見出し画像

【ポケカ】「強くなりたい」とは

 こんにちは。チーム千里眼の密林(@miTSUriN_miri)です。
 今回は、いわゆる「ガチ勢」のモチベーションについての話をしたいと思います。ここで言う「ガチ勢」は広い意味で、「ガチ勢」どころか「ポケカプレイヤー」とすら見なさない人もいるであろう、イカサマをしてしまう人も含まれます。

 そうした「ガチ勢」のモチベーションは、ときにすれ違うことがあります。自分が何故ポケカで「ガチ勢」をしたいのかを言語化したり、皆さんがポケカで「ガチ勢」をする理由を見つけられたりできればよいと思います。
 また、色々な「ガチ勢」のありかたを想像することで、カードゲームプレイヤーを眺める視野が広がればよいとも思っています。

目的と手段

 皆さんは、ポケカで一番楽しい瞬間はいつでしょうか。私は大会で勝つ瞬間であり、より厳密に言えば、自分のガンメタ陰キャ構築で相手のトップメタを食いつぶしながら大会で勝つ瞬間です。
 めっちゃ気持ちいので陰キャデッキ同好会に皆さんも入りましょう。(こんなん無理だって……みたいな顔されるのほんとに好き)
 こうした私のスタンスを分解するならば、「自分の好きなデッキで」「大会で」「勝利する」ことが目的だと言えます。ただし、この目的にも優先順位があって、「大会で勝利する」ことのほうが、「自分の好きなデッキで勝利する」ことよりもはるかに優先されます。
 そのため、私は常々「ああ、ポケカがうまくなりたい。強くなりたい」と思っています。こうした私の視点を簡略化すれば、「勝つこと」が目的であり、そのための「強くなる」ことは手段だと言えます。

 しかしプレイヤーの中には、きっと「ポケカが強くなる」ことが目的であり、その結果として「大会に勝つ」がついてくることを望む人もいるでしょう。そうした人の視点を簡略化すれば、一度や二度の大会で運よく勝利することよりも、その大会を通して強くなることの方が、結果それ自体より大事だということになります。

「強くなりたい」と「『強い』になりたい」

 そしてもう一つ、「『強い』になりたい」というモチベーションがあることを忘れてはなりません。これは、「強くなりたい」とは異なる概念です。
 「強くなりたい」というのは、前の自分と比較した向上を指すのに対して、「『強い』になりたい」というのは、『強い』という状態になりたいことを指します。つまり、実際に強くなっているか、ではなく、自分や他者が『強い』と認めるような存在になりたいことを意味します。

 平たく言ってしまえば、虚栄心に分類されるでしょうか。「自分は強い」と思える状態、他者から「強い」と認められる状態を『強い』とするならば、そうした状態になりたい、つまり「『強い』になりたい」人もいるのだと思います。

モチベーションのバランス感覚

 そのほか、「好きなポケモンというコンテンツで遊びたい」「好きな友達と遊びたい」「ポケカを通して色々な人と関わりたい」など、別にガチ勢に限定しないようなモチベーションもあります。
 実際には、こうした複数のモチベーションが複合して一人の「ガチ勢」を形作っているのだと思います。ただ「強くなりたい」であり、強くなれさえすれば大会で負けても一人ぼっちでもポケモンでなくてもいい、という人は少数派でしょう。

 当たり前のようですが、「ガチ勢」と「カジュアル勢」を分けるのはその活動スタンスやモチベーションであり、活動スタンスもモチベーションに起因するものなのですから、モチベーションのあり様そのものが「ガチ勢」のあり様となるのは自然な話です。
 そうした中で重要になるのは、複数のモチベーションがその人の中でどうバランスを保っているか、という点です。
 もし「特定のデッキで勝ちたい」という要素があまりに強ければ、そのカードがレギュ落ちしたらやめてしまうかもしれませんし、「友達と」という要素が強いなら、友人がやめるのをきっかけにやめてしまうかもしれません。

 大会で負けが込んだ時、なかなか結果が出ない時に、自分を見つめなおすきっかけになるのがこのバランス感覚だと思うのです。
 私は「強くなりたい」し、「『強い』にもなりたい」です。もし勝てなくても、チームメンバーが勝てば「ああ、自分たちの研究やプレイングの結果が出たな」と思えるので、少しでも「強くなった」と思えますし、その結果として色々な人と関わり、認めてもらうことができれば「『強い』にも少し近づいた」とも思えます。そう思うことにしている、が近いかもしれません。自分のモチベーションの保ち方ですし、モチベーションを再認識して得られる、「ポケカガチ勢」の楽しさの気づき方でもあります。

 皆さんも、どうしてポケカをやっているのか、どうしてガチ勢をやっているのかが分からなくなることがあると思います。また、周りのガチ勢がどうしてポケカをやっているのかが理解できないこともあるかもしれません。そうした時に、こういうモチベーションのバランス感覚を見詰めることで、新しい発見があればよいなと思います。

余談:イカサマをするプレイヤー

 余談ですが、この話はイカサマに手を染めてしまうプレイヤーにも同じことが言えると思います。彼らは、恐らくはこの「モチベーションのバランス感覚」を崩してしまったのではないでしょうか。
 「『強い』になりたい」「勝ちたい」というのは、「強くなる」ことをあくまで手段とする見方です。これ自体は誰にもあるものですが、この二つが他のモチベーションを凌駕するほどに強くなりすぎた時、人はイカサマに手を染め得るのだと思います。

 皆さんは、「ここでイカサマをすれば勝てるな」と思ったことがありますか? 私は、あります。でもしませんでした。こうした思考が去来する程度には私は「勝ちたい」のモチベーションが強く、こうした思考を実際の行動に移さない程度には私は他のモチベーションが強かったということです。

 だから私は、「勝ちたい」に呑まれすぎないようにしなければいけない、と意識をするようにしています。絶対に後悔するのは自分だと思っているからでもありますし、「勝ちたい」以外のモチベーションを失いたくないからでもあります。その他、周りの人間や対戦相手を裏切りたくない思い、そんな勝ちを勝ちと思うようになりたくないという思い、色々な理由はありますが、それらは全て、「勝利」という甘美な誘惑への自制の範囲です。

 イカサマは絶対に許されません。そうした中でも、他者や自分のモチベーションを理解することが、イカサマをしてしまう人間を構造として理解することに繋がると思います。そしてまたその理解はさらに、自分の心情を受け止めること、自分のモチベーションのバランスを保つことにも繋がっていくと思うのです。

 乱文ですが、ご一読ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?