見出し画像

記事タイトル無題:愛について

京都河原町23:50発、正雀行きへ乗る。阪急京都線・大阪方面への最終列車に乗るときは、話に華が咲いた友達と素敵な夜を過ごした日か、河原町のワインバーのお手伝いをしに行った日か、その両方だった。

物腰柔らかで、ワインもごはんも大好きな女性店主が切り盛りしているそのお店は、地図アプリで見つけた。ワインが飲める雰囲気のいいお店を探していた当時、地図アプリの口コミを見て、友達と飲みに行った。失恋したり、恋に悩む女友達とワインを飲み、店主さんにアドバイスをもらったり、泣きながら語った日の帰りの阪急電車は、お酒を飲んだ人たちばかりが無理やり乗りこんでいて騒がしい、けど、満たされていてちっとも気にならなかった。

最終列車に乗って、15分で着いていた京都の家。結婚をして、今では25分かかるようになる場所へ引っ越した。
近いようで遠い。遠いようで近い。

夫とふたりの家を借り、暮らし始めて3週間。
阪急電車を降りて、ホームから改札へ向かうときの大きな電子看板に病院の広告が載っていた。「あ、この広告、あの病院だったのか」と気づいた。いつも国道沿いを通るときに車で前を通っていた病院。駅を使って、いつもと同じ時刻の電車に乗って初めて、暮らしが変わったことを頭で理解したような気がした。

こんな人と出会ったら、こんな恋ができたら、恋人とこういう関係でいられたら。
何かを保証として結婚をするのだと思っていた。

でも、恋愛なんて事故みたいなものだった。転ぶときに、こけ方を想像して転ぶ?未来から逆算して今を手に入れようとすることはできなかった。今この瞬間を生きた先に、起きたこと。

恋愛が終わるとき。フラれたとき、フッたとき。告白を断ったとき、告白もさせてもらえなかったとき。今回はなぜダメだったのか、を考えてそれを改善していった先に、運命の人と出会えると思っていたけれど、現実はそうじゃなかった。何かをしたから、与えられるものではない。

隣人を、愛することかもしれないと思えてきた。

同性とか、異性とかではなく、ひとりの人間として、手の届く範囲のひとたちを心から愛する。そんな自分をたまたま見つけてくれた人がいた。私の良さに気づいてくれるひとだった。私は、その人の良さを気づける人間になっていた。本気で人を大切にするから、自分を大切にしてくれるひとの愛に気づける。

いつも地図アプリを開かないと不安な、初めて歩く道。
最寄り駅までの往路は地図を見ながら来た。最終列車が最寄り駅に着くころには、案の定携帯の充電は切れていて、地図を見ずに帰った。

初めて通る道。初めての「帰り道」。それなのになぜか道がなんとなくわかった。寝苦しかった長い夏が終わり、涼しい風が吹き抜ける、秋の夜になっていた。最寄り駅から徒歩15分の道のり。いつかこの道を酔っぱらってでも無意識に帰れる日が来る。そう想像すると、ちょっとだけ涙が出た。
結婚は目的じゃない。頭でわかっていても、華々しいゴールに感じられるときも、邪魔な足かせに感じるときだってあった。自分は自由なんだ、と思える理由を探していた。
引っ越す前に、生まれて初めて、暮らす地域の子どもの保障制度を調べた、この街。私は、夫と長い時間を過ごすと信じていて、この人がずっと隣にいる人生を送っていくんじゃないかと思えている今が、すごく奇跡みたいで、うれしかった。


下書きに眠っていた文章たちを目覚めさせたのは、1ヶ月以上経っている帰り道。
すっかり道を覚えた交差点で、タイトル無題で、誤字脱字だらけのまま眠っていた言葉を見て帰った。
もう季節は冬に差し掛かっている。

宇都宮美沙

作品づくりに使用させていただきます。毎年1作品は制作していきますので、よろしければあたたかく見守ってくださるとうれしいです。作品のオンライン販売もしております。