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「一流」のオーケストラとは?「地方」「都市」のオーケストラの違いとは?

オーケストラに一流も地方も都市もない!というのが結論だが、まあゆっくり時間がある方は読んでみてください。

職場や、出かけたホールの客席などで、同僚やお隣の紳士にこういう質問をされることがある。

「一流のオーケストラってどこですか?」
「やっぱりN響が日本一なんでしょうか?」
「この地方だと、〇〇フィルが一番上手いんでしょうか?」

私は、これらの質問に対して特に迷いなく答えてあげるのだが、本質的なことを考えてみると、泥沼にはまったように抜け出せなくなってしまう。そもそも一流とは?日本一とは?

様々な価値観があると思うが、私なりの考えをまとめてみたい。

オーケストラ(ここではプロのオーケストラに限ります)の演奏を楽しむ人の中には、次のようなタイプがある。と、勝手に分けてみた。

①各オーケストラには演奏レベルが存在していて、明確な序列に分けられると考えている人
いわゆる世界三大オーケストラの中の一つに挙げられるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のような世界的な楽団が、一流と呼ばれる。私も以前、noteの中で海外オーケストラについて記述したが、海外から招聘されるオーケストラにはほぼ間違いがないのは事実としてある。また、日本国内のオーケストラに絞って考えると、「ここのオケが上手くて、そこのオケは二流かな」と、口には出さなくても心の中で考えている愛好家はいる。おなじA県の中でも序列を見出し、「ここは一番上手いから」と薦める人もいる。

②各オーケストラには「個性」があって、技術的なレベルではなくそれらを楽しむ人
「ここの地方だとAフィルが一番上手いですよね?」と質問された時に、私は「Aフィルは人数が一番多くて、編成の大きな曲の時には特に素晴らしいサウンドを聴かせてくれます。音楽監督もとてもフレッシュで、オケのメンバーも個性的で聴いててとても楽しい気持ちになります」と答える。

「その次に上手いのは、Bフィルですか?」という質問には「そこは、規模は小さいのですが堅実な音楽作りが特徴で、プログラムも凝ったものが多いので面白いです」と答える。

他にも「この地方にはCフィルもあって、ここは音楽監督がベテランで、その人が振ると物凄い演奏になるので、ぜひ聴いた方がいいです」とか「ほかにもDフィルは最近出来たオケで、規模の小さい編成や現代音楽がとても強いので、今後もすごく楽しみです」などと付け加えることがある。


さて、お分かりのように私は後者のタイプの人間です。

確かに、ベルリン・フィルやウィーン・フィルと日本のオケを比べてみましょう!と言った時に、技術的な差はどうしても生まれてしまうというのは、事実として言えることだろう。では、ベルリン・フィルの『英雄の生涯』と、日本の〇〇フィルの『英雄の生涯』とでは、ベルリン・フィルの方が良かった!上手かった!だから〇〇フィルは劣る!と、評することがあるかといえば、まず有り得ない。

それは、目指す音楽が全然違うからだ。ベルリン・フィルにはそこの良さ、〇〇フィルにはそこの良さがある。技術も方向性も違うのは当たり前なんだから、それぞれの良さを楽しみに聴かないと、序列化だけを気にしてしまう面白くない聴き方になってしまう。


「東京のオーケストラ」と「地方のオーケストラ」という区分けをする人がたまにいる。東京という一大都市に本拠地を置くオーケストラがサラブレッドで、他はあくまで地方にあるオーケストラ。「地方オケ」と称して、たまに東京に来て公演をすると「地方からわざわざ来てくれたから聴きに行くか」と内心どんなもんかと評価をしに行こうとする人。「東京で公演して、認められたら一流よね」という定規を持っている人。

「地方オケ」という言葉が気になって、ちょっとネタのつもりで上記のようなツイート(ポスト)してみたら、思いの外に反響があった。同じように感じている人が結構いたみたいで、安心した。

どんな場所にあろうと、どれだけ東京から見て「地方」にあろうと、プロのオーケストラ集団はプロである。だから鍛え上げられているし、ほぼ確実に間違いはない。また、各地でオーケストラを聴いてきたけど、本当にそれぞれ個性の違った音を出してくれる。東京に複数あるオーケストラを聴いてもそれぞれ全然違う。なんなら、一つの楽団でも指揮者が変われば全然違ったものになる。これが面白いから色々と聴きたくなる。つまり、どれが一流かとか、都市だから、地方だから、みたいな区別は全く無いのである。私から言わせたら、全てのオーケストラが一流であり、なんの違いがあるかというと、音楽の方向性や音色の個性だと思う。


私自身も、この数年で価値観が色々と変わって、以前noteに「地方オケ」という単語を使ってしまっていることに気がついた(ただ、蔑視の意味合いではなく便宜上用いた方が分かりやすいと判断して用いていたのが不幸中の幸いみたいなところがある)。恥ずかしい限りである。他にも「演奏会の感想でネガティブなことは書かない」としながらも、今年に入って割と辛辣なことを書くこともある。ただ、誰も傷つかない表現に収めるようにはしていて、気になったことや価値観の異なった部分を書くに留めるように心がけている。

SNSを始めてみて感じたのは、そういう新たな考えや価値観が自分の中で生まれたり、研ぎ澄まされたりすることである。固執するのは良くない。何をするにしても、何を聴くにしても、常に色んな視点を持ち続けたいと思う。

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