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大家という稼業(凪と航路)

 またあっという間に月末が来て、無数の家賃入金とローンの返済がぼくの上を猛烈な速度で通り過ぎていった。あとに幾ばくかの現金が残るので、それをコツコツとついばみながら次の月末を待つ。お家賃ブロイラーである。

 人生にはすべての歯車がバッチリ噛み合って、帆に風を受けてオレは前に進んでるぞォォッ!という実感があるときと、なんだか前に進んでいるのかどうかもわからない凪みたいなときがあると思う。
 一度目の凪、大学を卒業して就職せずに無職になったときはつらかった。ミスドで薄いコーヒーを無限におかわりしながら、村上春樹訳の主人公がよく失業しているアメリカの小説を読んだりしていた。文章が染みこむように堪能できたけれど、まったく人生は好転しない。いまさらどこから社会に入り込んでいいのかもわからず、Google検索窓に「お金 欲しい」と気がついたら打ち込んだりしていた。いまだったらよくわからないビジネス()インフルエンサーの有料サロンに飛びこんでいたかもしれない。

 その後、偶然に巻き込まれたimodeの世界で短いバブル景気を謳歌したあと、売れっ子からふたたび無職に向けて急激に仕事が減り始めた頃もメンタルがたいへんだった。連日何件も商談や打ち合わせあって、タクシー移動しながら次の商談のパワポを作るような日々から、アポが隔日になり、週1になり、月1になった。
 世間から見捨てられたような気持ちになって、やることもないので昼から楽天市場で取り寄せたワインを昼間から飲んでエクセルにテイスティングノートをつけたり、ときどき飲み過ぎて吐いたりしていた。

 最近はただ歳を取ったということもあるけれど、そんな凪みたいな時は、じたばたせずにただやり過ごせばいいやと、あまり焦らずに済むようになった。
 だって、ぼんやり雲を眺めて一日が終わっても借金が8万円も減っているのだ。それでいいじゃないか。やる気が出ないときは、何一つ出来ないタイプのダメ人間にとって、何もしないでも日々ゆっくり前に進んでいる不動産賃貸業はおすすめの稼業だ。
 今月のカレンダーを振り返ってみると、地代増額請求訴訟に備えて鑑定評価を取ったり、空室になった渋谷の事務所をおしゃリノベマンにお願いしたり、4部屋漏水してる部屋の原状回復を発注したり、振り返ってみれば凪とはいっても本当にまったく何もしてないわけじゃなくて、やることはやっているんだけど…どれもプロに丸投げなので拘束時間的にはギュッと圧縮すると象がヤマザキダブルソフト一斤を踏みつけたみたいに薄くなるので、あとの空いた大部分の時間はぼんやりとビールを飲みながら、次の月末まだかなーと待っている。お家賃ブロイラーである。

 ぼんやりした時間を正当化するわけじゃないけれど、数億円規模の不動産を運用する専業大家というのは、ゆっくり航海する大型船を一人で操舵しているようなところがある。一ヶ月や二カ月くらいぼんやりしてても、とくに問題は起こらないし、晴れていればやることもないから、自分は操舵室にいなくてもいいんじゃないかなと思う時もあるけれど、それならばと1年も離れたら、きっと航路が外れて取り返しがつかなくなったり、嵐に巻き込まれて浸水で沈んでしまったりする。
 きちんと天気や船の状態を把握して、正しい航路を取り続けることが一番大切で…操舵室を離れて船室を掃除したり、石炭をくべるような作業をするのは働いてる気持ちがしたとしても本筋ではないと思っている。
 これは極論かもしれないけれど賃貸業のあまりで暮らしている以上、家計部門も、あまりの範囲内で暮らすだけであって、ちょこちょこ節約や利殖を考えて使う時間や頭があるならば、正しい航路に向けて賃貸業を舵取りすることに全力で集中すべきだと考えている。だから楽天ポイントとかふるさと納税とかNISAとかゴーツーイートとかセコセコとしたお得さで小さな脳の無駄遣いをさせようとするのはやめて欲しい。

 さて。売り物件の概要書をみると、かつては立派な大型船だっただろうそれが沈んでいく姿をよくみかける。
 私鉄駅前にある築50年くらいの山田(仮名)ビル。階段の照明は蛍光灯が切れたまま、うす暗く蜘蛛の巣も払われていない。取り寄せたレントロールを見ると12部屋中5部屋も"親族使用中"となっている。
 2階の事務所を調べると帝国データバンク評点D3でまったく儲かってない山田家の長男のやってる趣味の会社だ。1階はお母さんのやってる純喫茶。どっちも普通に賃貸に出した方が利益が残るだろう。何のために彼らは働いているふりをしているのか。そして3階以上の住居に転がりこんでいる働いてない次男や関係性もよくわからない親族たち。
 長男の会社は売却後もリースバックを希望。家賃がタダでも赤字の会社が家賃なんか払えるわけがないのに。何十年とこの船で暮らしていると陸に降りることをもう想像できないのだろうか。
 すべて適正家賃で賃貸して、どこかのアパートでも借りて暮らせば永遠に働かずに暮らすことだってできただろう。タイミングをみて建て替えたり、空いた担保枠で第二山田ビルを買うこともできただろう。
 駅前一等地にビルを遺したお父さんは、この無職を満載したままゆっくり沈みゆく山田ビルを天国からどんな気持ちで眺めているのだろうか。舵取りを誰もしないまま流されるままに長いこと漂流してきた大型船の末路だ。
 とりあえずリフォーム代がすごそうなので3割引の買付をいれて仲介に怒られる。
 「特段金銭的に困っている訳ではないので、価格の交渉は受けない旨の話しを受けて販売活動をスタートしております。」ぜったい嘘やーん!


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