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「子を産むのは罪」だと思う“反出生主義”の私の言い分

こんにちは。むび太郎です。
映画記事を書きたいのですがネタが浮かばないので、今回は割とシリアスな話をします。
最後までご覧いただければ嬉しいです。

早速ですが、皆さんは“反出生主義”と呼ばれる考え方についてご存知ですか?




反出生主義とは

簡単に言うと、
「自分は生まれてきたくなかった」
「だから人間は生まれない方がいいよね」
というふうに、生殖・出産で子をこの世に産むことが非倫理的であると位置づける考え方のことです。

そして、かくいう私も反出生主義です。


生まれてきたくなかったと思う理由

私は、子をこの世に産み落とすことは罪だと思っています。その根底にあるのは、「生まれてきたくなかった」という思いです。

私はこれまで生きてきて、「生まれてこれてよかった」と思ったことが一度もありません。ですからもちろん、「産んでくれてありがとう」と思ったことも一度もありません。なぜなら、生まれてきたくなかったから。それほど私の人生は苦しいものでした。

親には愛されてきたし、子供の頃はそれなりに普通の生活を送れていました。でも早い段階で私の人生は崩れていきました。裏切りばかりで友達はいないし、恋人もいないし、夢は壊れたし、お金もないし、希死念慮もあってメンタルが不安定。私には何もないのです。失うものは両親と家と命くらい。

それと、両親の夫婦仲があまり良くないので、母は私がいなければきっととっくに離婚して幸せに暮らせていたはずです。私がいなければ良かったのに……と自分の存在が邪魔に思えてなりません。

一方で、周りを見てみるとこの世はあらゆる汚れに満ちており、生きていけばそのうち子供の頃に夢見ていた全ては幻だったと知ります。子供の頃憧れた〇〇レンジャーや仮面ライダーのようなヒーローなどどこにもいないこと、桃源郷のように全ての人が穏やかに幸せに暮らせる場所がどこにもないことを知ります。夢があっても、叶う人は一握り。数え切れない挫折や苦しみを味わっても、誰も助けてはくれません。孤独はますます深まるばかり。それでもなお、誰も助けてはくれません。それがこの世です。残酷な世界です。
それに日本は経済状況も良くないですし少子高齢化もあり、お先真っ暗。


子作り・出産は親のエゴ

生まれたいです!と主張して生まれてきたという記憶がある人はいますか?いませんよね。それは親が勝手に作って勝手に産んでいるから当然です。

親は「子供が欲しい」「子供を産んでみたい」とか、老後のためなどという自分中心の欲だけで子を作り産むわけです。

でも今の世界を見て、生まれてきた子供が幸せになれると本当に思いますか?生んだ親がその子を幸せに出来るわけでも、その子に迫りくるあらゆる苦しみから守ってあげられるわけでもないのに?もしかしたら不幸な人生を歩むかもしれないし、「死にたい」「生まれてきたくなかった」と思うかもしれない。自分の子供にそんな闇を見せたいですか?守れない命を自分の欲だけで生むことはこれ以上ないほど親のエゴだと思います。そこには自分の欲しかなく、子供の未来をまるで考えていない無責任な行動としか思えません。

しかも勝手に産んだくせに、「産んでほしくなかった」「子供を産むべきではない」という声を聞けば、大人たちは「人生を切り開くのは自分自身だ」「人のせいにするな」とまた突き放すわけです。おかしな話です。


子を産みたくない

私は子供を産みたくありません。子を産み落とすことは重罪だと思っており、産むと加害者になってしまうという思いがあるからです。

自分がこれまで感じてきたあらゆる苦痛や闇を子供に見せたくありませんし、私のように「生まれてきたくなかった」なんて思ってほしくありません。それに、こんな世界で幸せに生きていけるとは思えませんし、産む国が日本ならこの少子高齢化で経済状況も悪く未来が暗い国に産み落とすのは残酷だと思います。少なくとも今の日本は、安心して子供を産み育てられる状況ではありません。本当に子供のことを思うなら、「産まない」という選択肢も視野に入れるべきだと思います。“子供の誕生は素晴らしいこと”という謎の固定観念、そろそろ変えるべきだと思います。

でも子供が嫌なわけではないので、親のいない子を引き取って育てるというのはむしろ賛成です。それは、産んだのは私ではないからです。要は、子を産むという罪はその子供の両親にある訳で、私には関係ないからです。

「いつか本当に好きな人が出来たら分かるよ」という意見もありますが、私は将来パートナーができてもその人との子供を産みたいとは微塵も思いません。私が親の嫌なところを沢山引いているように、私の子供も私とパートナーの嫌なところを沢山引くと思いますし、なにより私のような変な人間からまともな子供が生まれてくるとは思えません。余計に産まない方がいいです(笑)


赤ちゃんを見ると哀れに思う

自分でもどうかと思いますが、赤ちゃんを見ると「生まれてきて可哀想」と思ってしまいます。親のエゴで生まれてきて可哀想、と。

家族内の幸せも絶対にずっとは続きませんし、今幸せそうに眠っている赤ん坊もいつかはこの世の闇を見るでしょうし、いつか壁にぶち当たり辛い思いをすることでしょう。その時に親がその子を守れるか、はたまた守れないかは親次第です。または死ぬほど辛い出来事に耐えかねて自殺するかもしれませんし、若くに志半ばで病死するかもしれません。逆に非行に走って犯罪者になり裏社会で野垂れ死にするかもしれません。何が言いたいかというと、誰もが幸せに生きられるとは限らないということです。その点で、そもそも産まなければそんな心配もありません。


親に思うこと

子育てしながら幼く言うことを聞かない我が子にムカついて手をあげたことがある親は多いと思います。虐待というほどではありませんでしたが、私もよく叩かれていました。

手をあげずとも、我が子に酷く腹を立てたことがない親はいないでしょう。自分が勝手に産んだくせに、子供が反抗したり思い通りにならなければ腹を立てて手をあげるっておかしいと思います。

「あなたにかけたお金は無駄だった」とか言う親も同じです。そんなに嫌なら産まなきゃよかったのです。子供を産んだらお金がかかるのは当たり前なのですから、かけたお金が無駄に終わったら怒るのなら産まなきゃよかったのです。誰も頼んでいませんからね。勝手に産んだくせに子供が不出来で怒るなら、です。
 


さいごに

反出生主義と呼ばれる考え方はまだまだ知られていませんし、私のように考える人は圧倒的に少数派です。決して理解されないと思います。でも私は子を産むべきではないと思うし、産みたくもありません。

しかしながら、こんな考え方をする自分を我ながら残念に思っているのも事実です。

この記事が反出生主義を知るキッカケになれば嬉しいです。そして、子供が欲しいと思っている人や産みたいと思っている人が、「本当に自分がその子を幸せにできるか」「この世界が我が子が生きるに相応しいか」など、子供の未来のことを考えるきっかけになれば嬉しいです。


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