「抽象化の重要性」
収納上手になりたい。
最近そう思う事が増えた。
だって、押し入れの中には本当にたくさんのモノがあって、そこから自分が探しているモノを見つけるのは、結構大変なんだ。
「ここら辺にあったんだけど、」と思って探すんだけど、いつもなかなか見つからない。
やっとの思いで見つける事ができても、使ったらもう満足しちゃって、どこかに放り出してしまうので、次必要になった時に、またどこにあるかわからなくなるんだ。
その度に、押し入れの中を大捜索している。
だから、最近は、しっかり他のものと区別できる箱に入れて、分かりやすいようにフタに目印を付けたりして、次回以降探しやすい場所に置くことにした。
1回限りで、目の前の目的を達成するだけなら、自分が探しているものを見つけて使う、というだけでいいんだと思う。
でも、箱にまとめて、できるだけ見えるところに置いておくことで、1回限りではなく、これから継続的に見つけやすくなるんだ。
まとめておくことで、将来の自分を助けている。
話は変わるけど、プログラミングでも、プロダクト開発でも、あるいはそれ以外のあらゆる学びを得ることに言えるのだけど、学んだことは時間が経つと忘れちゃう。
分かったつもり、理解した気になって先に進むんだけど、後になって身についていなかったことを知るんだ。
それって、ほとんどの場合、その時は分かっているんだと思う。
自分の頭で読み解いて、一時的には、答えに辿り着けているんだ。
でも、しばらく後になって、もう1回答えに辿り着けと言われても、これがすぐにはできなかったりする。
直感的には、物事を理解するには、1つ1つの情報を整理して読み解いていくこと、つまり「読解」が重要な気がする。
でも、実はそれだけでは不十分で、読解は抽象化とセットで考えないといけない。
物事を理解するには、読解した段階ではまだ半分なんだと思う。
なぜなら、抽象化は、次回以降見つけやすく、使いやすく、想起しやすくする作業に他ならないから。
そう考えると、何かを「理解する」時の頭の中と、押し入れの中はとても似ていますね。
そもそも、「理解した」という言葉は、
1回限りで、「読み解けた・答えに辿り着いた」というだけでなく、「また同じ思考の経路をたどって、いつでも答えを得られるようになった状態」を指すんだと思う。
一言で、身につくということ。
それは、瞬間ではなく、状態を指す。
なので、読解した後に、抽象化しないといけない。
頭の中で、分かったつもり、理解した気になって満足して、そのまま放り出しておいたら、しばらく経ったらまたどこにあるかわからなくなる。
人は、すぐに忘れる。
そうなったら、また押し入れの中の大捜索から、つまり読解から始めないといけなくなる。
つまり、抽象化しないと(読解して得た学びを自分の言葉で「まとめる」ということをしないと)、学びを頭の中からいつでも見つけ出せる状態にはならないんだ。
まとめておくことで、将来の自分を助けている。
だから、何かを「理解する」には、読解して、抽象化することを両方行う必要がある。
「理解した」というのは、過去の思考経路を辿って、いつでもその答えを得られる状態のことだから。
なので、それを確認するには、何度もその思考を辿ってみるといい。
もっと言えば、人に簡潔に説明する事ができるか、というのがより効果的な確認になる。
まとめを公開しておくことで、自分と同じような問題に直面した人を助けている。
おそらく、そこまで読解を伴わないような、簡単な物事であれば、わざわざ抽象化する必要なんてないんだと思う。
でも、少しでも難解な概念などを理解しようと思ったら、抽象化して次回以降見つけやすく、使いやすく、想起しやすくする作業が必要なんだ。
だから新しい学びを得た時は、上手に収納することを、意識的に行わないといけない。
なんだか難しいな。
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