見出し画像

ゆめ

「初夢」というには遅すぎる気もするが、これは今年初めての記事なので、夢に関することを書いておこうと思い立った。

ラジオパーソナリティ、漫画家、ものまね、演劇、アニメーター、コラムニスト・エッセイスト。こうして見ると、けっこう夢は多かったね(過去にするのは早い?)

ラジオパーソナリティについては以前触れているので、今回は省略するとして。「♪こんなこといいな、できたらいいな」の備忘録。

上のリストにはないけど、歌手

歌うのは、楽しくて好きだ。きっかけはこのことだったと思う。

小学4年生あたりの頃、なぜそうなったのかは知らないが、西六郷少年合唱団(当時)の団長先生がはるばるうちの学校にいらして、うちのクラスで1時間、音楽指導をしてくださった。

紹介されたとき、わたしは歴代のアニメなどを調べていた――今のアニメにはもう、ついていけないが――オタク気味な少女だったので、「狼少年ケン」の主題歌の少年団だとすぐにわかった。これはすごいことだと、ひとりで舞い上がっていた。

もう少し前なら、お言葉のひとつひとつを思い出せただろうが、書こうとすると思い出せない。とにかくお腹を使うこと、口を大きく開けることなど基本的な内容ではあったが、飛躍的に声が伸びるようになり、声量も増したので、今でもあの1時間に感謝している。

「天使にラブ・ソングを…」で、デロリス(ウーピー・ゴールドバーグ)がシスターたちに歌唱指導しているのを見たとき、なんだか当時を思い出してしまった。

ほかに、わたしにとっての「歌の先生」を挙げると、やっぱり真知子さんや八神さん、リアルタイムの歌手ならドリカムの美和ちゃん、洋楽ならカーペンターズのカレンさんかな。ネットがない頃からしつこいほど聴いて、皆さんの歌い方から学んだことは多い。

「歌手」を夢とするのは、若い頃は避けていた。真知子さんや八神さんみたいに、歌の上手な人に憧れてはいたけど「わたしがしていい仕事ではない」と思っていたから。

歌手になりたいと強く望まないのは、カラオケで疑似体験しやすいせいもあるだろう。あとは自分の声が嫌いなせいかな。歌うのは好きだし、それなりに自信はあるけど、動画配信してまで聴いてほしいとは思わない。

でも、それなりに世の中や自分自身と向き合えるようになってきた今、わがままが許されるなら、あまり目立ちたくはないのでメインを張らず、誰かのバックコーラスぐらいならやってみたい。こんなジレンマの中を生きている。思うだけなら自由だし。

漫画家とアニメーター

漫画は小学生の頃から、少女ものに始まり、高学年にして父親の読んでいた「ビッグコミックオリジナル」「ビッグコミック」まで手をつけていた。どちらかといえば「――オリジナル」のほうが好きだった。

その頃連載してたのってなんだろ……「山口六平太」「浮浪雲」「HOTEL」「ラストニュース」あたりかな。懐かしい。

たぶん少年誌だったと思うけど、キャラクターの描き方などを解説しているページがあって、真似して人物画を描いていたことがある。小学生の頃は漫画家になりたかった。

それから、同じ頃に学校の絵画クラブに入っていて、あるとき、セル画を描かせてもらえたことがあった。別に、なんかのアニメに使われたワケではなく、

「セルを1枚ずつあげるから、好きなキャラクターを描いてみなさい」

という話。アニメも好きで、アニメーターもいいなあと思っていたわたしは、もらったセルに感動しつつ、いろいろ考えて、当時再放送していてすごく好きだった「アタックNo.1」の鮎原こずえを描いた。

なかなかいい出来映えだったから、しばらく取っておいたんだけど、気づいたらどこかへ消えてしまっていた。あれはもったいないことをした。

別人になれたらおもしろいのに~演劇・ものまね

移り気なわたしは、中学生になると漫画家やアニメーターへの願望は薄れ、好奇心もあり、当時の友達に誘われて演劇部に入っていた。

わたし自身は、学生時代は人前に出るのは苦手だった。オドオドしていて、はっきり意思表示のできない性格だったから。でも、長年接客業を経験した今は場慣れしたから、よっぽどの大舞台でない限り、なんとかなりそうな気はする。それでも、無理強いされるのはイヤだけど。

それなのにどうして当時は演劇部へ?と言われると、
「自分以外の人間(もの)になれるから」
これが大きかったのだと思う。

だからといって誰とでも仲良くなれるタイプでないわたしは、新聞によく載っていた「劇団ひまわり」の広告を見るたび、うらやましいと思いつつ、ヘンに目をつけられたくないしなぁ、とため息をついていた。

ほかの人になれるといえば、ものまねを見るのも好きだった。なにかの特番で、「花笠道中」を歌うちあきなおみさんと、目の前でそれを見て笑うひばりさんの姿がおかしかった。清水アキラを見るたび、「ホッペタ痛そう」「また淡谷のり子が怒ってるよ」と笑っていた。

特にすごいと思ったのは「音楽遍歴」でも書いたけど、清水ミチコさん。ピアノ芸を合わせるとホント無敵。「幸せのこだま」「幸せの骨頂」なんか、一時はずっと聴いてた。月刊明星メドレーや五輪真弓の「化け猫」とか、好きだった。

ものまねのうまい人たちはよく、「こんな感じかな、ってやってみるとできてる」なんて、簡単に人の真似をなさるけど、わたしなんてできたためしがない。できるなら、別の声で話したいし、歌いたいものだ。

「歌がうまい人は、ものまねもうまい」という説もあるので、じゃあわたしは、やっぱヘタなんだろうか……などと落ち込んだこともある。

というわけで演劇やものまねも、気づいたら諦めていた。

残り物には何がある?コラムニスト・エッセイスト

いろいろ、叶えるには難しいなと見送ったあと、自分の気質や好みから残った夢は、コラムニスト・エッセイスト。パンドラの箱であればこれが「希望」にあたる。

わたしがしゃべるとだいたいはロクなコトにならないので、書く側に回った方がよさそうだと、身に染みてわかったせいもある。

文章の道を選んだのは、学生の頃から国語は得意で、自分の考えをきちんとまとめられるようになりたい、正確に伝えられるようになりたい、と思ったから。

ただ、今は人の文章を見る立場として仕事をするほうが多いので、コラムやエッセイはnoteでたまに書くだけ。でも、これはまだ形にできそうな夢なので、現在進行形で見続けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?