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"牙"から"武器"に。【再録】

こんにちは、ナゲです。


こちらはリメイク記事となります。
「元の記事も読みたい!」という方は以下のリンクからご覧ください。

以下に書き直していきます。




■導入①


大きいイベントなんかで負けたとき、「ナゲさんはあまり悔しそうにしないですね」と言われることがあります。


5~6年ほど前にも、友人からこんなことを言われました。

「全国大会で僕が勝ったあと、負けたナゲさんがすぐに反対側から来て、握手をしにきてくれたのがすごく印象的だった。」と。

最近ではEVO2023に参加し、海外のプレイヤー(BeanやTiger_pop)に負けたあと、僕は笑っていました。EVOJapanでも似たような振る舞いだったし、なんなら負けた相手と記念撮影をしていました。


過去の自分からは本当に考えられないです

10代後半~20代前半頃の僕が今の自分を見たら、ほぼ間違いなく許せないタイプだったに違いないです。「あ、コイツは真剣にやってないんだな」という評価をしてたと思います。


負けたら悔しくて、相手に握手を求めることはできなかった。
それぐらい感情を乗せている時期もありました。


大会で負けた直後って、本当にキツいんですよ。

ジョジョ3部のダービー兄弟のスタンド能力で、ギャンブルやゲームに負けたら魂を抜かれるという描写があるんですが、「敗北した直後に魂が抜ける感覚」に共感できるくらいキツいです。そりゃあ魂取られるよね、と。
自分の芯となっていた何かがどこかへ持っていかれて、体に負の感情だけが取り残されるような状態になったり、とにかく今すぐ1人になりたくなったりします。

キツい負け方するときは今もあります。人と喋る余裕が無いとか。
ただ、頻度としてはかなり下がり、今は「これだけやって負けたら仕方ないかな」というすぐ腑に落ちてる敗北が多いです。負け慣れているのかもしれない。


■導入②


以前は「負けは負けでしかない。何故自分は、試合前・試合中に直すべきポイントに気づけなかったのか。」と悔やむ気持ちしか出てこず、苦しくなっていました。

『優勝以外は全部一緒』というフレーズにも引きずられていました。このフレーズについては、勝負事に取り組んでいる以上、一理ある(というか考えとして持っておいたほうが良い)と思う反面、とはいえ別の視点があってもいいかな、というのが今の考えです。

一つの物事に対して異なる考えを同時に持っていてもおかしくない、と思うようになってからは色々気楽になりました。
例えば「受験のために勉強はしたほうがいい」「面倒くさいから勉強はしたくない」的なことです。理屈と感情の分離。その上で気持ちに優先順位を付けて、行動を選択する(気持ちをなかったことにしない)。

また、あえて書いちゃいますが、負けを認める行為・相手を称える行為を「自分の負の感情を軽減するための、なかば言い訳的な行為」としている要素も多分あります。
「それは絶対にありえない!!!」と言えたら楽なんですが、敗北直後の気持ちは自分でも正直よくわかりません。ただ、「あり得ない」とスパッと言うのに抵抗があるので、きっとそういう面はあるだろうなと思ってます。

気持ちが沈んでスランプに陥る経験を何度も何度も繰り返してるので、自己防衛の手段の1つにしているかもしれません。


■優先事項の整理


過去の自分との違いを一言で書くと、おそらく「敗北を直視できるようになった」です。

自分の考えの1つに「負の感情に呑まれる時間は正直もったいない」があります。負の感情に呑まれているというのは、余裕が無い状態とほぼ同義で、自分の行動を変えられません。対策を考えたり、人からアドバイスを貰ったりができない状態です。

今の自分は「負の感情に呑まれる時間を極力短くして次に進む」を優先しています。負けたら悔しい、それはそうだが次に自分がどうすべきかを考える、を淡々とこなしている気がします。

過去の自分は、誰にも負けたくないという感情が非常に強く、大会にもそういう感情を全部乗せて挑んでいました。それは反面、感情や環境に浸りすぎでした。必ずしも悪いことではないと思いますが、僕はその"浸り"を自分の成長に繋げられませんでした。

上達を目指す上で苦痛が出てくるのはしばしばですが、「苦痛を受ける=上達する」とは限りません。苦痛を受けながら上達の方法を考えれられて、初めて更に上達すると思ってます。"浸り"は「苦痛を受けていることまでで、満足している状態」でした。

今の僕の取り組みは、きっと苦痛をほとんど自覚せずに上達を目指せているです。ここまでの長期間、上達を目指すと言いつつ、笑いながら対戦を続けられてる人は、意外と少ないと思うようにしています。まぁ……相当の遠回りをしてきているので、意識する必要自体がきっと無いんですけど………。


最近の話をしますが、「不要なプライドは捨てる」も改めて意識しました。具体例を書くと、負けた相手に対策を聞けるようになった、です。

大会で負けた対戦相手には再戦を挑みに行くし、負けた理由が浮かばないなら直接相手に聞きます。
それは傍から見たら、僕が悔しがってそういう取り組みをしてると一目でわかります。でも、よく考えたら、どう思われるかは正直どうでもいいんですね。どうでもいいというか、「そう思われて気恥ずかしい」という感情は優先順位下げて良いよなと。自分にとっては、「負けた対策をすぐ思いついて次に繋げる」のほうが、どう考えても優先度は高いので。

昔ほどの激情は無いのかなと思いきや、結局、感情の根幹は変わらず、アウトプットのされ方が単に変わっただけなのだろう、と思うようになりました。丸くなったというか、やってることが変わっただけな気がしてきました。

そうでなければ、ギルティギアのシリーズをずっと続けて、ゲーム性も変わっているのに、同じキャラクターを使い続けられないだろうなと。


■取り組みの正誤


今の取り組み方が正解かは、やっぱりわかりません。


それでも今の自分の大会の取り組み方は「悪くないかな」(最善かはわからないけど、少なくとも悪い方向には行ってないかな)と思っています。100点満点ではないにしろ、70~80点あれば良いほうかな。

過去の自分同様、大会で負けたらすべての試合に対して死ぬほど悔しがって、その試合に臨んだ自分を憎むような取り組み方を続けていたら、今より強くなってたかもしれません。

でも、ゲームが嫌いになってやめてるかもしれません。というかGGSTを経て思いましたが、おそらく嫌いになってやめてました。
娯楽は山ほどありますし、別の趣味を見つけて、今より楽しんでいるかもしれないし、何がどうなっているかわかりません。

悔しい気持ちが全部消えてるわけでもないし、悔しさと合わせて相手が強かったなぁと思えるタイミングがあるのは、自分にとっても良いことかなと思ってます。気持ちよく大会に臨めることが増えたし、ここ数年同じ取り組み方をして、イベント出るたびに強くなってる実感もあります。自分の今の実力が、結果に反映されやすくなった気がするというか。

僕の場合は、苦しんだら苦しんだだけ必ず強くなれたってわけでもなかったので、それなら今の取り組み方はやっぱり「悪くないかな」です。今の遊び方が自分に合ってる。

勝ち続けることは難しいけど、戦い続けることは出来てそうです。


【書き直しを完走した感想】


元の記事を書いたのは5年ほど前、EVOJAPAN2018を優勝した直後でした。
自分の取り組み方で大きな結果を出して「僕の遊び方はそんなに間違ってなかったんだ…!」と思って書いた気がします。

今回の再録記事は、当時書いた自分に対して「今はこうですよ」という現状を更新する書き方が出来て、楽しかったです。
そして、感覚でやっていた取り組みを、色々整理できたんだなと思い、今回のタイトルを付けました。

本文でも書いた通り「この取り組み方、悪くはなかったな」と思う反面、「とはいえ上達するための取り組みはもっとあったな」という反省も実はありました。

自分が"勝つため"にリソースをめちゃくちゃ割いて臨んだのは、多分ダルさんとのFT10と、EVO2023の2つ。
特にEVO2023での集中期間は「自分の取り組み範囲内でも負担なくやれることなのにサボっちゃってたな」と思いました。


気づけばギルティギアシリーズを遊び始めて20年近くになります。
今のシリーズや環境にあった取り組み方を今後も増やしていきたいですね。
卑下はしないけど慢心もしないスタンスを心掛けます。等身大。

それでは。




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