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祈り

今月は父の2周忌です。

なんだか、あっという間の2年間でした。


精神疾患の障害者一級の、重度の父は、着替えも、食事も、お風呂に入ることも、一人では出来ませんでした。


クリニックでも、院長自ら、即刻入院が必要と言われていましたが、父は拒みました。


約数十年、父を介護してきました。
20代の、青春時代から、父が亡くなるまで、全てを捧げました。


時折、ふと、

あたしだって、あたしの人生があるんだよ!なんで、父さんばっかり優先して、家族は後回しになっちゃうの?!


というような、本音を漏らし、夜中、家を飛び出て、ただ、やみくもに道を歩き、自分の不甲斐なさを呪いました。


父だって、好きで病気でいるわけでは無い。


そんなの、重々承知していた。


なんのハプニングが起きない平和な一日なんて、一度も無かったのに、


父は、最後まで、家族が、心の準備が出来ないまま、事故死という形で逝ってしまいました。


自分勝手で、頑固な性格の父でしたが、最後くらい…家族に看取らせてほしかった。


搬送された病院の霊安室で、あまりにも穏やかに眠る父に向かって、


『苦しかったよね、ごめんね…ごめんね…父さん…』


と、謝り続けました。


何故なら、父は、亡くなる寸前…わたしの名前を呼んでいた…ような掠れた声を聴いていたような気がしたからです。
その時、わたしは取込み中で、直ぐに部屋に行くことが出来ませんでした。


だから、ごめんね、と…あの時、父さんのSOSをちゃんと受け取っていたなら…



わたしが…




見殺しにしたんだと…



今も、悔いています。



周囲の人達は、皆、口を揃えて、『あなたのせいじゃ無いよ』と、言ってくれます。


父の死因は、食べ物を喉に詰まらせた窒息死。
発見したときは、もう顔に生気が無く、青くなっていました。



『父さん!戻ってきて!』


と、弟と二人で救急車が来るまで、心臓マッサージをしながら叫びましたが、既に…手遅れ状態でした。


今でも、ずっと悔いて悔いて悔やみ続けています。



わたしが殺した
わたしが殺した
見殺しにした…



その思いは、わたしが死ぬまで、ずっとずーーっと、
抱え続けるのだと思います。



だから、皆様、どうかご両親を大切に。
居なくなってしまってからでは、後悔しても、しても、足りることはありません。
例え、親子仲が悪かったとしても、一生憎み続けることは無いと思います。



ふありの父、宣晴のぶはる
享年70歳
2022年4月24日没




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