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人の冥福を祈ろう

スゥ…こんばんはO川隆法です。みなさん、人の冥福を祈ってますか?祈ってない?実は人の冥福を祈らないと大変なことになってしまうのですよ…どういうことなのか、見ていきましょう…

※宗教注意

あの世が無くなった


突然ですがみなさん、「あの世」とか「来世」とか信じてますか?

おそらくですが、この現代社会で「あの世」とか「来世」とかを真面目に信じてる人はいないのではないでしょうか。

科学や医療の発達により、自我というものが神経の電気信号によるもので、死んでそれが失われたら自分というものはそれで終了らしいということが、みんなうっすら分かってしまっているからです。

↑どっかのお寺の掲示板

輪廻を謳う宗教の方でも、まあ教義ではこうだけど実際は死んだら終わりで次はないだろうな、とうっすら思ってることと思われます。

しかし逆に言うと、科学や医療が発達する前は、みな死んだ後のことは不明であり、よくわかんないけどおそらく次のステージのためのなんらかの目的のために今を生きてるとうっすら思っていたわけです。

人は長い歴史の中で、ずっと意識の根底に「次のステージ」が存在し、それに合わせて行動していたのが、現代になり急にそれが喪失したわけです。

これは人類にある変化をもたらしたのではないでしょうか。


人類は基本的に不幸である


この中の半分は不幸になる

小学生の頃、校長が月曜の朝っぱらからそんなことを言っていました。昭和ですね。

まあ理屈的にはそうです。基準はどうあれ、集団を幸福と不幸で半々に分けるとおのずと下位50%以下はそうなります。

というか実際はもっと多いでしょう。中央値でなく平均値で考えると、ブサメンとされる割合、貧乏とされる割合など、結果的に90%ぐらいは不幸と言えます。

では上位10%になれれば幸福なのかというと、男に限ってみればそうとも言えません。

上位の男、いわゆるアルファ雄は、できるだけ多くの女とヤろうとします。そして他の雄に対して攻撃的になります。これはつまり性質上、どれだけ女とヤろうが、どれだけ人をぶん殴ろうが、いつまでも満足することがないのです。さらにこの現代社会、複数の女と番うと不倫となり暴力は犯罪となります。

そして高確率で老害化します。若いころはブイブイ言わせていたのが思い通りにならなくなってくると某上級国民みたいになってしまうのです。

いつまでも満足することがなく、最期は不満たらたらで死んでいく…これがアルファ雄です。アルファ雄は不幸なのです。

つまり男で幸福なのは、生殖をハナから諦めているけどスキルにすごく特化した個体、あるいはぎりアルファの性質ではない上位雄といった、ごく限られた個体だけでしょう。

人間はだいたい本質的に不幸なのです。


人類の幸福を底上げするパノプティコンとは


昔、とある哲学者がこんな刑務所を構想したそうです。

それはコロッセオのような円形の建物で、中庭の中央に塔が立ちそこに看守がいて、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することができるようになっています。

収容者には職業選択の自由が与えられることになっていて、刑期終了後も社会復帰のために身体の安全が確保され、更生するまでこの施設で労働することができるそうです。

この刑務所の最大の利点は何か― それは中央の塔に看守がいなくても成り立つということです。

もちろん、いないと分かっていたら囚人は脱走しますが、囚人には看守がいるかいないか分からないのです。

・中央の監視塔に、監視者は常駐する必要がない
・なぜならば、監視されている可能性があるだけで、囚人の内部には第二の監視者が生まれる
・その結果、「監視される囚人の内部にいる監視者」という構造が生まれる
・言い換えれば、それは自己の欲望する主体を監視する構造である

(ここから引用)
https://liberal-arts-guide.com/panopticon/


哲学者はこのパノプティコンのモデルが人類の幸福と関わりがあると言います。

刑務所以外の普段の行いにおいても、監視者がいるかもしれないと意識するということは、社会の規律を守ることにつながります。それは規律を守ることがまったくの無駄ではないという意識につながります。

それはさらに普通に規律を守って生きてるだけで意味があり無駄ではないという意識につながるのです。

イスラム教に近い状態ですね。イスラム教徒が幸福かどうかはわかりませんが、少なくとも自分の人生が無駄だったと思っている人よりは幸福でしょう。


かつて神は存在した


昔、人間の心には監視者が存在していました。

そう、です。

科学や医療が発達する前は「次のステージ」が存在し、国や宗教が違えどそれはだいたい現世での行いによって決まるとされていました。となれば、自分の行いを見てる者が存在するはずー それが神です。

内なる神が監視者として振る舞うことで、人類はすでに天然のパノプティコンを完成させていたのです。


しかしこの現代社会、医療や科学の発達により「次のステージ」も宗教もだいたい否定され、神はいなくなりました。これは人類に自由をもたらしたように見えますが、実際は違います。

内なる監視者がいるなら、普通に生きてるだけで意味があり無駄ではないと思えていたのが、そう思えなくなったということです。

これが何をもたらしたかというとー


インセルによる犯罪です。(諸説あります)

インセルとはいわゆる非モテ男で、欧米では過激化したインセルにより多数の死者が出ています。

神による天然のパノプティコンない現在において、無意識で期待すべき「次のステージ」は無く、インセルにとって人生はまったくの無駄なのです。

同時に規律を守るという抑止力も無くなっているのです。なので暴れます。

内なる神の不在から人生の目的も意味もなくなり不幸を浄化できなくなった結果、インセルの過激化などにつながったと考えられるわけです。

それは欧米での話ですが、日本は俗に欧米の10年前を追っていると言われています。

そして日本でも現在、90%ぐらいの人が自分は不幸だと感じています。

このまま神が不在なままだと大変なことになるのでは…?


なろう系に起きた異変


なろう系と呼ばれるライトノベルのジャンルに異変が起きています。

ここでは少し前までは主人公が異世界転生してチートする異世界チートものが主流でした。これは「次のステージ」が具現化したものとも見てとれますね。

しかし最近、追放系と呼ばれるものが席巻しだしました。これはまず主人公がパーティーから追放される所から始まり、かつての仲間(主に女)に復讐することをメインとするジャンルです。



なぜそうなったか…諸説あるようですがこれはやはり日本人が「次のステージ」を持てなくなってきていることの表れではないでしょうか。復讐する、見返すという要素があるということは、妄想の中でさえ「次」には行ってないということです。

なろう系に現れたこの現象が現実でも起こったら、まさに欧米のように不幸なオスによる復讐が始まるのではないでしょうか。


神を保つには


ならば、「次のステージ」を意識すれば人類は幸福になるのではないかー

そう考えた俺は、当初このnoteのタイトルを「来世に期待しよう!」にしようと思っていました。

でもそれってすげー煽り文句ですよね。「死ね」と同義です。

しかし人類には煽りでなく綺麗にあの世を感じられる言葉がありました。

そう、冥福を祈るです。

この言葉だけは何故か宗教関係なく現在も好んで使われています。

ひょっとしたらこの言葉が最後の砦なのではないでしょうか。

日本がインセルによる殺人地獄になるかならないかは、冥福を祈るの5文字にかかっているのではないでしょうか。

レッツ冥福!




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