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港区王子の裏側


最初に皆さんに約束したい。

一切誇張やオーバーな表現をしないということ。脚色ゼロ。ありのままを告白するということ。


触りだけ略歴を話させていただく。

表の顔は実業家。東京港区にて会社を経営している。有難いことにおそらく同年代の会社員の方の数倍は稼いでいるかと思うが、経営の世界ではまだまだである。

その裏では、Twitterにて「港区王子」という名前で活動。美女を魅了するようなイケてる男になる方法を発信している。

「美女」は、自分の人生にとって、
いわばジャンクフードのような存在であった。

欲望のままに多くのものを犠牲にし、
二十代の大きな時間を女遊びに注いだ。

ストリートナンパ・マッチングアプリ・バー・クラブ・キャバクラ・会員制ラウンジ・港区飲みなど幅広い経路で女性との出会いを追求してきた。

六本木・西麻布のラウンジ嬢やモデルやアイドル等の芸能活動をしている子など一般に“美女”と言われるような様々な女性と逢瀬を重ねてきた。

時にはその方法を直接指導もしてきた。100人を超える様々な経歴の男性の人生をこの手で変えた自負がある。


これまで発信してきた中で自分の過去について話すことはほとんど無かった。

そんな自分のこれまで。
今まで話せなかった裏側まで
全てをここで明らかにしようと思う。

どうしてこれまで語ることが無かったか。


それは、
自分は本物の非モテであったから。

誇張ナシでコンプレックスまみれの万年童貞野郎だったから。

コンプレックスがあったからこそ、これまで自分の経歴を隠していたとも言える。


少々脱線するのだが、これを書いた少し前。

とある年上の実業家の方とお話する機会があった。

一回りも二回りも年上の、その世界ではとても著名な人であった。全てを見透かすような優しい目をし、覇気だけでその実力を感じさせるような本物の漢であった。


自分の相談を受けて、彼はすぐに、

「お前は過保護の坊ちゃんだ。
 四十になるまで変わらない」

と断言された。

気づかないうちに飾っていた自らの実質を、急所を突くような鋭い言葉で曝け出された。

思わず頭痛がするほど。人生史上に残るレベルで見るも無惨にコテンパンに叩き潰されたのだ。

ただ。その方に言われて、
グッと魂を震わされた言葉がある。


それは

コンプレックスは
他の誰かを救うためにある


という言葉である。

この言葉の潤いたるや。これを腑に落とせた時、どれだけの人の気持ちが楽になるだろうか。


今回、自分が重い腰を上げ、自分の過去について告白したのもこの言葉に魂を震わされたからだ

この記事では自分の醜いコンプレックスをケツの穴まで包み隠さず公開する。

これを見て、少しでも皆さんに気づきがあれば。

皆さんがその素晴らしい日常を前向きに自分自身道の追求を楽しむことができるようになれば幸いである。


コンプレックス祭りの学生時代
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注意:心理的に“酷な”描写が多く不快に感じる可能性があります。ご注意ください。


『過保護』に育てられた子供であった。


東京郊外の一戸建て。特別裕福ではないものの、いや、どちらかと言うとほんの少しだけ裕福な家庭で。何不自由なく育った。

幼稚園の時のことは鮮明には覚えていないが、特別悩みもなく伸び伸びと育ったと思う。動物とプラレールが好き。教室でマイペースに画用紙に絵を描いていることが多かったようだ。

小学校に入っても、何かを作ったり工作したりすることが好きで、インドアな方であった。運動大好きの活発な子に連れられグラウンドで遊ぶこともあったが、サッカーはキーパーばかりやらされているような子だった。

家族、祖父母や親戚など年配の方からは「可愛いねえ」と愛でられ、たくさん与えてもらえる性質であった。旅行にもたくさん連れて行ってもらっていた。


これも温室育ちゆえか、幼い頃は性や女性に興味を持つことがほとんど無かった

というよりか自分には「純真な“可愛い僕”である」ことが求められた。それを無自覚に自覚し、いわれるがままにその役を演じていた。

なので。2月14日のバレンタインデーにクラスの女子から運良く貰えたチョコレートも、照れ臭くて家の学習机の奥にこっそりしまい込んでいた。


中学校と高校は男子校で過ごした。
そこそこの進学校。

学校はみんな気の良い奴らばかりで、馬の合う友達もできた。ただ6年間もクラスに女子がいない。女兄弟もいないので年頃の女性と関わることは皆無。テレビで流れるような”青春学園ドラマ”は生まれようがない。

青春ど真ん中の貴重な6年間を、女性とは無縁の環境で過ごすことは“どうしようもならない悩み”であった。『どうして男子校にいれた?』と理不尽に母に怒りをぶつけたこともよくあったように思う。


女性との人間関係の欠如。
これは当時の自分からするとどうしようもない問題なので、現実逃避ばかりしていた。

『得れないもの=要らないもの』と変換する思考は“恐ろしい猛毒”である。失われた二十年に生まれ育った時代性を色濃く反映したのだろうか、自分もそのへそ曲がりな思考を強くもっていた。

本当は出会いのためにナンパでもなんでもして努力すれば、何かチャンスを生み出すこともできたかもしれないのに。現実世界での女性との人間関係を自分には『要らないもの』と思い込み、フィクションや仮想現実の世界にのめり込んだのである。

これが自分の女性への大きなコンプレックスを育むきっかけであったと思う。


振り返ってみれば、
アニメやゲームばかりの6年間だった。

勉強に関しても、テスト前ギリギリに詰め込み、平均点前後を取り安心していた。「自分はやればできるタイプだ」と思い込んでいたので、全く真面目に取り組まなかった。

言ってしまえば、
幼稚な現実逃避狂いの怠け者であった。


恋愛に興味はないふりをするものの、中学1年生くらいになって“性”には興味を持つようになった。

クラスのお調子者で、誰よりも性の先駆者であったA君がオ○ニーのやり方について誇らしげに語るのを見て、自分でも真似してやってみた。

自分の部屋で精通を体験した時は、何かとんでもない罪を冒したような気持ちにさせられたのを覚えている。

焦って、必死に証拠を隠滅し、『もうこんなことしちゃダメだ』と決意したが、結局、自らの性(サガ)には勝てずに、毎日何回も抜くほどオ○ニーにハマった。


そして、高校に入ったころ、同じ高校の中でも抜け駆けする奴たちが出始めた。

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おしゃれに目覚め、ワルぶり出した軽音部の男たちが筆頭であった。当時はmixiが全盛の時代であったので、彼らはライブを口実に女子校の子たちをmixiで誘いやり取りしていた。

彼らは、その経路から女友達を作り、合コンを通してさらに女の子を紹介され、とうとうセックスにありつき童貞を卒業していったのだ。

「全然気持ち良くなかったよ」と、さも何とも思っていないよう体で。でも顔いっぱいに広がる誇らしげな表情を隠しきれず、童貞卒業時のエピソードを語る同級生たち。

「ま○こってめっちゃ見た目気持ち悪いよ」なんて、経験が無いとわからないような話を大声で叫ぶ彼らを見て、奥底では煮えたぎるような嫉妬心を燃やしていた。


だが、自身は極度のかっこつけであった。『そういうの全然興味ない』というスタンスを取り続けた。そして、その流れに乗り損ねた。

ただ、『どこかでチャンスが転がり込んでくるかも…』という淡い期待は消えなかったので、オシャレだけはしていた。校則ギリギリの範囲で髪も染めていた。こっそりmixiも始めていた。


『いつか可愛いくて、スタイルの良い理想の女の子が、ひょんな事から自分のことを好きになり、彼女になってくれる』

そんな偶然がどこかで始まるのではないかと思っていたのだろう。


そんな風に曖昧に日々を過ごすうちに、
気づけば大学受験が始まった。

父は旧帝大卒のエリートであったので、自分も烏滸がましいながら、それより上の東京大学の文Ⅲを志望し勉強を始めた。

いつも酔っ払って遅くに帰ってきて、家でゲームをしてばかりの父を尊敬できていなかったからだ。「アイツに負けたくない」という意地だけがモチベーション。側から見たら無謀な挑戦であった。

「周りも行ってるから行ける」という根拠の無い思い込みと、「自分はやればできる」という謎の過信があった。


難関大学に、数ヶ月なんとなく付け焼き刃で勉強した程度で受かるはずもなく。するするっと落ちてしまい予定調和のように浪人生活が始まった。

第一目標は変わらず、東大一択。

進学校ゆえ、周りにも浪人する同級生がたくさんいた。あまりにもあっけなく挫折感もなく落ちてしまったので、親の稼いだ金を食い潰している自覚はあまりなかった。さも当然のように家の近くの受験予備校に通い、時間を過ごす。

予備校でつるむ友達もできた。


ただ、ここで、女性へのコンプレックスが災難となった。

なぜなら予備校には女子がいるのである。

同年代の女の子への耐性が極端にない自分には、それだけでとても新鮮であった。女性が視界にチラつくだけで一々集中が途切れる。

同じクラスの女の子たちとも少し仲良くなった。


隣の席で授業を受けているYちゃんとは一緒に勉強するくらい仲良くなった。

授業後、コーヒーを飲みながら何気ない事をだべって。お互いつも勉強に追われてばかりの現状について愚痴を話して。

少し体型は芋っぽいが顔はカワイイ系で悪くない。内心『付き合ったりできるかも』と浮かれ、無駄な時間を過ごすこともあった。

『受験が終わったら遊びに誘ってみよう』とも。

とはいえ、
流石の自分もプレッシャーは感じていた。

『この1年で勉強しまくり受かってやる』という気持ちもあったので、そこそこ真面目な様子で自習室に通い夜まで篭った。

冬には模試の結果は良くなってきて、東大でもD以上の判定が出るようになった。滑り止めの早慶には80%以上受かる判定結果も出てきた。


後は、メンタルの問題であった。

これまでエスカレーターに乗るように楽に生きてきた自分にとって、今回の受験は初めての人生の岐路。

背水の陣のような感覚。重圧をひしひしと感じた。思い詰めていた。

漠然とした焦りを感じ日々を過ごしていたが、ある時。1月のセンター試験を2週間ほど前に控えた日であっただろうか。

例の隣の席のYちゃんが“早慶コースのある男”と付き合っているという話を、友達から聞かされた。


これは控えめに言ってもショックであった。

まだ始まってもいない恋だったのに、当時の自分には天地がひっくり返るような衝撃だった。

その友達に詳しく話を聞いてみると、どうやらその話は真実らしく。その日は勉強が手につかず家に帰ってベッドに寝込んだ。その翌日だけは授業をズル休みした。


精神が弱った。周囲の人々が「大丈夫?」と心配する言葉を、試験の重圧からだろうと気を遣って飲み込んでくれているのが分かった。

そんな真っ当な理由でないのが恥ずかしかった。

まさに、ただの失恋であった。自習室に行くのが憂鬱になり、友達には理由をつけて家に閉じこもった。

現実逃避するように、AVを見てオ○ニーばかりした。ストレスを発散する方法はそれしか無かった。それに飽き足らず、試験前日にCall of Dutyをやり出すくらい“人生レベルで大切な試験まえにこの精神状態でいるという現実”が怖かった。

「過敏性胃腸炎」と最もらしい病名はあるが、要は腹痛と下痢には日常的に悩まされていた。それくらい気弱なタチでだったのだ。


試験当日も腹を下した。
心臓をバクバクと鳴らし、緊張で口をパサパサに乾かせて、なんとか本番の試験を乗り切った。


しかし、滑り止めとして早慶上智などの私大も受けていたが、私大の試験結果が郵便で届く事がなかった。つまり、まだ合格が来ていなかった。

東大の合格発表を見に行く時の足取りも重かった。この後の不幸を予期しているようで自信は全く無かった。


やはり自分の名前は無く。落ちていた。

その後の数週間は記憶も曖昧なほど。人間は本当に忘れたかった時のことは、忘れてしまうのかもしれない。

最後の希望は、他の私大の合格の連絡だけ。

その時の母の表情をよく覚えている。重圧と戦う受験生本人に気取らせないように、不安と憐憫を無理やり笑顔で塗りつぶす母の顔。

母は毎朝、郵便が届く時間に、一向に届かない結果をこっそりと確認しにいく。家族も自分を気にさせないように、何も無いかのように振る舞うが、悲壮感はリビングルームの中に満ちていた。

自分は全てを終えたつもりで、部屋に籠りゲームに没頭していた。


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3月の終わり。結局合格はなく。


二浪目が始まった。

家族も流石に憐れみを隠せないようで、必要以上に優しくしてくれた。

後から聞いた話だと、両親はいつも自殺しないかこっそり見張ってくれていたようだ。

ラーメン二郎にハマり、暴飲暴食を繰り返し、体重は10キロ増え。鏡の中の自分はのぺーっとした覇気のない、目の小さな顔をしていた。

高校時代の友達の誰とも連絡をしなくなった。いくつか心配するように連絡は来ていたが、それすらかなりの苦痛であった。

夏が過ぎたころまで勉強をすることはなかった。アメリカの大学に行くことも考えたが、我が家の家計への負担を考えても現実的では無かった。

もう一年。何の面白味もない地獄のような日々を過ごすという事。

自分の脆弱で未熟な精神では耐えかねるリアルであった。食事も美味しく感じなくなり、感情の起伏も無くなってきていた。言ってしまえば鬱のような状態になっていたと思う。


知り合いから『引き寄せの法則』に関する本を紹介され、縋るようにそれを繰り返し読みどっぷりハマった。

早くこの状況から脱したいと、”受かっている“という実現したい未来を思い込む。

無理矢理にポジティブ思考になるように。
「次はうまく行く」と、「疑う余地もない」と、自分で自分を洗脳した。


二浪目は勉強はほとんどしなかったと思う。

志望校は変えた。東大ではないが、高学歴と言われる部類の大学だ。模試の結果はいつも十分なものであった。

今から考えれば悲壮感の上に、虚勢を何重にも塗り固めただけだったが、ポジティブにポジティブにと、勇気づけられるような壮大なBGMを毎日狂ったように聴き、「自分ならいける」と思い込んだ。本当は有りもしない確信を何度も自分に刷り込むようにした。


そして明くる年の冬。ついに志望校に合格した。

両親も少し感覚がおかしくなっていたので、すべり止めとして20校くらい私大に受験料を払っていた。結果、早慶やMARCHなど東京のありとあらゆる大学に合格した。


この時の解放感は今でも忘れられない。

『やっと終わった…。』
安堵で胸がいっぱいになった。

両親がまるで地球滅亡の危機から救われたかのように喜ぶ様子も、素直に嬉しかった。この合格祭りで、家族みんなに笑いが溢れた。

現役と一浪目で、ずっと志望していた東大のことなんてどうでも良くなった。もちろん二浪したことへのコンプレックスはあるが、それよりも解放感の方が大きかった。


『これでやっと花の大学生生活だ』と浮かれきるあまり、長い受験生活で、自分の肉体や精神が醜くなっていたことに気づかなかった。

今改めて、この年の3月の家族旅行の時の写真を見ると、まるでぶくぶく肥え太った白豚のようであったのに。その時は気づかぬままであった。



勘違い非モテ時代
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20歳になり、4月。
やっと大学に入学した。

桜が綺麗に咲く、目新しい校舎。

地獄からの解放で調子に乗っていた自分は大学に入り、積極的に女子と関わる気でいた。ただでさえ周りと比べて2年遅れで大学に入ったので、青春を取り返すためとにかく必死であった。


入学式があり、その初日からサークルや部活動による新歓イベントにどんどん参加した。

新入生同士で「どこの学部なの?」なんてうすっぺらーい会話をし必死にLINEの友達を増やすような集まりばかりであった。

しかし、当時の自分には有り難かった。これまでの中学高校の友人とは関係を断絶してしまっていたからだ。

大学に入るとまた、全員、ゼロからのスタートで人間関係を構築していくことになるのは助かった。


やっと社会復帰の時がきたのであった。

先輩やたくさんの新入生と話すなかで浪人かどうか聞かれることはあったが、気を遣われしまうのがイヤだったので「浪人です」とだけ答え、二浪であることは隠していた。その時はまだ、自分にとって最大の人生の汚点を告白するのはとても怖かった。


入学早々だが、ここが友達作り、彼女作り、果ては童貞卒業に向け大事なタイミングであることに気づいていたのだ。

そんな中、とある新歓イベントでRちゃんという女の子と出会った。

その会では、たまたま同じ学部の人がお互いRちゃんと自分しかいないということもあり話が盛り上がった。フランクで話しやすい子で意気投合し、入学式以降はいつも行動を共にした。

気のいい女友達ができたようで嬉しかった。


しかし入学して3日目の朝。急にそれまでたくさんやりとりしていたLINEが返ってこなくなった。

そして教室でも突然彼女が自分から距離を置くようになった。なぜだかさっぱり理解できなかった。


昼休みに同じ学部の男子と話していると、突然、

「てかさ。お前、Rにキモいって言われているみたいだよ(笑)」

とある男子にふざけ半分に言われた。


まさに青天の霹靂であった。

詳しく聞くと、Rちゃんは自分のことを「ガッついててキモい」と同じ学部の女子たちに言いふらしているようだ。

理由が理解できず呆気にとられた。

そして、素直に腹が立った。道理で女子から白い目で見られているような気がしていたのだ。

怒りでむかつくと共に絶望した。

そこから名誉を挽回するチャンスは訪れなかった。1年生の同じ学部の女子のほとんどが、Rちゃん発信の悪評を聞いていたようだ。

大学入学3日目にして、
自分の幸せなキャンパスライフは終了した。


それでも。落ち込んでいる暇はない。何が悪かったか反省することもなく、すぐ次の目的地を探した。

学部がダメなのであれば、
その外にコミュニティを作れば良い。

そこで自分は、アメフト部に注目した。

アメフト部の先輩たちはぱっと見筋骨隆々でカッコ良かった。そしてコミュ力もあり新歓で縦横無尽に活躍していた。そして、先輩マネージャーたちがまあ可愛かった。そして優しかった。


『自分も強くてモテる男になりたい。高校・浪人で取り戻せなかった青春を取り戻したい…!』

という想いが自分の確信を強固にした。

持て囃されるままに、やたらと良くしてくれる先輩たちに乗せられ、アメフト部に入部した


これが浅はかであった。
そこから、また新たな地獄が始まる。

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毎日の練習と、週4回の過度な筋トレ。

早朝に起きて練習し、砂まみれになって走り、体をぶつけ合い、吐くまでメシを食べまくる日々。

数あるスポーツの中でもっとも事故率が高いのがアメフトである。常に身体のどこかが痛んでいた。

部活自体がフィジカルな接触があるからか、先輩たちも厳しく、いじめのような人間関係や体罰もあった。元々碌なスポーツ経験の無い自分にはしんどすぎて、練習や授業をよくズル休みした。

入学当初、いわゆる白豚だった自分は、運動量が増えて急にヒョロヒョロに痩せた。が、またすぐに、無理な食トレと汚い日焼けで土色をした黒豚のようになった。

学業のために生きているのか、部活のために生きているのか分からなくなる日常の中。

唯一の癒しは可愛いマネージャーたちであった。

顔採用がなのではないか、というマネージャーたちの可愛さに、一年の部員たちはいつも「誰が一番可愛いと思う?」なんて話しながら嬉しそうにしていた。


しかし、すぐに“ヒエラルキー”という現実を知ることになる。

つまり、先輩たちやOBたちが可愛いマネージャーを食い物にしているという残酷な真実である。

可愛いマネージャーにまんまと釣られて入部した新入生は「彼女たちが今の自分達にとっていかに手に入りづらいか」酒の場での先輩やOBたちの傍若無人な振る舞いを目の当たりにして息絶えていくのだ。

隠れて付き合っているだけというパターンも多いが、浮気や寝取られなど爛れたエピソードもたくさん聞いた。

同期で一番可愛いマネージャーが、入部して2回目の飲み会で先輩に飲まされて、目の前でキスされどこかに消えていったり。

読者モデルをやるほど可愛かった先輩のAさん。

ハーフ系で、笑顔も可愛く自分も好きになってしまった。しかし、そんな彼女が「Aはチャラいことで有名なOBの△△さんの家に持ち帰られて4Pしたらしい」と聞きたくもない話を聞かされたり。


勝手に期待して、
勝手に幻滅することばかりであった。

嫌な言い方をすれば彼女たちは先輩たちの“使用済み”なのである。純情だった自分にとって、それはとてもショッキングで『邪悪』にすら感じるようになった。

かといって今更、部外で恋愛をする暇も余裕もない。自分の見た目もデブってしまっていて清潔感のかけらもない。

大学生にもなったというのに、自分の恋愛がうまくいく気配は無かった。


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語学の授業が一緒だったCちゃん。

同じ学年で、少し照れ屋で、独特の空気を持った不思議ちゃんのような性格をしていた。

見た目は背が高く、顔も小さくて本当に可愛いかった。

授業をいつも一緒に受けているだけで、嬉しくてワクワクしていた。一緒に大学のテラスで試験勉強をしたこともある。

『いつ告白しようか。』そんなことをふわっといつも思って一緒にいたら、そんな自分の色気に気づいていたのだろうか。

彼女が自ら、「好きなひとがいるの、相談にのってくれない?」と告白してきた。

ワクワクして聞いてみると、

「でもね、その人には彼女がいて…」

またしても絶望である。
もちろん、自分ではない。

同じ学年の他の男であった。イケメンというほどでは無いが、背が高く運動神経があって人望のある彼女持ち…。『なんでお前なんだよ』と恨んだ。


恋愛は難しかった。
可愛い子を好きになることは多かったが、
ことごとく上手くいかなかった。

出会いを作る努力は少しずつ行っていた。しかしその努力はいつも裏切られてばかりだった。



地獄のようなアメフト部の練習を耐える日々を過ごすうちに、気づけば2年生になった。

「ブチッ」

練習中、突然、靭帯が切れるという大怪我をした。リハビリで半年以上欠場することになった。

その当時の4年の先輩たちは、使い物にならない自分を毎日のように徹底的にイジメた。

復帰後も、わざとちゃんと教えるべきことを教えず、名指して自分を「下手くそ」「ゴミ」と批判した。

俺の名前が出れば、部員の誰もが「はあ、あいつね〜」ため息をつくような扱いが自然となっていった。


自己肯定感を地の底まで落とされる日々。

モチベーションなどとうにない。
いつも死んだ魚のような目で練習にいき、意味もなく苦行に耐えた。何故辞めずに耐えたかはよく分からない。

ストレス発散はジャンクフードのヤケ食いと、刺激の強いオナホを使ったの自慰行為だけであった。


気づけば、大学4年生。
24歳になった。
いまだ童貞である。


遅れて来た青春


アメフト部は、怪我の再発をきっかけに選手を辞めトレーナーをすることになっていた。

その冬に先輩たちが引退した。

気づけば非道な扱いに耐えること自体が目的になっていた。

上にいる先輩がいなくなり、それがなくなった瞬間、自分はどうしたら良いか分からなくなった。


自分はここで「身体作り」に出会った。

トレーナーとしてその質を高めることを求められたからだ。

結果として、自分はこれにかなりハマった。

まずは自ら実践してみる所からと考え、個人的にジムに通い始め、トレーナー達や海外の動画を見漁ってボディビルディングについて学んだ。

そして、脂肪を落とす減量と筋量を増やすためのバルクを繰り返す。

自分で鏡で見ていても惚れ惚れする“美しい肉体”を手に入れた。


すると、気づけば、バイト先などの女子の反応が少しずつ良くなってくるように。

「結局外見じゃねえか」と毒づきながらも、少しずつ自信を取り戻していった自分。


当時、少しずつ巷で流行り始めていた“マッチングアプリ”を始めた。

ネットでその攻略法について調べたりしながら、アプリを使い女の子たちと新宿のカフェで会うようになった。


童貞は理想が高いものである。

会う女の子たちは、みんな大して可愛くなかった。写真から半減したルックスである。

彼女たちと付き合いたいとも思わないので、だいたい一回会って話して、外でお別れして終わり。

しかし「これも練習だ」と思いトークや振る舞いを改善していった。


ある日。カフェの前で女の子と解散して駅まで歩いていた帰り道。

ばったり、大学の同期のTくんが新宿西口の人通りの多いところで立っているところを見かけた。

Tくんは彼は顔も悪くなく話しやすくて良いやつなのだが、自分と似たように大学では燻っているような男であった。お互い親近感を感じて、爪弾きもの同士、一緒に授業を受けたりしていた。


久々に会って、ここで何をしているのかと聞いてみると“ナンパ”をしているとのこと。

ナンパをするということに関して、これまで自分はリアルに考えたことが無かったので彼の行動にはとても驚いたのだが、彼の熱く語る様に少し感化された。

「これ読んでみなよ」とオススメされた、
『僕は愛を証明しようと思う。』という漫画をkindleでポチッと買ったのであった。


初めてこの本を読んだ時の衝撃は忘れられない。

『最初のデートが一番セックスできるんだ』というセリフなんて、えーそうだったんか!と思わず声が出たものであった。

そのとき童貞だった自分にとって、革新的な事ばかり。何度読み返したことか。恋愛工学の存在には今も感謝している。

これがキッカケでナンパについて調べたり、女の子を即日ゲットする方法について調べて勉強するようになった。


そして、ある時。

いつものように。アプリで会う約束をした女の子と新宿駅で待ち合わせ。

「△△さんですか?」

いつになく可愛い子が目の前に現れた。


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髪はミディアムで、背は160cmくらい。

服装はスカートがなんだか少しだけ野暮ったい感じだったが、とにかく顔が可愛かった。

女の子と会う時はいつもガチガチに緊張した。しかし今回、アプリを使っていて初めて、いつも以上の緊張を感じた。

思わず素で『え、かわいいね!』と声が出た。これが逆にウケたようで「チャラい」と相手は笑っていた。

名前はEちゃん。

気を取り直して、いつもの通り「緊張するよね」みたいなあるあるの話題を振りつつお店へ向かう。

ここ最近で馴染みになったイタリアン。カウンター席。ただでさえ安い店だが、いそいそとコスパ抜群なコースを注文して話しはじめる。

カウンターに横並び。すでにこちらの身体は斜め45度で、自然と相手に向かっていた。

Eちゃんは人見知りだがよく笑う子であった。
前菜で出て来たすっぱすぎる野菜のピクルスについて盛りがあがったのを覚えている。席についている間、なんとかずっと笑わせることは出来ていた。

Eちゃんはお酒が弱く、顔が赤くなっていた。

「実は今住んでいるのが茨城で。今日友達の家泊まる予定だったけど、その子が適当すぎて連絡帰って来ないんだよね」

と言われ、『これはイケるかも…!!』と内心、意気込んだ。

ここまで長かった。アプリだけでも何人に会ったか。緊張して唾を飲み込む。


『じゃあもうちょい一緒にいようよ』

と言い内心ビクビクしながら彼女の手を取る。彼女は「え」と恥ずかしそうにするが、嫌がる素振りはない。

そして外に出た。

二人でコンビニで飲み物を買う。「まだなんか買うの?」と、この後どうなるか本当に分かっていないような顔で言われた。

あちらの手は少し汗ばんでいて。それが恥ずかしいようだ。調べておいたホテルの方へ向かう。

ホテルの前に着くと、

「え!ホテルじゃん!」と言うが、これはいわゆる“形式グダ”ってやつだ。

無視して手を引き中に入る。

心臓がバクバクしていた。
システムがよく分からないながらもなんとか部屋に辿り着く。

「えー、ここくるの何回目ー?」とカマをかけてくるが、本当に初めてなので、初めてだよと答えておく。

映画を見た。何を見たか覚えていないくらい隣に座るEちゃんに意識を割いていた。

缶のチューハイを口に運びお互い唇を濡らす。どう動いていいか分からず、映画1本まるまる見終わってしまった。

「眠いねー」とEちゃんが携帯に目を向けようとした時、勇気を振り絞って、顔を覗き込んでキスをした。

少し驚くが、強い抵抗もなく。「チャラいよ?」と言ってくるものの、そこからは拍子抜けするほどあっさりだった


生まれて初めて、女の子の服を脱がせている。

こんなにすんなり行くものなのかと感動した。よく分からないながら、なんとか下手くそなキスをして。

乳首を触って、恥部にふれて。溢れてくる蜜に触れ、こんな匂いがするものなのかと驚きながら。

自分のモノはかろうじて勃っていた。そして、自分はキスをすれば興奮するという事がわかった。身体を強く押し付け合いながらキスをし、彼女が手で自分のモノをアソコに誘導し、


ついに自分は童貞を卒業した。

行為が終わり。ソファに一人腰掛けていたときのえも言われぬ感情。

あれはもう二度と味わえないだろう。

実に24年。長年の呪縛から解かれ、喪失感すらあるほどの感動。自分が前に進めたことに自然とほくそ笑んでしまうほどの実感。

ちなみに、そのときは度重なるチ○グダで2時間してやっと果てることが出来たため、互いにヘトヘトであった。普段の刺激が強すぎるオ○ニーを控えようとも思った。


結局、Eちゃんとはその1ヶ月後に付き合った。少し距離が離れていたからこそ、たくさん外に遊びに行った。

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なんでもないところをドライブして、片田舎の一昔前のラブホに入って、イチャイチャして。

年齢にしてはピュアすぎるほどに、恋を楽しむことを知った。


ただ、それでも女遊びは続けた。
もちろん罪悪感はあった。

しかし『これを続けないとモテなくなるではないか』という焦燥感が自分を駆り立てていた。


だって、この世はモテる奴がモテるのだ。
モテなくなったら終わり。

この上昇気流をとにかく維持しなければ、昔に元通りになってしまう。

それに加えて、自身の未熟すぎる恋愛経験を言い訳にして、とにかく遊び続けた。


アプリの女の子と会って話すことなんていつも一緒だった。

適当に笑わせて、過去の恋愛の話を聞いてあげたら良い。すると、経験値の少ない相手はだいたい勝手に期待してくる。

「腕の血管すごいね」なんてボディタッチしてきてわかりやすいサインを出してくる。その後は簡単である。

モテなかった反動であろう。
かなり調子に乗った。

ありとあらゆるマッチングアプリを試し“お持ち帰り”の単純作業を続けた。

相手の緊張をほぐして、本心にもないことをチャラチャラと褒めて。堂々したふりをして家やホテルに誘う。

女性の顔面への拘りは強かったので、ブスは抱かないと決めていた。そんな時は部屋まで連れこんで添い寝してゲームクリアとした。


そのうち浮気がバレた。

「良い人間であろう」といつも心掛けていたので、なぜ遊んでいるのか、どれくらい遊んでたのかを彼女に打ち明けてしまった。

なんとか理解してもらいたい一心であった。
しかし、彼女は「気持ち悪い」の一言であった。そして最初の彼女とは別れた。


女遊びは、自己啓発的な“麻薬”である。

タバコやお酒と同じように周囲は見逃してくれるが、依存性があることには変わりはない。

そして、コンプレックスが強かった人間ほど、それへの妄信は強固となり用法容量を守れない。

社会人になってもその常習は続いた。


当時、アプリだけでは頭打ちの状況であった。

『道歩く美人に声をかけたい。アプリにいないような可愛い子を抱きたい』と思い、とあるナンパ系のコミュニティに入った。

そこで今や相棒ともいえる同い年の凄腕の男Sと出会った。

Sと過ごした濃い時間は人生の中でも青春の一幕として記憶され続けるだろう。


毎週末の金土、夜11時ごろ。
渋谷に集合した。

軽く酒を煽りながら、クラブのフロアに行って音を楽しみつつナンパをした。

声をかけて完全に無視されたり、
LINEとインスタを交換したり、
そのままタクシーに乗せお持ち帰りできたり。

どんな結果でもとにかく楽しかった。


誰も引っかからなかった朝5時ごろの渋谷の街。

一番美味しい時間帯。ハチ公前の交差点で手当たり次第に声をかけるのもお祭り騒ぎに胸が躍った。

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女子大生、美容学生、ショップ店員、フリーター、OL、、、
ありとあらゆる女の子と一夜を共にした。


相棒のSは強かった。

遊んでいる歴が長くとにかく場馴れしている。その上に顔もかっこいい。素晴らしく良いやつなので「楽しければいいよ」といつも楽しそうだったが、彼の実力に食らいつくためにも必死に自分を磨いた。

他の実力者たちに表参道や銀座でのナンパを教えてもらったり。恵比寿横丁にナンパしに行ったり。

一対一の力を高めるために始めた『東カレデート』。当時、あのマッチングアプリは最高であった。他のアプリよりも桁違いに可愛い子が多くかなりの労力をかけて研究しワンナイトを繰り返した。

次第に、本業の傍らでモデルをやっているような綺麗な子や、職場では高嶺の花扱いされているだろう可愛い子を抱くことが増えていった。

経験人数は100人ぐらいから面倒になり数えるのをやめた。

実力を高めて、その成果を人に向けて発信する。
それを人が評価してくれて、また新たな人やコミュニティを繋いでくれる。
そこから更に学んで、また実力を高める。

上昇のループに心が躍った。どこまで新しい世界が開かれていくような気がした。


港区王子になるまで


女遊びの活動を通じて、広がっていった縁にはどれだけ感謝してもしきれない。


よくお世話になっている
三橋さんに出会ったのもその頃だ。

自分が元々港区に住んでいた事から可愛がっていただくようになった。

何度遊びにご一緒したか覚えきれないくらいだが、港区の遊び方を叩き込んでくださり、自分の人生についても多くの指針をいただいた。


「お前がいうような“普通”なんてもの無いから。
“普通”なんて変わっていくもんだから。

もっとイケイケに生きた方がいい。」


夜の六本木の街を歩いている時、まだまだ未熟でな自分を叱咤激励してくださったのは今でも覚えている。


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三橋さんとの出会いをきっかけに、
港区で飲み遊ぶようになっていった自分。

当初は右も左もわからなかった。

ただ高まっていく根拠のない自信のままに、道行く美女に声をかけた。会員制バーを巡り、イケてる男たちにどんどん混じっていった。

毎晩のように何軒も夜の店やバーをハシゴした。じわじわと自分の周りの輪を広げた。

より上へ、より上へと、駆け上がっていた。


初めて西麻布のラウンジ嬢をお持ち帰りした時のことは忘れられない。

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対面しているだけで『なんでこんなにキラキラして見えるのか…。』と惚けてしまうような美女。


実際の世界で会ってみると、そこらの女の子とは比べ物にならないくらい顔が小さくパーツの配置も整っている

スッと鼻筋が通っており、蠱惑的な瞳に思わず吸い込まれそうになる。

髪から肌から隅々まで完璧にケアされていて。

服装もいかにも男が好みそうなタイトなワンピース。

思わず長い脚や胸の膨らみに目がいってしまう。


そんな美女を最初に口説いた時は、もはや何を話したかなんて問題ではなかった。

単純に熱量であった。「この女が欲しい!」というエネルギーであった。

あの手この手で笑顔を引き出して、どうにかこうにか楽しませる。

お店の外でご飯にいって、『俺と店外で会うってことは抱けるってことだろ』と自分で自分を思い込む。不安を押し退け、勢いで口説きたおした。


外に出ると少し夜の風が肌寒い。

『もう一軒行こう』

とだけ言って、少し酔った様子のラウンジ嬢をタクシーにのせて家へ。


「えー、ちょっと」

と抵抗を無視し、家でキスをして服を脱がせる。

掌に吸い付くような柔肌。きめ細やかで惚れ惚れする。

細い太ももに触れ、くちづけを華奢な鎖骨に。そして少しずつ美しい胸へ。

微かに漏れる声。

ついに相手は我慢できなくなり、こちらの顔を掴んでキスをし舌を絡ませてくる。相手も同じ人間。少し酒くさい甘ったるい味がした。

この時の興奮といったら。自分にとっては大きな自信となる体験であったと思う。


美女との逢瀬は、これまでのどんな体験よりも承認欲求が満たされた気がした。えも言われぬ圧倒的な達成感に包まれるのだ。

そんな美女を追うことの魅力に取り憑かれた。


誰もが欲しがるような美しい女性を手にすることを目指し続けた。


港区は村社会である。

間口が狭く、敷居が高く、奥深い世界。
だからこそ中に入れば得られるものは大きい。


その狭い世界に入ってみて、分かった事は「自分よりも美女を抱いている男はいくらでもいる」ということ。

上を見ればキリがない。

普通の会社員では想像もできないような大金を稼ぎ、飲みに明け暮れ、いつも遊び呆けている自由な男達がいた。

社会的なヒエラルキーの最上位で。人知れず、普通の人間でがアクセスすることもできない美女たちと密会している男達が実在した。

大手企業の会社役員、ベンチャー企業の経営者、芸能人、インフルエンサー、スポーツ選手、、、本当に美女にモテる男たちの実態を知った。

突き抜けている男たちは平気な顔で年に数億円や数十億円を稼いで、名の知れた芸能人や圧倒的な美女と交際していた。


「もっと美女を手に入れたい」

「美女が似合う本物の男になりたい」

その思いから狂ったように遊び続けた


キャバクラ、ラウンジ、ギャラ飲み。出会った美女は好みであろうともなかろうと、全力で口説き落とした。大抵の夜の女は抱けるようになった。

それでも、まだ足りない。
もっと美しく価値が高い女性を手にするため。

自分より格上であろう人々と出会って、喰らいついて学び、実践を通じて体現する。この反復に没頭した。


これまでの人生で会ったこともないような男達との縁が自分の人生を変えた。


昔の自分であれば、つい目で追いながら嫉妬を胸にしまい込んでしまうような美しい女性。そんな美女を連れて、街中を堂々と歩くようになった。


価値観のあう友人たちと国内外に脚を伸ばし、イケてる遊びを楽しむようになった。

一流かつ上質な体験や、狂気ともいえる低俗な経験など、昔の自分では想像もつかないようなオモロたくさんあった。普通に生きていては知ることもない非日常ばかりの日々だ。


そして何より、女性に対してのコンプレックスや承認欲求から解放された。本当にやりたかったことに目が向けられるようになった。


ライフスタイルだけでなく在り方も変わった。


仕事においてはある業種で自らのビジネスを立ち上げた。

勢いからのスタートだったが前職をキッパリとやめて、経営者の先輩方から多くを学びつつ独立を進めていき経営者となった。


その傍らで、自ら直接「恋愛」について人に指導することも始めた。おそらく100名前後の男を変えてきた。

本気で『他人を変えよう』と思考することなんて
普通に生きていたら、そう無い経験である。彼らに指導する中で自分も自身をより高めていくことができた。

しかも、そんな彼らが変化し成長し、
喜びを分かち合いながら感謝までしてくれる。


実はこれこそが、とてつもなく大きな幸福を感じることができたのであった。

例えば。

長期コンサルを受講してくれたこの方は芸能関係の女性4人をゲット煌びやかな美女へのコンプレックスを払拭し人生を次のステージへ。

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この方はたった2ヶ月で美女へのコンプレックスが解消され彼女と婚約。大変喜ばしい出来事だった。

【Kさん】
①コンサルを受けようと思った理由
もともと付き合っている彼女がいたのですが、見た目は満足できるレベルではなく、街中で可愛い子を見つけるとつい目で追ってしまったり、友達の可愛い彼女と比べて劣等感を抱いたりしてしまっていました。
自分の中でもっとレベルの高い女性を目指せるという思いとまだ遊びきれていないという自覚があり、そして何より本当は大好きなはずの彼女を恋愛に対するコンプレックスが原因で素直に愛せない自分を変えたくて、一度恋愛に関してとことんやりきってみようと決意してコンサルを受けることに決めました。

②コンサルを受けての結果と感想
コンサルを受けてから2ヶ月の間に、アプリでたくさんの女の子たちに会い、そのうち何人かとは身体を重ね、何人かには好意を抱かれ、女性経験を積んできました。その中には自分の中で過去一可愛いなと思う子もいたり、すごく優しい子やめちゃくちゃエッチがうまい子もいたり。ただ、みんなそれぞれいいところがあるなとは思ったのですが、セックスしても心は1mmも動きませんでした。
いろいろな女性に会ってみても、思うのはやっぱり自分の彼女が一番だなということ。心からそう思えるようになって、素直に彼女を愛せるようになりました。そして、彼女に自分の想いを伝えてプロポーズし、無事婚約いたしました。
今、自分にとって大切な人を胸を張って愛していると言える、そういう自分が誇らしいしそういう自分になれたことがとても嬉しいです。そして、そうやって遊んでるうちに自然に女性に対するコンプレックスも消えており、以前美人だなと思ってびびっていた相手に対してもフラットに接することができるようになり、その子に飲みの後家に誘われても断ったりするようになりました。
以前はめちゃくちゃびびっていたナンパも自然にできるようになり、日常生活の中で自然に人と仲良くできるようになりました。なりより同じコンサル生の仲間と過ごす時間がとても楽しいものでした。
クラブに行ったのも、ラウンジに行ったのも、キャバに行ったのも初めての経験でしたが、みんなで飲んで踊って遊ぶ生活がめちゃくちゃ楽しくて、ぶっちゃけ女遊びよりそっちの方が遥かに楽しく幸せな時間でした。
コンサルを受けて自分の中のブレーキを外し、遊ぶ生活をしてから、どんどん生きるのが楽になっていった感覚があります。
コンサルを受ける前は2年くらい女遊びしようか、でも彼女いるしな、どうしようかと迷っていましたが、いざ飛び込んでみたらあっという間に未練が消えてしまいました。
本当に覚悟を固めて飛び込んでみてよかったです。


③コンサルに興味がある方へ
コンサルを受ける方の理由は人それぞれ違います。
恋愛経験0から彼女を作りたいという方もいれば、すでに70〜80人ほどの経験人数があるももっとハイクラスの美女を求めている方、もっとイケてる男になりたくて受ける方。
ただどのような理由であれ、皆等しくもっとより良い人生にしていきたいと思っていて、モチベーションの高い仲間の集まりなので、一緒に遊ぶのはとても楽しいです。
そしてコンサルの内容は恋愛だけでなく人生レベルで改善してくれるものです。
他の仲間もコンサルを受けてから仕事がものすごく上手く行くようになったと語っていましたし、受ける指導は日常生活でもめちゃくちゃ使えます。
実際僕もやたら上司や同僚に気に入られるようになりました。
自分で独学でやるより圧倒的に早く結果が出るし、恋愛以外にも応用できる人間力を身につけられる。しかも今まで関わることができなかったハイレベルの人たちと接することができる環境を手に入れられる。
現状に満足していない、なんとか変えようと努力してるのに変われない、どう頑張ればいいのかわからない、そういう人はぜひコンサルを受けることをおすすめします。
僕もずっとそういう感じで一人で努力していてもずっと変われずにいたのが、コンサルを受けて短期間で大きく変わりました。もともとの友達にもトーク力がめちゃくちゃ上がったとか、おしゃれになったとか言われるようになったので、外部からみても変わっているのだと思います。人生をより良くしていきたい方、ぜひ一緒に活動しましょう。

④港区王子について
まず、恋愛の師匠としてめちゃくちゃレベルが高いです。一緒に集団飲みとかした際の振る舞いでこれはモテるなとわかります。それを言語化して伝わるように教えて、実際に見せてくれるので、ただ見るだけや教わるだけより圧倒的に理解が進みます。
フィードバックの質も高いです。本質をついてくるためグサッと刺さることも多いですが、こちらの成長を願って言ってくれているのが良くわかります。
もはや恋愛コンサルの枠を超えてこちらに関わってくださるので、熱量高い方には最高の教師となると思います。


【Yさん】
①コンサルを受けようと思った理由
自分を変えたかった。この一言に尽きる。
高校を卒業し、大学生となった。ふつーに生活していれば女の子と付き合えるんだろうと期待を胸に秘め大学生活を送っていたが、現実はそう簡単なものではなかった。その上、彼女を作るどころか酒を飲むなどのサークルのノリにさえついていくことが出来なかった。大学生活に打ち解けることが出来ず、ただ授業を受けて帰宅する日々が続いており、高校の同級生や周りの大学生が楽しそうに過ごしているのを見て、苦痛を感じ胸が痛かったのを覚えている。そんな中、Twitterで1時間ほどアドバイスをして下さる港区王子さんの講習を目にした。できるだけお金を回収するぞと思い、気になること全てぶつける気持ちでいくつもの質問を書き出した。簡単に答えられるわけないだろうと全ての質問をぶつけたが、容易く、かつ詳細に答えてくださり、この人半端ないと衝撃を受けたのを今でも覚えている。同時に、この人についていったら新しい世界が見えるんじゃないかと興味を抱いた。モテる人はどんな人なのかという好奇心にかられ、コンサルを申し込むことになった。

②コンサルを受けての結果と感想
見た目の変化、童貞卒業、クラブ即、ナンパ即など。たしかに、恋愛面での成果を出すことが出来たが、人生面において最も成長することができたと言える。なぜこうして自信を持って言えるのかというのはメンタル面の改善と日々の考え方にある。自分はこのコンサルで圧倒的自信を手に入れ、ポジティブに物事を捉えられ、いくつかの思考力を手にしていると言えるだろう。考えてほしい。もし一年中、本田圭佑にサッカーを教えてもらうことができたなら、絶対上手くなるであろう。トップを走り続けている人の考え方、技術、ありとあらゆるものを盗めるのだから。それと同様なことが言える。港区王子さんの傍にいるだけで結果を出している人がどのように物事を捉えて、どう問題に対処するか、身に染みて実感出来る。これを文字に起こして、文面だけ汲み取っても伝わらない。対話を重ねて、そこで初めて肌で感じるものがあるはずだ。心の底からコンサルを受けてよかったと感謝している。ここ一年、写真を見ながら思い返してみたが、一週間クラブノック、クラブVIP、バーでのアルバイト、営業等、一年前には想像できない様々な経験ができた。港区王子さん、本当にありがとうございました。

③コンサルに興味がある方へ
コンサルの特徴としてはイケてる男を目指していくという点がある。貢がせてお金儲けをしたいといった方向を目指している人にはお勧めしない。美女からモテたい、男からもモテたい、人生を良い方向に進めたいという方には是非受けて頂きたい。効果がすぐに表れるのは間違いないからだ。一人一人と真摯に向き合ってくれるため、その人の背景に応じたコンサルを提供できるのも強みである。その他にもコンサル生同士の交流もあるため、友として時にはライバルとして切磋琢磨できるだろう。
少しでも興味があるのなら、1回会って話を聞いてみるだけでもいいと思う。港区王子さんの溢れ出るオーラを感じ取ることでさえも学びがあるのは間違いない。彼の空気を肌で感じ、言葉を咀嚼し、思考を蓄え、成長した自分に会ってみてはいかがだろうか。

④港区王子について
先ず、とにかく優しい。自分だけではなく、他の講習生の悩みの相談を聞いたりする機会があったが、毎回その人のことを想って話していることがよく伝わる。もちろんアドバイスは的確である。自分が童貞卒業、一週間クラブノックなど、達成した際に、素直に喜んでくれた姿を今でも覚えています。優しいだけでなく、毎回、会う度に思考がアップデートされているのでいつも驚かされています。毎回、たくさんのことを教えて下さり、それを自分は聞くたびにアドレナリン出まくってます。本当に彼の底は見えません。優しいだけでなく、イケていて、自分にストイックな港区王子さんは数少ない尊敬している方の一人です。

これは受講生の感想のごく一部。


皆さんにこんなにも有難い感想をいただけたこと。自分についてきてくれた男たちを導く素晴らしさを知れたことに感謝である。


皆さんへ


“幸福”とは分け与えることである。

自分は他人と膝を突き合わせて「モテ」を指導するという稀有な体験を通じ、この本質を身体で理解することできたのだ。

女遊びという共通項を通じ、人生をプラスにする縁が広がり続け、このような重要な本質を学べるなんて。

活動当初の自分は知る由もなかったであろう。


結局、題材はなんでも良かったのだ。

それが自分にとっては、人生を通じて、最もコンプレックスを感じ続けていた「恋愛」であっただけのことだ。


では、
“成功”とはなんであろうか。

簡単に大金を稼ぐこと、美女を抱きまくること、何にも縛られず生きること、、、
色々と思い浮かぶはずだ。


考えるに、

︎“成功”とは思い描いたことを実現すること

ではなかろうか。


どんな人のどんな形の成功であっても同じ。

その人が頭に描いたイメージを手にすることが、その人の成功である。どんなことであっても良いのだ。

大事なのは、
「これは手に入らないものだ」と諦めないこと。


とにかく諦めないこと。
無駄なことなど存在しない。

自分の非モテだった過去やコンプレックスは、
結果的に自分を恋愛に強くした。
そして今は多くの悩める男性を救っている。

無駄に思える苦しみも、
人を救うためのものに変わるのだ。

頭に思い描く成功がどれだけ大きなものであろうと諦めてはいけない。

諦めたその瞬間に、
無駄ではなかったことが無駄になる。


成功も美女も幸福も余さず手に入れる


同じ志を持つ仲間がいる。ゴールに向けた覚悟がある。

身の丈にあった願望なんて糞食らえである。過去も現状の位置も関係ない。大きなものを成し遂げ、手に入れて、それを分け与える。

そんな思いで今は日々を過ごしている。


長々と自分語りをしたのだが、
これが自分のこれまでについてだ。

自分の物語が、皆さんの為になればそれ以上のことはない。

自分の思いを理解してくれた方は、twitterやnoteをフォローいただき、ツイートや記事を広めてくれると大変嬉しい。


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最後まで目を通していただきありがとうございました。

今後の自分の発信が、少しでも皆さんのためになれば幸いです。


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