これが助走になればよいと思う

割引あり

昨晩はいつの間にか寝ていた。時間としてはすでに土曜日を迎えていた。深夜2時だか3時だか、具体的な時刻はまったくもって覚えていない。起きたのは7時半前後だったんじゃないかと思う。そこから、なにも手につかない。ひとまずこれを書けているということは、うつの最悪な状態ではないことを表している。
とはいえ、言い換えるとこれを書き散らかすことくらいしかできなかった。読みたい本はたくさんある。観たい映像作品も山のようにある。遊びたいゲームの想定プレイ時間はおそらくわたしの寿命をとうに超えている。N塾でパワハラを受けたせいで大幅に減った収入を補填するべく、新たな職探しにも注力しなければならない(もう3カ月ほどたつけれど、なかなかうまくいかない)。優先順位がつかないとか、そういったレベルの話ではもちろんない。音楽を再生することはできた。うつがひどいときは音楽を再生することもできなかったことを思えば、やっぱり最悪な状態ではないことがわかる。そもそもベッドから出てこうして机の前に座ることもひとまずできている。
自分の中ではこの状況に対する説明はなんとなくついている。それが当たっているかどうか、自信はない。当たっているかどうかに関心もない。そこがいけないのかもしれない。そここそが、わたしがいまなにもできずダラダラと文字を書き連ねている理由なのかもしれない。
もしわたしが自分自身の状況を顧みて、言葉にして整理することができ、並べられた各原因に対して各対処をしていけば、それだけで理論的には前に進むことができるのだとは思う。けれど、それができない。「言葉にして整理すること」ができない。がんばったからといってそれが成し遂げられるかはわからないけれど、少なくとも成し遂げるためにはがんばる必要はあると思う。けれど、その「がんばる」というところがどうしてもできない。こうしていまの自分の状態を曲がりなりにも書いていること自体がそれに相当しうるという見方もできるから、ひとまず書いてはいる。他人から見たら何の意味もない文章でも、それを書くことで憑き物がとれたかのようにすっとなにかを始められるかもしれない。確信はないけれど、少しの期待はある。
涙が出てきた。理由はわからない。というより、考えようとしていない。
デスクトップPCの駆動音がときおりとても気になる。
少しのどが渇いているような気がする。ちょっとキッチンに行ってカップの中身を補充してくる。
戻ってきた。飲み物を補充するときというのは、わたしの場合、たいてい飲み物をを飲みたいのにもうカップの中身がないときだ。だから、おかわりをした瞬間にその場で勢いよく飲んでしまう。だから、キッチンから部屋に戻ってくる前にすでにカップの中身はまた減っていて、半分くらいしか残っていない。勢いだか元気だかやる気だかはわからないけれど、その場ですぐにまた補充することもある。今回はそうではなかった。だからわたしは自室の部屋の机の前に座ってこれを書いているけれど、そう遠くない未来にカップの中身を飲み干し、またキッチンに行くのかもしれない。こうして書いていて思ったけれど、そうしたことができていること自体が、抑うつ症状が出てはいても、その程度が最悪ではないことを物語っている。そうこうしているうちに飲み干してしまった。
この文章になにか明確な意図やテーマがあるわけではない。でも、書きつづけることが求められている。どこから求められているのかはわからない。自分の中のどういう気持ちがタイピングする手を動かしているのかはわからない。でも、止めてしまうと頭を抱えて停滞してしまう。だから、ひとまず書いている。
なにをしてもダメならば、なにもする気が起きないならば、そのまま大人しくベッドに横になる、眠るということをすればよいじゃないかと自分でも思う。睡眠はなにごとにおいても大切だという。そう思う。だから寝ればよい。そう思う。けれど、それができていたらこれを書いていない。焦燥感。そういうものがうごめいているのだと思う。

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