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離れて暮らす親の介護をどうするか問題(5)〜口からものを食べることができなくなった父〜

父は、甘いものに目がない人だった。こってりしたものとかも大好き。ソース系はなんでもドバッとかけるし、なんなら千切りキャベツにはソースとマヨネーズ両方かけていた。よく母に「そんなものばかり食べていると病気になるわよ!」と言われていたのだけど、その度に「俺は好きな物を食べて死ぬんだ」と言い返す。父は、若いうちに実父を亡くしていて、さらには二人いた男兄弟も共に若いうちに亡くなった。そんなこともあり、「男が短命な家系なんだ」と本気で思い込んでいた節がある。ちなみに3人とも事故などで亡くなっていて、遺伝的な持病があったとか言うわけではない。でもなんとなく、自分はそう長くは生きられないのかも、と言う思いがあったのかも。

去年、一緒にディズニーランド行った時、こってりお肉もりもりカレーを食べていた父。

しかし、そんな父も今年は80歳。本人の予想よりは長生きできてよかったものの、食べることが大好きだった父は、もう何も食べられない。今は鼻からチューブを通して経鼻栄養というもので体力を維持するのに最低限必要なカロリーを接種している。嚥下が難しく、すぐむせてしまうということは、気管にものが入ってしまうこと。父の場合の問題は、気管に入ってしまってもむせることがなく、本人も周りも気が付かない「危険性嚥下障害」というものがあることらしい。結果、誤嚥性肺炎を起こしてしまう。今回、検査のためにと入院した先で、実は肺炎にかかっていたことが判明。風邪がなかなか治らない、くらいに思っていたものが実は肺炎だったようで、とにかくその治療が先決、ということになった。

肺炎の治療中は、口からものを食べることはせず、すべて点滴ということになった。十日ほどしてやっと肺炎が治ったところで、口からものを食べる練習が始まったけれど、ゼリーや蜂蜜状のものでもうまく飲み込めない日もある。1日に必要なカロリー数には到底届かないので、医師からは胃瘻を勧められた。家族は、胃瘻を始めたらもう二度と口から食事をすることはできないのでは、と不安で悩んだものの、口から以外の方法で栄養摂取する必要があるのは明らかだったので、最終的には胃瘻手術を進める方向に。ところが、ここで父には胃瘻の選択肢がないことがわかった。父は30年も前に胃癌を患い、胃の半分以上をとってしまっていたから。その状態では胃瘻が機能するかわからないし、手術自体にリスクがある、と。

妥協案として、経鼻栄養を採用することになった。外科手術のリスクはないものの、チューブを常に鼻に入れておかなければならない。また、もしチューブが抜けてしまったりした場合、医療従事者しかその対応が許されていないので、介護施設などに入るのにはハードルが上がる。看護師さんが常駐しているような施設にしか入れないから。

母は、食べることが大好きな父がそんな状態で好きなものどころか食の楽しみそのものを奪われてしまったことにものすごく心を痛めている。父は何も言わない。そもそも、話をしようにも言葉が出てこない。先日、母にちょっと豪華なお菓子の詰め合わせを送った。でも、それをうちで食べていると、父はこういうものをもう食べることもできないのか……と暗くなってしまって、罪悪感を感じてしまうらしい。母だって高齢なのだから、心身ともに元気なうちにおいしいものをたくさん食べて、人と会ったり、出かけたり、人生を楽しんでほしいーー娘としてはそう願うものの、母は筋金入りの心配性&悲観的。ついネガティブなことにばかり目が行ってしまい、落ち込んでしまう。そして超真面目で責任感が強く、完璧主義者なので、父のケア周りのことをすべて完璧にこなそうと奔走し、疲弊している。

父のことはある程度諦めが入っていて、まだ先のある母のことを考えてしまうドライな私がいる。


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