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スポーツカーが買えるくらい

大きな金額について話すとき、具体的な金額をぼかす用途で「スポーツカーが買えるくらい」という言葉が使われているのを聞く。

はて。

それって一体どれくらいなんだろうか。


私は、車は運転するが、車種には全くといっていいほど興味がない。親の車を借りて運転していることもあり、自分で購入したわけではないというのもあって自分の車種すら言うのが危うい。時々、昔ながらの旅館などで駐車場に停めた車種を伝えたりする必要があったりすると、えっと・・・となる。

なので、スポーツカーなんてもっと分からない。


そのためか「スポーツカーが買えるくらい」と言われてももちろん金額は分からないし、そこから「え?スポーツカーっていくらくらい?」と調べることもない。今はスマホでググればすぐに分かるというのに。

ではなぜ調べないのか。


ぶっちゃけそんなに興味がないからだ。


でもふと思った。これはいけないのではないか?

「スポーツカーが買えるくらい」なんて特殊な言い回しをしているのだから、興味くらいは持ってあげないと。


大きい金額、というといくらくらいからになるのだろう。

10万円?
100万円?
1,000万円?
1億円?

10万円くらいなら日常で大きな買い物をするときに使わなくもない。だからこれくらいの金額だとそもそもぼかすということはしないかもしれない。

ではこれが100万円になると。少しだけぼかしたくなる。たしかに一般的に100万円を貯める使うとなると、節約をがんばるか、平均より上の稼ぎが必要になるのかもしれない。

1,000万円はぼかしたくなる。この金額をどーんと使うことはなかなかない。

1億円・・・。1,000万円かける10、の金額かあ。ここまでくると現実味がなくてたとえ「1億」と言われても「へえ」としか思わないかもしれない。


つまり、ぼかすラインは100万円〜1000万円台ということになる。


ではスポーツカーの相場は?

いざ「スポーツカー 相場」でググる。


明確に一言で書かれている答えはなかったが、桁外れな例外を除くと、

国産車で、200万円〜500万円
外車で、500万円〜700万円

くらいだろうか。
車種によっては1000万円もゆうに超えているものもある。


なるほど、やっぱりちょうどぼかしたくなる範囲の金額だ。


大きな金額を所有しているあるいは使うことができる、というのはそれだけ妬みや嫉みの対象となりやすい。

じゃあ言わなければいいじゃないか、という話になるのだがそうはいかないのが人間の性。

嫉妬されるのが嫌だという気持ちがありつつも、その金額を人に言ってしまいたいという衝動に駆られる。私はこんな大きな買い物ができるという虚栄心からだろうか。これだけ大きな金額を稼ぐことができることに対する自負かもしれない。

そんな金額を扱う人の多くは、宝くじのような棚からぼたもち的に手に入れたのではなく、それ相応の努力をして手に入れた場合が多いだろう。そしてその努力はやっぱり自慢したいし認めてもらいたい。
もちろん生まれつき裕福な家庭で育ったなどもあるだろうが、逆にそういう人たちはお金があることが当たり前で「スポーツカーが買えるくらい」などというぼかしを使用することはないのかもしれない。


つまり、だ。

もし「スポーツカーが買えるくらい」という言葉を日常で聞くことがあったら、その金額を具体的に想像するのが大事なのではなく、その人がぼかしたくなる程度には大きな金額を使ったのだという自尊心をとことん褒める・敬う・羨ましく思う旨を伝えることが重要なのだろう。


なにもスポーツカーには限らない。

「ヴィトンのバッグが買えるくらい」
「高級腕時計が買えるくらい」
「ハワイのホテルのスイートルーム代くらい」

その人それぞれの言い方で言ってくるかもしれないが、とにかく「すごい」と伝えれば全て解決なのだ。


他人への興味が極端に低い私は、こんな大事なことに気づいていなかった。


なので唐突に「スポーツカーが買えるくらい」という比喩表現がでてくるとその言葉の異質さにひっぱられて、

「ふーん。」(でもそれっていくらよ。ま、調べるほどの興味はないけど)
と流していたが。


ちがうちがう。そうじゃない。

「すごい」って言っとけばそれで万事解決なのだ。


ああ。こんなことも分かっていないから私は人付き合いが苦手なのだ。
それくらい適当にいなしておきさえすれば、何事も上手くいくというのに。

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