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大家という稼業(働かなくてもいい人々)

 「ゴールデンウィークなんだけど、長女ちゃんを連れてディズニーランドに行きたい!」
 「ディズニーはお金がかかるからなー」
 「でもお爺ちゃんちに帰省もするでしょ」
 「そっか、お小遣いがもらえるから…」
 「そうすると資金繰り的には先に帰省してからディズニーランドか~」
 その昔、日本が不景気だった頃。ファミリーマンションの一室を事務所にした零細学生ベンチャーで働いていた。
 業務中に堂々とゴールデンウィークの資金繰りの計画を立てる部下(夫婦)の会話を「お前ら仕事をしてくれよ…」と思いながら聞いていた。
 手取り20万にも満たないお給料でごめんね、という気持ちもあったけれど、それは経営陣の考えることで、ぼくは一介のフルコミの業務委託マン部長として、彼らの年収を超える月給をちょっと後ろめたい気持ちを抱きつつもらっていた。
 一緒に机を並べて仕事をしながら20倍の給与格差とはなんなんだろう。そもそもこの事務所に出社することなく利益の過半を得ている経営陣≒株主とはなんなんだろうと疑問に思っていた。

 由緒正しいサラリーマンの血筋に生まれたので、人はみんな大人になったら働かなければいけないと思って育った。ぼくがはじめて"働かなくてもいい人"を目にしたのは、この学生ベンチャーの経営陣に出会った時だった。
 相談役として入っている10年前にIPOに関わって悠々自適のおじさん。祖父が創業した化学メーカーの相続予定株だけで一生暮らせる学生CFO。通学の電車代がもったいないから、電鉄株を買って株主優待でもらった定期で通っているんだ。大学四年間の家賃を払うくらいなら買った方がいいからワンルームも買ってもらった、と言っていた。
 そうやって世の中はお金がある人ほど、かえってお金がかからない仕組みになっているのか。そして就職しなくてもいつでもコネで働ける人ほど、就職しないリスクを容易にとってベンチャー起業ができるのかと驚いた。若かったからはじめて見た、働かなくてもいい人々に憧れと嫉妬を強く抱いたものだった。

 一方、働かなければ生きていけない、働くのを止めた瞬間に翌月から暮らせなくなってしまうという無貯金世帯はいまや二人以上世帯で16.1%、単身世帯では36.2%にもなるという。先のゴールデンウィークの計画に、実家でもらうお小遣いまで資金繰りの計算にいれていた部下の家計もそれだったのだろう。
 数か月収入が止まっても次の転職先を探せるだけの貯えがあれば、ぼくみたいな上司の下で働かなくとも、もっと仕事の選択肢が広がるだろう。数年の貯えがあれば勉強や資格を取って職種を変えられるかもしれない。でもその余裕がなければどんな仕事でも受け入れるしかない。働かなくてもいい人が、働かなくてはならない人を、うまく追いこんで、お金をピンハネしているのが資本主義なのか。
 大企業ならピラミッドのてっぺんが霞んでよく見えなかったかもしれない。ところが言うても総勢10人にも満たない学生ベンチャーなので、手を動かして稼いでいるのはぼくらじゃないか、潰れたらみんなダメになるのに正社員も役員も業務委託社員もリスクも何も変わらないだろう、という思いは拭い難く、ミニチュアのピラミッドの中で資本主義というものの発する、ねずみ講にも似たうさん臭さと疑問を感じながら、それでもフルコミ歩合給でケータイバブルに立ち会うという、人生に何度もないこのチャンスをものにすべく月給400万円のIT土方として労働と貯蓄に勤しんでいた。

 そんなimode事業も爆発霧散して十数年。そこで貯めた種銭に借金を重ねてアパートを買い続けているうち、いつしかぼくも体を動かして稼ぐ側から、資本(他人資本を含む)を動かして稼ぐ側になっていた。
 加齢と共にだんだん頭も体も若いときのようにしっかり働かなくなってくるので、いやー資本主義って本当にいいもんですね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ~。といまとなっては若いころの疑問ともお別れしました。資本主義最高。
 しかし、ようやく働かなくてもいい人々の入口にたどり着いたはいいけれど、そこに広がっていたのは思っていたようなユートピアではなく、ひたすら荒涼とした景色だった。
 暮らしていくため、家族のため、そううそぶいてやりたくない仕事や、消耗する労働をしなくていいのは幸せなことだと思うけれど…そういう言い訳が一切、許されない。お前は何がやりたいのかここに書けと、膨大な白紙を目の前に積まれて、何も書けずに毎日が終わっていくのは、けっこうつらいものがある。
 誰しも自由な時間とお金があればやりたいことがあるはずだという、呪いにかかっているのだろうか。やりたくないことはあれど、やりたいことはそうそうないのだ。

 しかも自由になるための手段であり、唯一の趣味でもあり、日々の楽しみだった不動産だったのに、だんだん何のためにボロアパートを探して買っているのかがわからなくなっていく。市況は高く投資妙味がない上、アパートを一棟買うごとにリタイアと自由が近づく大家の青春時代は終わってしまった。
 とくに贅沢もしたくないし、これ以上ボロアパートを増やしても暮らしぶりは変わらず、ただ漏水トラブルが増えるだけなのに規模を追うことに何の意味があるのだろうか。
 家賃収入や借金玉を競い合うゲームなのか。しかし、そのゲームを続けている限り、上には上がいて勝てる日はいつになってもこない。いずれどこかで負けて、勝負を降りるタイミングがちょっと変わるだけの話だ。惰性でボロアパートを買い続けるのは、もうそろそろ考え直して、新しいゲームルールを考える時期に来ているのかもしれない。



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