が熱くなった。

そう考えると、思い出したくない過去でさえ、私には必要不可欠な過去なんだ。

この物語を通して、私は私の過去の傷が少しだけ癒えた気がした。

自衛しなければならないことへの違和感

今作を通して1番考えたのが、性被害を受けた女性について、だ。

作中にちせちゃんという性交渉が大好きな女の子が登場するけど、その子が望まない性交渉をされたとレイプ被害を訴える場面がある。

ちせちゃんは胸や足を大胆に出し、性交渉が好きなこともちゃんと公言してるけど、望まない性交渉をされたんだからとレイプ被害を訴える。

だけど、ちせちゃんに向ける周りの視線は同情ではなく、「そんなことしてたら当たり前でしょ?」という厳しい目線だった。

私も最初はそう思っていた。
しかし、ちせちゃんの「自分のしたい格好して何が悪い」「自分のやりたいことやって何が悪い」という主張と、「だからってレイプをされていい理由ににはならない」という主張には、「いやそうだよ!」気付かされるものがあった。

露出度が高い服を着ていようが、出会い系サイトを利用しようが、外から見てモロ女性が住んでますって分かるようなお部屋レイアウトにしようが、だからってレイプやストーカー被害に遭っていい、あっても仕方ない理由には決してならない。

いつのまにか被害者側が、自分の身は自分で守る、自衛しないととダメという考えがあった。それは洗脳のように、もう当たり前だと思っていたけど、それが解けた。

いやどう考えたって犯罪者が100%悪い。

理性を飛ばして、本能のまま動いた犯罪者が責められるべきであって、「貴方も貴方で仕方なかったね」なんて言葉は、すごく残酷で、無慈悲な言葉であることに私は気づいた。

もちろん自分の身を自分で守ることも大切だし、忘れてはいけない。
だけど、もっとその人が受けた苦しみを純粋に受けめ、何が真に悪いのかというのをきちんと見間違わないようにしなければ、この世の中は一生生きづらい世界で終わってしまう。

見た目と中身が揃って私

作中、幼少期や思春期可愛い、綺麗と持て囃されたり、かっこいいと言われモテた人物も大人になって酷い有様になったところをきりこが助けにくる場面がある。

逆に学生時代パッとしなかったり、女の子にはめっちゃ人気、だけど男子には不人気だった人が大人になって活躍する場面もある。

ここだけ書くと、見た目の良さより中身が大事なんだなと感じるかもしれないけど、私は作者の西加奈子氏が言いたいことは、決してそんな単純なものではない気がする。

最後、きりこが自分はブスでよかった。と悟るシーンがあり、見た目も中身もこめて私なんだとラムセス2世に語る場面がある。

以前私は、ルッキズムについての記事を書いたことがあり(何故が私が書いた記事の中で1番いいね数が多い)書いてた時に思っていた感情と、同じような思いを、この場面を読んでいて感じた。

過去記事「人は見た目が10割という話」↓

人は中身が大事とか、外見よりも中身を見てとか言う。
まるで外見を判断材料にしてはいけないかのように。

でも違う。
外見も中身も込みでその人。
外見は中身の1番外側にあるだけで、外見だってその人の中身の一部だ。

自分の中身が良ければ自然と美しくなるし、悪ければブスになるってだけ。人は誰しも、その見た目で生まれてきた意味があるのだから、落ち込まずにちゃんと生きなさい。

と西加奈子氏は訴えているような気がした。

猫は神様

ラムセス2世というきりこが見つけた賢い黒猫。
物語はこのラムセス2世の視点で描かれていたのが、後々分かる。

私はこのあまりにも超絶俯瞰的視点は神様以外あり得ないと思っていた。
だから、神様がきりこを見守る形で物語を進めていったのだとそう信じて疑わなかった。

にしては、この神様が話すことはきりこの周りのことにやけに詳しい。
まぁ、きりこを中心に物語が展開してるから当たり前と言えば当たり前だけど、きりこに近すぎる気がなんとなくしていた。

それで、「猫はあらかじめ知っていた」という文章が出てきて、ってことは今までの文章はもしかしてラムセス2世視点?と思っていたら、やっぱりそうだった。 

巷で囁かれている「猫は神様」説、作者もそう思っていたとは。

どうも猫がキーマンになる作品が、私は好きみたい。
ジブリで言うと「猫の恩返し」とか「耳をすませば」とか「魔女の宅急便」とかはもう何度も見てるし、私が受験期めちゃくちゃ見ていた「日常」もサカモトという黒猫が出てくる。

だから、この物語の語り手がラムセス2世だと知った時はやっぱりねと思う反面、そうであってほしいという願いが叶えられたような高揚感があった。

猫は神様。
私もいつか毛並みの綺麗な神様に見守られながら、生きていきたい。

最後に

作中通して作者の猫愛と、超絶俯瞰視点から見る人間の魅力が伝わってくる。

人が如何に滑稽で、邪悪で、でも健気で、逞しいかをポップな猫様の視点で教えてくれるのが今作。

自分の役目を嫌に気にしすぎて、生きづらいこんな世の中にこそ、響くものがあるのではないだろうか。

読んでいて生きる赦しを得られるような作品。繰り返し読みたくなる今作。
自分らしさに囚われている貴方に、是非。

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