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大家という稼業(とりっぱぐれる)

 国税さんからお手紙が届く。瞬間、脈拍数をMAXに上げながら我慢できずにポストの前で封筒に指をつっこんで破るように開封すると「退去したテナントさんの敷金は余ってないか?あればそれを税金として召し上げたいのだが?」といった趣旨のことが書かれていて、とりあえず脈拍数が正常値に戻る。
 それで当該テナントの賃貸借契約書や入居申込資料を引っ張り出して確認をするわけですが、契約をした頃の入居申込書をみるとオーナーさんは港区のギンギンレジデンスにお住まいで、免許証の写真もデザインヒゲにピチピチのシャツだったのに、退去したあとの連絡先が下赤塚のアパートになっていたりして。なんだか商売の厳しさ、人生の浮き沈みについて考えてしまいます。ぼくの店舗を借りてしまったのが人生の転機だったわけじゃないと思いたい。(だって繁盛してるテナントさんだっているし…)

 敷金として家賃の1年分といったような金額が取れるのは超一等地の強い物件だけ。ぼくの貸すような店舗では家賃の1~2か月とワンルームと同じくらいの敷金しか預かれないことも多いので、お店がつぶれて退去してしまうと内装を元に戻したり、最後の滞納家賃を回収することはわりと絶望的です。そんなわけで、ぜんぜん余ってないよ。むしろ足りないよ!と、税務署にお返事を出します。
 こうした滞納家賃や原状回復の債権について、退去したあとも住民票の変動を追って、調停を使って呼び出して、毎月1万円の分割でもちゃんと払わせるタイプの大家さんもいます。ぼくは時間の無駄なので保証会社の対応範囲を超えた分はあっさり諦めます。
 え、そうなの!?と思って、これを読んだ賃借人諸賢に滞納をはじめられても困るんだけど、だってお金がないところから回収するのって、ものすごい大変なことなんです。
 これには大家になる前にとりっぱぐれた原体験が影響しています。

 大学生の時に流行モノの通販をしてそこそこ売上が出たことがあったんですが、その在庫と販売を任せていた会社が売上の数百万円を持ち逃げというか、自社の赤字の資金繰りに使い込んでしまったんですね。
 原価はタダみたいな商品なんで破産するとかではないけれど、大学生にとって数百万円はとんでもない大金だからショックじゃないですか。
 社長に催促すると、最初は謝ったり、来週には別件で入金の予定があるから!ちょうどいま考えてる新ビジネスが火を噴く予定なんだ!みたいなその場しのぎのことを毎回言うんですが…だんだん電話にも出なくなって、何度も何度も着信履歴を残すと、そのうち「度重なる連絡でメンタルをやられて仕事もできなくなって大損害だ。医者の診断書も取った。これ以上、連絡をよこしたら威力業務妨害罪と傷害罪で訴える。刑事事件だからな!」みたいなメールがいきなり届きます。
 いま思えば逆切れした債務者あるあるなんですが、大学生だから刑事事件と聞いて膝が震えるし、もうどうしていいかわからなくて。何をしてても憂鬱な気分になります。世界が灰色になって、ごはんの味もよくわからない、遊びにいってもどこか上の空。どうしていいかわからず、世間知らずな学生は新宿を歩いているとき、超高層ビルにある立派な弁護士事務所を見かけてフラフラと入り込みました。

 ちょび髭のエネルギッシュなボス弁護士が出てきて、「へえ!いま、そんなものが流行ってるんだ。キミなかなか面白そうなとこに目をつけたね。」アポなしで飛び込んだのに時間を割いて、気さくに話を聞いてくださって。「じゃあ、まずはミサイル撃ち込んでみよっか。」「傷害罪?ないない。」みたいに内容証明郵便のことをミサイルと呼びながら楽しそうに対応を考えてくれました。
 なんか、その瞬間に重荷をかわりに背負ってもらったような、世界に色が戻ってきたような、ふーっと気持ちが楽になって。味方になってくれる人がいる。弁護士ってすごい仕事だ!と感動したんですね。
 その時の感動が忘れられずに、それから司法試験の勉強を始めて、いまではこうやってぼくも弁護士をやってます。(やってない。)

 取り立ての実務は若いお兄さんのような先生が色々とアドバイスしてくれました。「僕たちが動くとお金がかかっちゃうからね。」と、教えてくれた通り田舎の役所まで資料を取りに行ったり、電車とバスを乗り継いで、逃げてる社長の会社というか実家まで追いかけていったら、腰の曲がったお母さんがお味噌汁とおにぎりを出してくれたりして。
 それまでは学生だから「会社」ってだけで立派なものだと思ってたけど、なんだ…会社って…ただの個人と変わらないんだ…。と木造平屋の本社で味噌汁をすすりながら理解しました。
 東京に戻ってお兄さん先生にお味噌汁を飲んで帰ってきたことを報告すると「で、どうする?裁判をしたら間違いなく勝てるよ。でも債務名義が取れることと、お金が回収できるかは別問題だよ?」と言われました。
 「ここまでなら正式に受任したわけでもないから、言い方はあれだけどキミがバックレればお金はかからない。相手にお金がなければ費用をかけて裁判に勝ったところでお金は戻らない。それでも訴えたいという気持ちがあるならやってあげるから、じっくり考えてみて。」そう言われて、なんとなくそのままになってしまったんですね。

 その後、何年かしてIT土方として忙しなく働いている最中に、その時の不義理を思い出して。事務所名も思い出せないので当時のメールを探したりして連絡をしたんですね。かくかくしかじかでたいへん助かりました。いまは元気にやっております。あの時の救われた気持ちに対して未払いになっているお金を払わせてほしい、と。
 そうしたら、あの時のちょび髭のボス弁護士先生から優しいメールが届いて、気持ちを汲んで形だけ相談料の請求書を発行してくれて。それはそうと一度事務所に遊びにいらっしゃい、と言ってもらえたんですね。そのまま遊びにいくこともなく、もう十年くらい経つことをふと思い出して、こうして書いているわけですが…。いま調べたら政府の委員をされたり、丸の内に移転したりして、ますます立派な弁護士事務所になっていらっしゃるようでした。

 その節は本当にありがとうございました。遠くからずっとご活躍をお祈りしています。重荷をかわりに背負ってくれる、弁護士さんってすごい仕事ですよね。
 そして学生の時の数百万円は痛かったけど、でもこの痛みのおかげで零細企業の与信はむしろ個人未満ということお金がないとこからはどうやっても取れないこと在庫や売上を第三者に預けることのリスク、など商売する上で大切なことが肌身に染みてわかったので、社会に出る前のワクチン注射みたいなものでよかったのかもしれません。

※なおワクチン注射をしたはずなのに、その数年後にも500万円を詐欺師に持ち逃げされます。

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