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21歳 女 大学生 双極性障害と向き合う人生日記

Note始めました。モモです。
こんにちは。


双極性障害について


つい先日、双極性障害と診断された私の日常を共有していこうと思います。
双極性障害って何なん?と思ったかたはプロが書いている記事がありますので、↓↓こちらをご覧ください。


なんでノートを始めようと思ったかは、、、自分の居場所が欲しかったからです

大学に入学して3年目の春、大学でできた友達は一人もいないです。
ていうか、友達の定義ってなんですかね、、、?
ここでの友達の定義は「プライベートで遊ぶ」ということにしておきます。

本題に、戻って、、、Noteを始めた理由
誰かに見てもらうこと、誰かに発信しているという意識を持つことで一人じゃないって感じることができるかなと思い始めました。

もともと、ブログ運営などいろいろ興味があったので、それの第一歩としてというのもあるかもしれないです。
Noteを開設した一番強い動機としては、
同じ双極性障害や、その他持病・障害などで苦しんでいる人・日々葛藤している人たちとお互いを支えあう場を作りたかったからです。私の居場所にも、読者の方の居場所にもなる。そう考えました。

一般的に、双極性障害は「自殺率」が高い脳障害とされています。
実際に、私は何度も死にたいと思ったことがあります。
私は、死にたいと思うというより自分の存在価値が分からなくなってこの世界たった1人しかない。という感覚になって自分の命がどうでもよく思えてくるという感じです。

同じ仲間や、双極性障害だけではなく、社会人、学生に限らずこの世界が生きづらいと感じている人たちの「一人じゃない」という感覚を持てる居場所にしたいです。このNoteが私だけではなく、多くの人の居場所になれば良いなと思ってます。

この記事を見つけてくださった方々が気になる

私の生い立ち


について書いていきます。

私が自分自身が周りの人間と違うかもと気づき始めたのは高校2年生の時でした。
 学校に行くことがどんどん苦になっていき、最初は思春期特有の「学校めんどくさいよ~」的なかんじかと思っていましたが、学校に行くと涙が止まらなくなって、吐き気がする。そんなことが続き、学校に行くのは週に2回ぐらいになっていきました。それでも週2回学校に通えていたのは、私は勉強が好きだったからです。
 高校2年生の時から、自分の気分の波に自分自身が飲み込まれていくようになり、とてもやる気のある日と、全くない日が交互に訪れていくようになりました。この波に当時の私は完全に支配されていました。
 なぜ、この時病院に行かなかったのかについて。高校生17歳。JK。
自分が精神科にいくなんて、その状況を到底受け入れることが出来ませんでした。親や友達にも相談できず、1人、自分の頭の中に私を含めて架空の5人家族を作り、彼らと脳内で話すことが私を保つ唯一の方法でした。(今考えるとかなり重症だったのかなと思いますが、生きてこれたのですべてよし。)

高校3年生
 私の通っていた高校は皆が国立大学を受験するような、地域の中では賢いとされていた高校だったので、私の身にも「大学受験」というものが覆いかぶさってきました。先ほども言いましたが、私が勉強は好きでした。大学受験をすることを決意し勉強を始めました。
(勉強だけが自分の存在価値を高めてくれる感じがしていて、いまでもその感覚はあります)
 ここでも、もちろん気分の波は相変わらず。
 学習塾に入塾しましたが、家から出ることが出来ず2か月で退塾。
 「周りの子はいっぱい頑張っているのに、自分だけこんなに頑張れない、自分だけこんなに怠けている。」と自分を責め立てるようになりました。
 周りと比べては落ち込むことの連続で、、、それでも、勉強だけは家で続けて(超マイペースですが、、、)どうにか自分を保っていました。
 高3年の文化祭の時に、好きな人が出来たことをきっかけに私の人生は変わりました。それまで学校に行くことが苦痛でしたが、好きな人ができたため、頑張って毎日学校に行くようになりました。高校生の時の私にとっては、好きな人そのものが生きる指針になっていました。(ちょっと怖い💦)
 大学受験も無事終わり、難関大と言われるところに入学することが出来ました。ですが、ここからまた気分の波に飲み込まれていきます。高3年生のときは毎日学校で好きな人に会えることが生きる源でしたが、その好きな人とはもちろん大学が一緒なはずもなく、とっても浅はかに聞こえるかもしれませんが、生きるエネルギー源を失っていきました。
 もともと大学になんの希望も抱いていなかったので、また引きこもり人生が始まりました。

大学1年・2年
 1.5年間は見事に引きこもり生活です。

 生きる意味が見いだせなくなり、あの気分の波に飲み込まれることも多くなり、、、学校に行ける日は行けるが、いけない日の方が多くなり結局出席足らずで単位は無し。という1年目でした。
 同じ大学生だった2つ上の姉に「もうちょっと頑張ろうよ🍀」と言われ、それまで誰も声をかけてくれなかった私の日常に光がさしました。そこから大学に復帰するために、まずはアルバイトを始め、大学のイベントにも参加するようにし、、、社会に慣れるための期間を半年間設けました。(大学2年の春から秋にかけて)
 引き籠ることは少なくなりましたが、それでも家から出られない時はありました。その時にまた自分を責めてせめて責めまくって、自分で自分の居場所を削っていくようなことをしていました。

現在大学3年生
 大学も対面授業が多くなり、いよいよ学生生活復帰です。

 学生生活ってどんなだろう?という感覚が強かったため学期初め4月は自力で身を粉にしながら大学に行きました。そして5月。限界が来ました。
 私にはやっぱり学生生活は無理だ。
 ですが、私には1つの希望がありました。それは大学院に行くことです。  
 「高校生から大学生にかけて苦しんできた私という存在」を研究したくて、大学院に行きたいと思うようになっていました。また、私自身の研究をすることで、私と似たような境遇の人や、障害や持病で悩みを抱えている人のために私は学問で貢献したいと思う気持ちが大学2年生の冬頃から強まり、今では大学院受験をしようと決意するまでに至りました。

大学院にも行くために、4年間で卒業証書をゲットするんだ・しなければならないんだとおもい、精神科へ行く自分というそれまで忌避してきたものを受け入れ病院に行きました。

そして、診断されたのが「双極性障害」です。

 
これから、私自身が私自身を認めることが出来るようになるためにも、勉強にも励み、学校にも行くようにします。
 ですが、やっぱりいけない日があります。ですが、自分を鼓舞してどうにか重い心を持ち上げていくようにします。
 これからの学生生活や日常生活についてありのままに共有していきます。
 自分のためにしたことは、誰かのためになって還ってくる。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
では、また会いましょう。


どうか死なないで🤞







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