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国葬は野党に何をつきつけているのか

 9月27日に実施が計画されている安倍元首相の国葬について、野党はその法的根拠の欠如を指摘してきました。立憲民主党の泉健太代表も8月26日の会見で「国葬開催は法的根拠や基準がなく、認めるわけにはいかない」と述べています。しかしながら泉氏はまた、9月2日の会見のなかで「国が関与する儀式は一つ一つ重たい。本来であれば基本的に出席する前提に立っている。それが本当に悩ましい」と話し、出席の可否については党内で議論する考えを示しました。そこで議論の一助となることを期待して、もしも立憲民主党が国葬に出席した場合に、その選択が何を結果するかについて書くことにしましょう。

 国葬に出席する場合に党としてなし得る説明は、単純な場合分けから次の二通りとなるはずです。

 ①今回の国葬は法的根拠がないものと我々は考える。しかしながら我々は今回、その法的根拠がない行為に加わることとした。

 ②今回の国葬は法的根拠がないものと我々は考えてきたが、そうではないと考えを改めた。ゆえに我々は出席することとした。

 あくまで骨格のみを書きましたが、①はあまりに露骨ですから、実際は「しかしながら」の後に「国の儀式は重たいので」「閉会中審査で一定の説明がなされたので」といった何らかの釈明が入るでしょう。とはいえそれは結局のところ、いかように釈明しようとも「自らが法的根拠がないとしている行為に加わった」ことになるため、政党の採用する論理として破綻をまぬがれることはできません。このようにして、出席した以上は否応なく②の論理を採用することになるわけです。

 そしてそれこそが罠なのです。

 国葬の法的根拠の欠如については各弁護士会や法学者らによって批判されていますが、振り返ってみれば、内閣法制局がよしとすれば閣議決定ひとつで憲法解釈まで変えてしまうという前例がつくられたのは2014年になされた集団的自衛権行使容認の閣議決定です。当時の安倍内閣は改憲の正当な手続きなしに、いち内閣の閣議決定のみによって、憲法が認める自衛権の範囲を変えてしまいました。それはまさに立憲主義や民主主義に反する行為だと、当時の野党は非難したのでした。

 今も当時と同様に、閣議決定ひとつで物事が押し切られようとしています。ここでもし野党が国葬に出席することになったとしたらどうでしょうか。その党は、国会を通さずに閣議決定ひとつで物事を決めるというやり方に自らも加担したことになってしまうのです。具体的に座席を占め、税金が使われるという形でその結果を享受するわけですから、開くべき国会を憲法に背いて開かずに、法を歪め、立憲主義や民主主義を毀損したということに加担したことになってしまうのです。このことが、たとえば「立憲」「民主」を掲げる政党の基盤にどれほどの打撃を与えることになるかは想像に難くありません。そしてまた岸田政権は、この前例をもっていっそう国会を軽んじて、強権を振るおうとするでしょう。

 国葬が国民の大多数に望まれたものでないことは、後に掲載する表のように、直近の世論調査で11回も連続して反対が上回っていることからも明らかです。また現時点では大国の首相や大統領が来る見通しもありません。それにもかかわらず、なぜ岸田政権は慣例となっている内閣・自民党合同葬ではなく、国葬の実施にこだわりつづけているのか。こうしてみると、その意図が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

 今回の国葬は、こうしたことを通じて野党の基盤に亀裂を作り、党組織を破壊することを意図した行事だということを見抜かなければなりません。出席した時点で①の退路封鎖によって②の論理に追い込まれてしまうのです。このことを察知できなければ、党組織を守ることなどかないません。自らに焼き印が押されようとしていることを立憲の皆さんは自覚していますか。自らに突きつけられた国葬であることを自覚していますか。


 ここで各社世論調査による国葬の賛否をあらためて見てみましょう。表の下側ほど新しい調査となっています。

 各社で質問文や選択肢に違いがある点に留意が必要ですが、同じ報道機関に注目して見ていくと、はじめ肯定的な評価が上回っていたNHK、産経新聞、読売新聞では、いずれも2回目の調査で賛否の逆転が起きています。はじめ否定的な評価が上回っていた共同やJNNでも、2回目の調査でいっそう差がついており、賛成が減って反対が増える一貫した傾向がうかがえます。国葬の世論はこのようにダイナミックに変化してきました。

 国葬に賛成する人たちは大部分が自民党の支持層なのですから、それを含めた有権者全体で反対が大幅に上回っているということは、野党の支持層は反対で固まっているわけです。

 実際に先週実施された朝日新聞の世論調査(8月27~28日実施)より、政党支持層の内訳を見てみましょう。上の段から順に「無党派層」「内閣不支持層(内閣を支持しない層)」「立憲民主党支持層」による回答の内訳です。

 立憲民主党が国葬への対応を考えるうえで、最も考慮すべき人たちはここにこそいるのです。

 振り返ってみればこの二か月弱のあいだ、国葬問題にしろ旧統一協会(旧統一教会)の問題にしろ、一部の気骨ある政治家を除けば、立憲民主党の対応は世論を横目でうかがいながら世論に追随するのに等しいものでした。国葬への反対の表明も遅すぎました。

 世論がどうであって、それにどう迎合するかではなくて、いかに世論をあるべき方向に引っ張っていくかという視点を持ってください。真っ向から闘いをやれば支持者も有権者もついてくるのです。それができなければ支持も勢いも失ってしまうのです。そのことを、立憲民主党は参院選の失敗とその総括を通じて学び取ったのではありませんか。

 たとえそれが強引な採決になると見込まれるのであれ、国葬をやるのなら最低限、国会は通さなければなりません。それができないならば、やってはならないということになるはずです。「このままでは我々はそのような儀式には出られない、それでは国民に申し開きできないではないか」というのが筋ではありませんか。

 支持者や有権者は、もっと信頼に値するものです。筋を通し、真っ向から力を結集して闘おうとすれば、あなたがたの呼びかけにこたえる人たちはいるのです。そしてその層は決して小さくはありません。内閣を支持しない人はいま急激に増えています。その人たちが何を求めているかということに敏感であるべきです。

 これから国葬が計画されている日にむけて、世論は盛り上がっていくでしょう。旧統一協会の問題も目まぐるしく動くでしょう。そのなかで立憲民主党をはじめとする野党各党は時代の波の中にいるのだということを自覚して、自らの歩む方向をどのようにするのかを定めなければなりません。その一挙手一投足により、世論は再び形成されるのです。

2022.09.05 三春充希