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線維筋痛症の私が救急車を呼べなかった本当の理由

先日、病院のお休みと私の体調不良が重なり、薬を切らしてしまい、激痛のため全く動けないことを私はツイートしてしまいました。

私が安易なツイートをしたことで沢山の人にご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ありません。

結果、ツイートを見た友人が救急車を呼んでくれました。それについてはとても感謝しています。

ただ、あのツイートをした理由は、
呼ぶ勇気がなかったからではなく、その先の現実が目に見えていたからです。

それは私が、約6年間の闘病のうち、以前にも何度か線維筋痛症が原因で救急車搬送されたことがあるからです。

あの時、激痛で長文を書くこともできず、精神的にも弱っており、あのような書き方しかできなかった自分の責任で、多くの人を心配させてしまったこと、振り回してしまったこと、本当に申し訳なく思います。

なので、今回私が救急車を呼べなかった本当の理由をまとめて書きたいと思います。

救急車が到着してからの出来事

救急車の中で、受け入れてくれる病院が見つからず、何件もたらい回しにされる現実を改めて目の当たりにする

受け入れ先が見つかっても、内科的・外科的病因がないため入院できない

病気への理解のない両親が呼び出される

搬送先の医師も線維筋痛症について詳しくないため、沢山の失言を受ける

入院できないため、動ける日が来るまで自宅にて安静、自力でかかりつけ医に通院できる日を待つしかない。

一番傷ついたのは、医師から「なんで、難病指定受けないんですか?」と言われたことです。

私が手続きを怠ってると思ったのかもしれません。

そうではなく、線維筋痛症は難病指定を受けてないから、受けられないんです。

ほとんどの医師は、線維筋痛症が難病指定を受けてないことも知らないです。

そもそも線維筋痛症という病名を知らない医師、線維筋痛症という病名を知っていても存在しないと考えている医師ばかりです。

その現実を改めて目の当たりにしました。

こういった状況の中で、やはりどうしても、

昨年、難病指定を受けられずに激痛耐えかねて貧困のまま自死を選んだ同病の友人を思い出さなくてはならなりませんでした。

それは、決して他人事ではないことを改めて思い知らさせれました。

そして、入院できないため数日分飲んだところで自力で病院へ行けるか分からないまま、また帰らさせるのです。

これは周りに、病気への理解がある家族やパートナーがいるかどうかで大きく変わるのは承知です。

ですが、
私が何年もの間この病気と共にしていて、
ある程度予想ができてしまっていたから、
だから救急車を呼べなかった(呼ばなかった)のです。

怒涛のように様々な現実を突きつけられ、正直今は放心状態です。

現在モデル活動をさせていただいてますが、
当日まで体調が分からないこと、
そのせいで色んな方にご迷惑をおかけてしていることへ申し訳なく思うと共に、

友人と同じ状況になることへの恐怖に毎日怯えています。

今はどうすることもできませんが、先日から

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どうか、どうかご支援をお願いできたらと思います。 **

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麻宮もころ 2019年3月5日

線維筋痛症という難病と闘っています。サポートしてくださると治療費に充てられます。宜しくお願いしたします。