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Theピーズの「とどめをハデにくれ」は捨て曲が一曲もない凄すぎるアルバムだという話

初めにお伝えしておくと、
自分は人から勧められた音楽に関してはハマれたことがない。

だから、これも自分のようなひねくれた人間には読まないでおいてほしいのである。だって、絶対に自然体で出会った方が自然な涙が出るからだ。

これはただの自己満足、
とにかく凄いんだ、凄すぎるんだ、
ってことをどこかに書いておかないと忘れてしまいそうだったから、
書いているだけ、のことと捉えて欲しい。

ぬれないや ぬれないや
油をかけたら燃え出した
煙が出て いいにおい

この歌い出しから始まるthe ピーズのアルバム「とどめをハデにくれ(Apple Musicだと「トドメをハデにくれ」表記です)」は、
とにかく捨て曲がない凄まじい名盤だと最近つくづく思う。

一連の曲順の構成から、それぞれの曲の歌詞、テンポの緩急、
全体通して整いすぎている、というくらいには整っていて、
でも歌われている人(主人公?)の心は全然整ってなくて、
そこのリアリティと整然のアンバランスさにこのアルバムの不思議な魅力があるような気がしている。

なんだか言葉が足りないので、1曲ずつそれぞれ見ていきたいと思う。

1.映画(ゴム焼き)

さっそく難しいタイトル。
映画ってなんだろう。ゴム焼きってなんなんだろう。

なんとでも意味合いを理解できてしまうし、
なんも意味がないとも解釈できるのがピーズらしいというか、
早々に「物事なんてテキトーでもなんとかなるよ」「生きてればいーのさ」という、
ピーズの曲全体を通して存在している感覚というかイズムというか、
そういったものを感じる。

このアルバムという世界観を広げる1曲めとしては間違いなくこの曲がベストだと思う。

そして、このアルバムを聞き終わったあと、
この世界観を再度検証してみたくなる不思議な没入感のある曲だと思う。

曲は8分を超えるもので、1曲めからはウェイトが高い。飛ばす人もいるかもしれない。
描かれるのは主人公のボーっと、ダラダラっとした喪失感。

目が覚めて、「昼過ぎじゃないか、
さあどうしようかな、死ぬか。でもな。」と思ったときみたいな、
そんな印象を受ける曲だ。

痛いと感じる物を さがした
首をしめた オラ首をしめた

遠くまで自分まで ギュウゥとしめた
こんなにいい天気だってのに

わざとへんな フネにのった
イヤなもんを みていた

主人公は自ら絶望の中に飛び込んでいく。
生きてる実感がほしいのだろうか。そういうときもある。
痛みでもって自分の存在を確かめるという行為は確かに存在する。

主人公には一体何があったのだろう。
きっとそんなことをするまでのなにか事件があったに違いない。
……という、始まりをも予感させる曲なのである。凄い。

歌詞もさることながら、曲全体をつつむマッタリとした抱擁感も、
ぬるーいお湯に使ってじんわり温まってきているような感覚を覚えさせる。

もういーよ いーよ いーよ いーよ

特にここの箇所は秀逸で、普通なら三回ほど繰り返したらだいたいやめておくものを、四回繰り返すことによって、奇妙な味わいのリズム感を生んでいる。

いずれにせよ、主人公はなにかあって、ボーっとしている。
そして、なんだか後悔している。
だから主人公はヘンなことになっている。
そのきっかけというのは……

……といって、回想シーンに入る……。
みたいな流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

ただ、1曲めはこれだけじゃないと思っているのだが、
それについては後述する。(伏線です。)

最後がズルっと終わるのも、人生なんぞ綺麗にいかない、
といういびつさを感じるのでたまらない。

2.好きなコはできた

1曲めでヘンになった主人公。そのきっかけというのはこれ。

――ああ、好きなコができてどうにかなっちゃったんだ。

1曲めを受けてのこれ。急にアップテンポなナンバーがやってくる。
「とにかく好きなコができてとってもうれP!」というハッピー全開の曲。

私はこの曲、超好きです。実際に好きな子ができた帰り道、
この曲を聞いて帰って、なんだか体の中からエネルギーが湧く感じというか、ホントに描写力凄いな、と思わせてくれるというか、
「この曲は俺の曲なんだ!」と自分のことにしてくれるのが凄い。

「トリッシュはオレなんだ! オレだ!
トリッシュの腕の傷はオレの傷なんだ!」

という感じで共感しまくって聞いていた。言い表せないほど好きです。
何度も聞いて、そのたびに希望を抱いて、そのあとやっぱり失望して、
そんな循環を繰り返すようなのが当たり前なんでしょうか。みんな。

今日からなんだかメシがうめーぞコラァ!
でもあっちはそんなの全然知らない

人のためってのも悪くねえじゃん
なかなかいいじゃん

あっちはそんなの全然知らねえ
いーよ とってもいい夢みさしてもらってんだよ

どーせオラそばにいても何にもできねえ
ここで夢のインポのまま
痛い目を見るまで恋だ

歌詞でも曲としてもここの箇所が秀逸。
いきなり語りっぽくなるのもブレークとして素晴らしいし、
いままでやさぐれていたような男が急にオンナができて余裕全開になる。

善行バッチグー、なんでも来いやなメンタル。
とってもわかりやすいアップダウンを描く。
幸せの中だと、メシは確かにうまくなる。

意地になって長生きするさ

死んでも長生きするさ

1曲めで死に近づいていた姿とはうってかわって、
生きることへの渇望を見出している主人公。

しかしながら、

本当は好きでいいのか知らない
キライの方がいいかもしれない
わかんねーよ 恋は盲目とか言うしな

この辺だったり、

細かいことはまだ知らない

このあたりで、この女の子への不審な感じは持たせつつ、
「今がよければそれでいーじゃん!行こうぜ全開GOGO!」
という感じの混合した気分をミックスさせたまま、展開は次の章へ……

……なんていう流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

3.日が暮れても彼女と歩いてた

これまた好きな曲。今の所全部好きだな。以下全部好きです。以下略。

2曲めを受けて、カノジョとのデートなのか、歩く二人。
日が暮れて、寒くなってくるけど、家には帰らず、歩き続ける二人。

カネがないから、安い酒買って、歩いて温まろーよ。ってな具合で、
とにかく歩くことで二人の時間を作る。
……なんてことも本当に実体験として有り得そうだし、

実際自分もそういうことがあった。
金がとにかくない。歩くのは苦じゃない。
若い二人は、どこへゆくともなく歩き続ける。
他愛もない会話をしながら……

これもトリッシュ。トリッシュすぎる。なんなんだ。凄い。

みんなどんな顔してたっけ
ひとりずついなくなったんだ
ほんで最後は二人で
飽きるまでずっといたのさ

飲み会が終わって、
最初はまとまって駅の方に向かっていて、だんだん解散して、
そうしたら、好きなコとなんとなく一緒の方向になって一緒に歩いて……
みたいな様子が映像的に浮かぶあたりも凄い。
勝手に思っているだけですが……。

スローな曲展開が、歩けど歩けど経たない、
めあての場所へたどり着かない時間、
でも終わってほしくない時間だというのも確かで……。

……というような感じで、
現実の体感時間とリニアなことになっているのも、凄いと思う。

どこの誰が
本当に しあわせなんだろーか
冷たいヤな奴も
体だけはあったかいだろーや

秀逸ポイントはここ。やっぱりラスト前っておいしいところなんだな。
特に後半。「嫌な人間も、温かみのある人間なんだ。」という、
2曲めで見せた「カノジョ持ちの余裕」というか、
人を好きになったとき、好きな気持ちはこんなにも人を変えるのだ、
という人間讃歌的なものまで感じる部分。歌っていても気持ちがいい。

好きなコと帰れる時間。長いようで短い、
魔法みたいなぼんやりとした時間。
それは酒のせいなのか、自分がまぼろしでも見ているのか、
誰にも、自分でもわからない……

そんな中で季節は過ぎてゆき……。次の曲へ。

……なんていう流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

4.みじかい夏は終わっただよ

――ああ、終わってしまった! 恋も夏も、儚く短いのだ!
でも、あついのだ。あつかった、のだ。

夏が終わり、「カノジョ」との恋も終わってしまったのだろうか。

2曲めのようにアッパーでハイテンポな曲。でも2曲めと違うのは、
ハッピー全開ではなく、アンハッピー全開だということ。

カノジョの喪失を、無理やり強がって強行突破しているような苦しさが裏面に存在することだと思う。

気づいたら終わっていく夏と、
自分の慌ただしい気持ちを表現しているスピード感。
ガリガリ君くわえてチャリンコかっ飛ばして走る朝、
みたいな曲だと勝手に思っている。

「Hey ベイベー ついてこいやぁ!」「勝負をかけるぜ!」
というレース感のあるセリフもそれを助長している。

あのコの事は好きだったんだよ オラァ
変なカオしてサイナラしたよ
想い出すたびふるえるタマキン

主人公は、どんな振られ方をしたんだろう。
下ネタで笑い飛ばしながら、飲み屋で友達にくだをまくような、
そんな様子が目に浮かぶ。
自分もやったことがある。そういう友人を見たこともある。

共感性、やっぱりとにかく高いな。これが魅力なのか。

自分は一度、その当時付き合っていた女性の家で
次の日、目が覚めたときに
「別れよっか」
と切り出されたことがある。モーニング別れの挨拶である。
あれはドラマチックだった。面食らった私は承諾してしまった。

帰りの自転車を漕ぐ足は重かった。
けど、次の日には違う女性のケツをおっかけていた。
最低である。

話を曲に戻す。
この曲自体にはスピード感、忙しさ、慌ただしさがあるのに対し、

だよ いそいだって
しょーがねーだよ

どっかへ向かってるわけでもねーだよ
だよ 来年までひと休みだよ

と、歌詞の方ではスローな暮らしを送りたがる主人公との対比が、
曲調とのミスマッチを生んでおり秀逸だと思う。

すべりこんだらもう秋なんだよ
私生活がメチャクチャだよ
やりたい事はあったけどよ
もう やりたい事もねーだよ

気づけば秋。焦る主人公。
カノジョとのハッピーライフは壊れ、夢も希望も散っていく。

クソあつい クソあつい
そんだけだったよ

残ったのは暑さだけ。嫌な記憶だけ。
いいコトの記憶なんて本当に儚い。
一瞬の幸福だけなのだ。
そんなもんすぐに消え去り、あとは全部絶望なのだ。
絶望のそばには死が近寄っている。

けど、そんな中でも希望はなくさねーほうがいいのかもしれない。
あれだけの絶望を詰め込んだ、
パンドラの箱の中にも残っていたかのように……。

……なんていう流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

5.今度はオレらの番さ

……という展開を受けて、主人公がとった行動は。

あんたの方が素敵だよ その辺の奴より
あんたを全部知ってるよ 目の前のオイラが

振られたカノジョにまだ執着しているのか、
それとも、自分を励ましているのか、それはわからないけど、
底に沈んだ気持ちを励ますような味わいの曲になっている。

カノジョに新しいカレができたんだろうか。
そいつなんかよりも自分のほうがお前のことを知ってるぞ、
……という負け惜しみにも聞こえるし、

あんなオンナに付き合っても仕方なかったさ、
お前の方がずっといい奴さ、
……というような友達、相棒の励ましにも聞こえてくる。

絶望なんか気のせーさ 全くよ
死んだほうがましなんて
カンちがいよ
よその奴らに何か言われたのか
ここだけもりあがりゃ もう充分よ
とじこもって隠れてねーでも 平気なんだよ
相棒はいるぜ もっとそばにきな

……おそらく前者の解釈のほうが正しいような気もするが、
ともあれ、再起のための足をためる感じの曲なのは間違いない。

全体としてマイナーコードとセブンスを使った進行なので下がり気味の曲調で怪しさを感じるのだが、内容のポジティブさとこれまた対比を生んでおり秀逸である。

今度はオレらの番さ

今度幸せになるのは、自分たちだ。自分たちなんだ。
だからもう一度、カノジョにアタックしてみよーぜ。

……なんていう流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

応援ソングとして聞いてあげると、
また味わいが変わるのでおすすめである。

6.井戸掘り

待ってよーぜ きっと来るよ
目の前までであきらめたらもったいねえ

――カノジョは来なかった。

夏も過ぎたのに暑い日、待ち合わせ。
いつまでたってもカノジョは来ない。
久しぶりに会うから、せっかくめかしこんできたのに。

君にほめられたかったよ
吐き出しそうな日照り

ここの描写がいい。
うだるような暑さの直射日光、影さす自分は汗だくで、
ひたすら待ち合わせの場所でカノジョを待ち続けている。
きっとめかしこんできたのであれば、ブーツだのなんだの、
暑い格好なんだろう。

でも、もし来たら。もし来たらどうする。

……そんな、ない期待を持って、ひたすら待ち続けている。
今ほどケータイなんかない頃、
ポケベルなんか持ってるわけもないだろう。

相手からの連絡もないままに。夏の日射しが差し込むところで待つ。
こういうことは実体験としてもある。

土地勘のない場所で待ち合わせをすると下手に動けないから、
相手の指定した場から動かざるを得ないのだ。
こんなとき、充電切れなどで連絡の手段を持ち合わせてないともっと大変だ。何も考えずに待つしかない。
あの苦痛たるや。巡る悲観的な思考たるや。
主人公はさぞ辛かったことだろう。

曲については、まずはじめのギターの入りで、
レンズフレアのかかった太陽を思い浮かべる。
(アニメとかでよくある六角形の光が出てる太陽)

内容もスローな進行で、待っている時間の長ったらしさを表現しているようにも感じる。
展開もシンプルで、待っている間に考えるモノローグのボーっと感というような、そういう部分も持ち合わせてくれているように思える。

「待てど暮らせどカノジョは来ないけど、来るかもしれない。だから辛いけど待つ。」という気持ちを描いた曲を
「ホントに水が出てくるのかわからないけど掘る」という
「井戸掘り」というタイトルにしたのは本当に素晴らしい。

だけど、「井戸掘り」という曲なのに、
「井戸掘り」というワードは一切出てこない。
ただ、近い表現は出てくる。

ハカ掘り 今日も日照り

ピーズの別の曲「ぼけつ」(「マスカキザル」収録)を
彷彿とさせるハカ掘りという表現。
墓穴をほった。
振られたカノジョを呼び出すのは未練がましかったか。
自分で自分の墓を掘ってしまった。
これで本格的に終わってしまったのだ……。

書いていて「とどめをハデにくれ」(ピーズの同名別曲。「どこへも帰らない」「ブッチーメリー sideB」収録)の歌詞は
「カノジョが来てくれたEND」の世界線なんじゃないかと思っている。
ただ、歌詞を見る限りは、
結局絶望だったのかもしれないのであるが。

再起をかけてカノジョと待ち合わせ。
でも、待てど暮らせど来ないカノジョ。
主人公はどうするのか……。どうなるのか……。

……なんていう流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

7.手おくれか

くたばっちまえ オラぁカスだ
いいトコってのがわかったよ
いい奴ってのがわかったよ

開幕から自己否定で始まる。
この曲は特に歌詞がいい。

失敗したのだろうか。

5曲めでのたまっていた「カノジョのいいトコ・いい奴」の
真実の部分、「自分が考えているよりも、もっといいコだった。」
が明らかになって、予想を超えてくる良さに、
かつ自分のしょーもなさに気づいて、
自己嫌悪に陥る主人公を入りのほんの数秒で描ききるのは
凄まじいとしか言いようがない。

さっきまで さっきまでいた
キレイな目をしてた
いつもそばにいた そばにいて
あるまま まっすぐみてた

カノジョは来ていたのだ。

はやくこい はやくこいよ
どこみてんだ ホラここだ
みんなして手を振ってた
まってくれてたってのに ひでえ

カノジョは待ち合わせの場所にいたのだ。
「みんなが手をふる」ほど素敵なカノジョ。
主人公がしびれを切らして帰る頃、すれ違い。

普通の人ならどうするだろう。
慌ててカノジョのもとに駆け寄るだろうか。
私だったらそうするな。多分それで情けない感じになる。
そして、ずるずるこのカノジョと
ぬるま湯なハッピーを信じると思う。

けど、主人公は違った。

気がつかないまま
わざと逃げたのさ 逃げたのさ

おそらく「気がつかないまま」だったことにして、
主人公はその場から逃げ出したのだ。
主人公は希望より、自ら絶望の道を選んだのである。

びびってたよ しあわせだったよ

カノジョがいた。それは幸せなんだ。
でも、突然の幸せにびびってしまったんだ。
自分には、絶望のほうが似合っている。

おもしれー事になるだろうと
ふんぞり返ってたぜ
余裕かまして もてあまして
人生長えとタカくくってたぜ
さびしがれたのさ 君がそばにいた
ばっちり世界は
しあわせにあふれてんのな

転落と、幸せと自らとの身の丈の合わなさに対する絶望をさらっと歌うこのメロには恐れ入る。つくづくこの曲は歌詞がいい。

そして主人公は家に帰ってきて、自分の行いを確かめる。

オラ笑ってダマった
もう誰とも目を合わせらんねえ

ここも感情の機微が凄い。
自己への嘲りとともに、絶望感も表現されている。
カノジョがなまじキレイな目をしていたばっかりに。
恥ずかしい、自分が恥ずかしい。というような調子だろうか……。

手も足もこんな自由に動くのさ
やっぱ ダメかもう
何でも治すという
クスリなどないけどよ あるとして
飲まないさ 無茶のネタも切れた
逃げようがねえや

心がダメになってしまっている。
体はこんなにピンピンしているのに。
こういうときはよくある。
その絶望感のループで、精神先行でどんどん体力が削られて、
体もおっかけでしぼんでいく感覚。

トロりベッドによだれたらして

横たわっているしかないのだ。
手元にあるのは自己への嘲笑。

一方、曲はギターのカッティングが引っ張っていくような印象で、
それが生み出す都会的なさわやかさと反面に、
帰り道の雑踏を人の流れと反対に歩いていく、
へとへとな主人公の様子が目に浮かぶ。

コーラスが自らの幻聴のような、自問自答の内言として聞こえてくる。
まだ戻ればいるかもしれない。
「手おくれか」「手おくれか」の掛け合いが自分に言い聞かせるように聞こえる。

カン違いのクソ夜を
わざわざくりかえし
とりのこされたカスだ

ここの歌詞もたまらない。「クソ夜」たまらない。

あんなに好きだった夜も今はクソに思えてくる、
なんてことはある。
明日が来なければいいのに。
自分だけ、むかしの夜にとりのこされている。

そして、曲の最後で主人公は
自分の今日の一瞬をふたたび振り返る。

キレイな目をしてた
びびってオラ逃げたのさ

先ほどとクロスするところもあるが、
カノジョのキレイな目を思い出して、
主人公は自分の行いを思い出し、絶望の中で床につく。

また絶望が手を伸ばして寄ってくる。
そこからも逃げるのか。はたまた逃げないのか。

主人公は何をしたのか……。次の曲へ。

……なんていう流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

8.日本酒を飲んでいる

書かしてください。ここからの2曲特に最高です。
もう本当にいい。

曲の入りからヘロヘロなギターで酩酊感を生み出して始まる。

この曲の全体的な「混乱グルーブ」感は、
なんなのだろう。
いびつさの中に芯のあるリズムが通っており、
千鳥足の帰り道のような、そんなイメージを生む。

怠惰な時間に屁が出そう
今夜もこのまま
そっと生きのびよう

絶望の中でだらっとした時間を過ごす主人公は、

日本酒を飲んでいる

酒に溺れていた。

酒を飲むことで、絶望のコントラストをぼやかしていく。
しだいに思い出もぼやけて、いいものばかりに見えてくる。
だんだん自分から空気が抜けて、からっぽになっていく。
それがどれほどラクか。でもダメなのはわかってる。

そんな様子がありありと見えてくる。

主人公は酒に耽溺し、
うつろな自由を手に入れた。
しかし、

ハズレくじに大当たり
気の毒なのは向こうさ

まだまだカノジョへの思いは断ち切れていないように思える。
とはいえ、ふっきろうという意思は伝わってくる曲である。

秀逸なポイントは、やはりラス前中盤の、

ひとりっきりでもりあげて
酔っ払ってねる

ここの三回繰り返し。1曲めとは異なり、
ここは三回の繰り返しで終わっている。
ただ、聞いている感覚としては「まだやるのか」という感覚。

毎晩、毎晩……という酒飲みの暮らしのような印象も覚えさせつつ、
深酒する相手を見て思うこちらの気持ちと同じ感覚を作り出しているのである。

――そんなに飲んで、大丈夫?
そう聞いてもらいたいのかもしれない。

迷子のフリしてコビ売ろう
立ち直れないつもりで
無茶でもしよう

7曲めでは「無茶のネタも切れた」状態だったが、
この曲では無茶をしようとする対比が出ており、
主人公がさらに自暴自棄の沼に突っ込んでいったことを表現しているように思えてくる。

――そんなに飲んで、大丈夫?
やはり、そう聞いてもらいたいのかもしれない。

ほっといていーよ
ぬけがらでいーよ
何も欲しくねえよ
ほっといていーよ

でも、こう返したいのだろうか。
主人公はすでに酔いつぶれており、
酩酊の世界の中に沈み込んでしまっている。

ここも繰り返しである。ここは五回「ほっといていーよ」を繰り返す。
本当は幸せにしがみつきたい主人公の様子が読み取れる気がする。

周りから見れば、大酒をかっくらって、
ぐうぐうと眠っているように見えるだけなのかもしれない。
主人公のうわ言は、主人公の中で消えていく。

主人公はさらに自分を追い込んでいく。
その先に待つものは。絶望の沼の底にあるのは……。

……なんていう流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

9.シニタイヤツハシネ~born to die

直球すぎる。でも最高なんです。
副題も、「死ぬために生まれる」。
最後に輪廻をもってくるとは……。圧巻。

シニタイヤツハシネ。
勝手にしろ、と突き放す、人生への放棄。
それはある種、自由を許可するという面においては、最大級の愛なのかもしれない。

主人公はとうとう、自分の命をも放り投げようとする。でも、できない。
死ねるくせに。死にたいくせに。なのに死なない。
シニタイヤツハシネ。

死ねない意気地のない自分に嫌気がさしつつも、
まだまだ生への執着、生きのびることを捨てられない自分との対比が素晴らしい。

満足するくらいの夢でもみてれば
いちいちにつまる程のヒマはないのさ

何べんも思いどおりにいかないばかりで
とうとういい夢もみれなくなったのさ

カノジョとの夢をもしあの時(7曲め「手おくれか」)に選んでいたら。
でも人生はそんなうまく行かない。行くわけがない。

調子んのって弱音吐いて弱気になれてる
ヒマなオイラは後悔する
タラレバと

あの時ああしていたら。こうしていれば。
8曲めでゲロとともに吐いていた弱音。
夢うつつで酔っ払ったあとの、
正気に戻った時にやってくる、巨大な現実。

ヒマはいいことももたらすが、
悪い考え方ももたらす時がある。
今回は後者だろう。

だから、逃げる。

する事何にもないならケツでも出せば
オラもうする事何もないしケツは出たまんま

一人おどけてみるもそこにあるのは空虚な時間のみ。
無用な時間はどんどん過ぎていく。
無力感。出したケツすらしまう気がないのだろう。

これまた、8曲めの冒頭「怠惰な時間に屁が出そう」
とリンクしている気がする。

いたずらに過ぎていく時間に、主人公は焦燥感を覚える。
そりゃあそうだ。周りはどんどん進んでいく。
止まっているのは自分だけだ。
いい夢を見ている人たち。沈み込んでしまっている自分。

その対比を否が応にも突きつけられている主人公は、焦らざるを得ない。
追いつくために生命のピッチを上げなければならない。
生き急ぎ、死に急ぎたくならざるを得ないのだ。

わざと焦ってるんだ
ひとりで焦ってるんだ
バカがひとりで わざと終わる
Happy Birthday To You 年を取れ

そこでブレーク的に入るいきなりの「ハッピーバースデー」
焦っている間に年を取ってしまった。
――え、もうこんな年?!
そんな気持ちが表されている気がする。ここの構成凄い。

「わざと~」からの盛り上げからブレイク、というつなぎから、
さらに主人公の自暴自棄は爆発していく。凄まじい。

正面からマトモに
自分をみれねーよ ボロだもん
暮らしを変えるより
暮らしを変えるより 夢をかえたいわ
やりたい事が多すぎて
何にもやりたくなくなっちまった
やりたくない事が多すぎて
何にもやりたくなくなくなっちまった
会いたい人が多すぎて
誰にも会えなくなっちまった
考えることが多すぎて
どうでもよくなっちまった

ここは全部が凄いし全部が好きすぎる。
歌としても、バックコーラスの「シニタイヤツハシネ」の中でひたすら休み無しにこの歌詞を歌い続けていく。

それはもうあらゆる人生の事柄で手一杯になってしまった
主人公の思考を表現しているようにも思えてくる。

たまに自分の人生でも「この状況だ」
と思うときがあるくらいに、
このくだり全てが私には効いてくる。

あれやこれや手一杯になってしまうとそれを、
大切なものまでも含めてすべて放り投げてしまいたくなる。
単純に言えば精神の崩壊である。

自身の存在含め放棄することで、自由を手に入れられるのだろうか。
そんなことはないのだろう。

結局、苦しみながら生きていくしか道はないのだ。
夢は夢。現実は現実。
やりたくない事もあるし、やりたい事もある。

なのに、しねえ。できねえんじゃなくて、
やらねえ。やれねえならいいけど、しねえ。

何でも出来るくせに しねえ

掛詞を使いつつ、可能性なんて目の前にいくらでも転がっているはずなのに、わかっているはずなのに、手の伸びない自分に対しての嫌悪をうまく歌っている。

さらに、ちゃんとした歌詞にはないが、ラストのセリフ、

遺書を書くのが上手になった 上手になった
やめたい にげたい 
多すぎた
逝ってしまえ バイバイ!

というのも凄い。人生のあらゆることで手一杯になってしまった主人公は、
爆発するしかなくなった。
けど、爆発しきれない、すなわち死ねないから、
そのたびに遺書は溜まっていくのだろう。だから上手になる。

きっと主人公はこうして自己卑下、自己否定、自己嫌悪、自暴自棄を繰り返しながら、なんとなく、のらりくらりと年をとっていくんじゃないだろうか。

死ぬことはなく、そこにあるのは死ぬために残された時間が広がっているのみだった。
主人公は、死ぬことができずに、再び人生の浮き沈みの中に潜り込んでしまうのであった……。

……なんていう流れなんじゃないかと自分は勝手に思っている。

そして、冒頭で振ったとおり、伏線を回収します。

季節はめぐり、年は進み、命以外すべてを捨てきった主人公は、燃え尽きたのだろうか、またボーっとした絶望の世界に帰ってくる。

すなわち、
1曲めの「映画(ゴム焼き)」の世界観に戻ってくるのです。

このアルバムの一番凄いところ。
それは、
ループものの構造をしているところなのである。
絶望と希望の円環。生と死の輪廻。

主人公はきっとまた同じ行動をとっていくだろう。
好きなコができて、デートして、振られて、苦しんで、苦しんで、苦しんで、死ぬまで苦しんで、またボーっとした絶望の世界に帰ってくる。

苦しめばいいさ ひとりっきりでずっと
ひきずって くるまって 夢をみるさ

それぞれの思い出を引きずったまま。

曲調も、9曲めの盛り上がりとそこからのラストが終わり、
1曲めに再び帰ってきたときの、
「また一日がやってきたか感」もさることながら、
曲の組み合わせとしても「しっくり来る感」が半端ないのだ。

ああ、またこういう日々が来て試されていくんだろう。
私もそうだ。毎日つらい。一寸幸せなときもあるんだけど、
やっぱりその他は全部つらいんだよ。
絶望だらけだから、通り過ぎてしまうには、
なんかごまかすしかないんだよなぁ。
……なんて思いながらまた何曲も聞いてしまうのだ。

人生に希望を見出している人は現状比率としては少ないんじゃないだろうか。だから、苦しみながら生きていくしかない、というメッセージ性をはらむこのアルバムが刺さる人は、きっと少なくはないんじゃないかな、と思っている。

そして構成的に、CDプレーヤー、サブスク問わず、
「1曲めで引っかかってもらって」
もう一度、またもう一度…と、
聞けるように作られているとしたら、
相当なテクニックだと思う。マジで凄い。

このアルバムは、
「気持ちの浮き沈み」とそれに伴う「人生の浮き沈み」を、
見事に曲としてアルバムとして描いた逸品なのは間違いない。

そして共感性が高すぎる。誰しもこんな状況に一度は陥ったことがあるんじゃないだろうか。少なくとも自分はそうです。

辛い人生。それでも、生きのびよう。人生なんてそんなもんさ。
テキトーなやつなんていっぱいいる。

というピーズ、もとい、はるからのメッセージが込められてるのかはわからない。

けど自分はそういう方が幸せな締め方じゃないかと思うので、
そういうことにしておきたいと思う。深く心動いたし。


ただ毎日を、淡々とこなすだけでも、えらく素晴らしいのだから。


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
まだ聞いてない素直な方は、このまま調べていただいて、
このアルバムをぜひ聞いてみてください。

ひねくれてる私みたいな人は、実際に同じように苦しんでみてください。

それでは、また。

という感じです。

(ED:「生きのばし」 The ピーズ)


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