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吾輩は、ACである。特に問題は無い。㊶

おはようございます、宮坂 澪です。
昨日はけっこう不穏な内容の話をしたんですが、読んで下さった方、いかがだったでしょうか。

今日も引き続き霊的な事柄に関する説明をするので、苦手だと思う方はここで読むのをやめてください。
では、始めましょう。

なぜ「霊的な事柄」の話をするのか。

ああいう話をした理由というのは、霊感商法をする側の視点を説明する以外にもう一つあって。それは、問題のある宗教ないし教祖を妄信した人がどうやって自ら、カルトのマインドコントロールを解くことが出来たのか、という過程を説明したかったんです。

私は決して、世の中には目に見えない世界があるんだよ、というオカルト話をしたいわけでは無いのです。「あんたの体験こそが、霊の実在の証拠ではないか」と思う方は、私の話を最後まで聞いてください。よろしくお願いします。

さて突然ですが、前回ご紹介した、元オウム真理教の信者・上祐史浩氏のインタビュー動画をご覧になった方はおられますか。
ご覧になったという方にとっては「ああ、知ってるよ」という話を少し説明するとですね。

まず動画のタイトルなんですが、「元オウム真理教 上祐史浩/早稲田大学院からJAXA内定も麻原と出会い教団幹部に」とあるんです。このタイトルを見たら大体予想がつく事なんですが、上祐氏は理屈っぽい事を言う人です。とても、霊や占い(予言)などの前近代的な迷信を信じるタイプでは無いと思えます。いかがでしょうか。

そんな上祐氏がなぜ、「ハルマゲドン(人類最終戦争の予言)」を標ぼうするオウム真理教の信者になったのかといえば、ご本人の話によると
「大学に在学中、神秘的な事柄に関心を持つようになり、オウムに出会う。山奥の施設でのセミナーで、ヨガの修業を行った。そこで10時間に及ぶ修行(ヨガ・瞑想など)を行い、それを何回か繰り返すうちに、神秘体験(体の感覚が無くなる、光が見える、不思議な体験をする)をするようになり、教祖に帰依するようになった」
との事です。

オウムではこういった「神秘体験」が重要視されており、それが信者の信仰を支える大きな要素になっていたのです。(最終的に、LSDという覚せい剤を使用するようになった)

また、神秘体験に関する知識が無い人たちはそういった体験をすると、「教祖の力だ」と思い込んだようです。いや、そう思わされるように、誘導されていたと言うべきなのかもしれない。なにせ信者らは、外界から隔離された状態で瞑想や苦行を行うのですから。
ちなみにこの「外界から隔離された状態で、数日泊りがけで何時間もセミナーを受ける」手法は、統一教会と共通しています。

それで、話を元に戻すと。上祐氏は動画内で、そういった神秘体験に関しては「変性意識状態」であると説明しています。

変性意識状態というのは、いわゆるトランス状態の事です。
この状態を作り出す方法は、体を極度に疲れさせる、瞑想する、薬物を使用するなどがあります。個人的な感覚としては、トランス状態になりやすい人と、なりにくい人がいると思います。

重要な事は、変性意識状態は人為的に作り出せるという事実です。決して、神秘でも何でもありません。人間の、脳の機能の一つにすぎない。それが変性意識状態です。

変性意識状態になると、どんな事になるのか。それは、人にもよるとは思うんですが、上祐氏の場合は「体の感覚の変化、光を見る」等の体験をしたようです。

私の場合は、前回説明した「何者かの声、姿が見える」「体の感覚が無くなる、強い光と意識が一体化したような感覚、手に重みを感じる」などの体験をしました。上祐氏との違いは、ヨガの修業中とか瞑想中とかではなく、睡眠が引き金になっていたところでしょうか。多分私は遺伝的に、変性意識状態になりやすい体質だったのかもしれないです。

これは、人にもよると前置きをしてから、言うのですが。
私は、自分はもしかしたら精神分裂病、今で言う統合失調症だったのではないか、と思っていたのです。そして、その事によって「閉鎖病棟に入らなければいけない」という恐怖があり、現に「幻覚や幻聴」の症状で入院していたいとこと、私の違いは何だろうと、何年も悩んだのです。小学生の半ば頃から、あるていどの大人になるまで。

しかし、ある時こういう結論に思い至ったのでした。
「姉ちゃん(いとこ)と私は違う。姉ちゃんは川の向こう側にいる。私と姉ちゃんの間には、渡れない川がある。私は病気じゃないから、しっかりしなくては。こんな事(統一教会での献金地獄)している場合じゃない」と。

なんというか、「神秘体験」をきっかけに100パーセント信じて入った統一教会で、霊感商法という犯罪行為、信者らが陥っている信仰者らしからぬ選民思想(教団外部に対する差別感情)、婦人たちの海外宣教と二世へのネグレクト問題、信者らの慢性的な貧困生活などを見るうちに、私の信仰心は「なんだ、素晴らしい信徒たちと聞いていたのに、酷い有様じゃないか。こんな大人になりたくない」と、冷めていったのです。

まあ、酷い人生の回り道をしたとしか言えません。
(偶然の一致と予知に関する説明は、次回やろうかと思ってます)

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