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「見えている景色、受け取れる思考・感情は、私だけのものだ」という事実

あるひとつの景色を、複数人で見たとしよう。たとえば、この写真のような景色。

このnoteを読んでいるあなたには、どのような景色が見えているのだろうか。どんな思考が浮かび、どのような感情が心に渦巻いているだろうか。

同じ1つの景色を見ていたとしても、どこに着目して、どんなことを考えるのかは、人それぞれ違う。

天気がよくて対岸まで景色が見えるな~とぼんやり思う人もいれば、手前の建物の看板に目を凝らした人もいるかもしれない。海がきれいだな~と思う人もいれば、海のあまりの青さに慄くおののく人もいるだろう。

私はというと、海の青の濃さに惹かれて忘れられない景色となった。海が好きだからこそ、日本全国の海のある街の景色をたくさん見てきて。そんななかで見たからこそ、ほかの街と比較して「海の青の濃さ」を感じられた。海のある街の数だけ、そこに作り出される景色があって、そこに住む人たちがいる。だからこそ、海のある街にとてつもなく惹かれたんだ。

そう。タイトルにもある通り、「見えている景色、受け取れる思考・感情は、私だけのものだ」という事実。当たり前だけど、ついつい忘れてしまいがちになってしまう事実。

その事実を理解しようとすると、目の前の景色から受け取れる思考・感情が、なんとも尊く価値あるものだと思えやしないだろうか。だって、「この」思考や感情を持てるのは、ほかでもなく私だけ、なのだから。誰にも奪われない、唯一無二のもの。

そんな、笑っちゃうような哲学的なことを、ふと考えた。当たり前すぎるのだけど、改めて言葉にするとハッとした。なによりも、「見えている景色、受け取れる思考・感情は、私だけのものだ。誰にも奪われやしない。」と唱えるだけで、私が私自身をより強く大切にできるような気がしたのだ。

と、同時に、こんなことも考える。「ほかの人が見ている景色、受け取っている思考・感情も、その人だけのものだ」ということを。いくら分かったつもりでいても、完全に理解することはできないし、奪うこともできない。つい、分かったつもりになって、衝突してしまうけれど。

最近になって、パートナーと価値観の違いで衝突が増えた。今まで生きてきた年月の積み重ねだけ、違う思考・感情を持っている。頭ではわかっているけれど、感情を前にするとつい傷つけ踏み込み合ってしまう。

そんなときこそ、唱えたい。「見えている景色、受け取れる思考・感情は、私だけのものだ。誰にも奪われやしない。そして、相手のそれらも、決して奪うことはできない」ということを。

私の見ている景色も受け取る思考や感情も、大切で尊ぶべきものだ。けれど、私以外のそれらも、それぞれにとって尊ぶべきもの。

最近、こんな言葉にすれば当たり前のようなことすら忘れるほどに、日々に余裕がなかったな。ついつい感情的になってしまうときに、ちゃんと心の中で唱えてみよう。

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