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軽率にいいねをしてくれ。あわよくばコメントも。

 毎日、朝7時過ぎに記事を投稿して、朝8時には仕事に出る。夜9時頃に帰り着くまでの間、携帯を開く暇さえなく過ごす。掃いても捨てても湧いてくる仕事。できるだけ創作や記事について考えていたいのに、その合間を埋め尽くすように、業務のタスクが万遍なく広がって、俺の中から創作への思考は掻き消えていく。
 それでも、それらが止んだほんのひとときに携帯を取り出して、メール通知が来ていないかをチェックしてしまうのが今の日課だ。noteからのメール通知。自分の書いた記事にいいねやコメントがつくと来るものだ。
 暗い画面を覗き込んだところで、何も来てなくて、心に翳りが生まれるときもある。また、いいねがついて通知が来ていたとしても、その人が記事の内容を読んだ保証にはならない。だから、こんな通知を見たところで、不安に襲われるだけなのかもしれない。仕事への集中力がなくなり、次に何かを書く時にどうしようもない不安に呑まれるだけ、なのかもしれない。
 ここ二か月余りそんな生活を繰り返していた。

 今朝(これを書いている1/26の現在にとっての)、俺は記事の投稿ができなかった。それは単純に間に合わなかったという話で、今晩改めて出すつもりだが、なぜ間に合わなかったかというと、その記事を書き始めたのが早朝の6時半で、いい感じに筆が乗ると思いつつも、とにかく時間が足らなかった。そもそもどうして早朝に書いているのかというと、今週は仕事で疲れすぎたのか、あるいは保つべき集中や目的意識を情けなくも維持できなかったのか、帰って食事を取ると風呂にも入れず気絶する日々を送っていたためである。目覚ましもなくむくりと早朝に起きて、身体をさっと洗って、努めて急いで記事を書く。それでここ数日はなんとか間に合っていたのだが、今日は、もうちょっと書きたい、もうちょっと書ききって出したい内容だ、と思えてならなかった。たまらずに、使ったことのないnoteのつぶやき機能を使って、今晩出します、と書いた。

 (始めて知ったのだけど、つぶやき機能の投稿でも、noteの毎日投稿の記録が継続されるらしい。六十何日連続投稿です! の文字が出たときには、これで継続になるのか……と拍子抜けした。だとしてもあくまで、記事という形で投稿をちゃんと続けるつもりだが、改めて考えさせられたのは、毎日投稿したという証だけなら簡単に手に入る方法はあって、大事なのはその習慣によって何をして何を与えて何を得るかなのだろうな、ということだった)

 何も考えずにスマートフォンのスクリーンを点けて、メールが来ていないか確認する。そこではじめて、今日は記事を出していなかったことを思い出す。だからこの習慣を今日は続ける必要がまったくないのだ、と頭で理解する。しかしその後も、スクリーンを点ける手が度々出る。画面を見て、ああそうだ、と思い出す自分がいる。それを繰り返すうち、何も来ないのはーーいいや、何も来る可能性がないのは、結構寂しくて落ち着かないものだな、と思った。
 そんな心の動きはきっと、これまで投稿してきた記事に、少なくとも反応が存在していた証拠だろう。俺が、思った以上に、いいねという反応に支えられていたことの証左なのだろう。それがきっぱりなくなってしまったら、俺は耐えられないのだろう。

 可能な限りで内容を読んでもらいたいし、コメントがほしいと思ってはいる。けれど、その証明と等価ではない「いいね」という行為が、俺の仕事と創作の合間に見る、かけがえのないものとなっているのも事実だ。俺は救われている。読まれていなくとも、言葉はなくとも、その反応そのものに。


一人で生きるには……この世界は寂しすぎるんだ。時間が永すぎるんだ。

ニーアオートマタ - デボル

 

 俺は、書き続ける人というのは、それを遥かに上回るくらい、読み続けるべきだと思う。何なら……これは俺にはほとんどできていないことだけど、やっぱり、読んで、何かしら感銘を受けたのなら、それを伝えなくちゃならないよな、とも思う。
 「半年ROMれ」という太古のインターネットスラングを後生大事に抱えた結果、インターネットに入り浸ってから干支一周を越えても、俺はぜんぜん、人に感想だとかよかったとかを伝えるのが苦手だ。相手に受け取ってもらえる形に切り取れたためしがないように思う。いつも、まとまりがなくて、溢れていて、言い出した瞬間に申し訳なくなるアレが、俺は嫌いだった。

 少なくとも、これだけ皆さんから反応をいただいて、そのことが俺の日常と、次の創作への筆を静かに支えている現実を目の当たりにしたのなら、恥ずかしいとばかり言ってはいられないよな……。


 そういう気持ちで、最近はXでもnoteでもpixivでも、いいねを押すハードルを下げるようにしている。これまでは、その作品をひとり自室で見聞きして、身体が打ち震え声が漏れ出るような体験をしても、それを自分ひとりだけいるDiscordのサーバールームに書きなぐって記録して、そんで終わり……何も世界には反応を放たない、ということばかりだった。
 まだ全然習慣づいてないけれど、いいと心から思ったものにはいいねをつけようと思うし、できれば、コメントも残したい……いつか気軽に素敵な、相手にとって必要な言葉を、出せるようになるといいのだけど。

 俺も頑張ります。なので、これまで読んでくださっている皆さん、これから出会う皆さん、軽率にいいねをしてください。それが本当に、支えになっています。


 最後に、俺がいいねやブックマークをするときは、間違いなくその内容を最初から最後まで見通している。そのうえで、すごくいいな、と思ったものにしかいいねは残さない。これはあくまで俺のスタンスであって、誰もが貫くべき姿勢なんかじゃない。
 だけどもし、俺のいいねに対して、こいつ本当に読んでるのかな、と思うようであれば、間違いなく読んだうえでしている、と回答する。その内容を100%間違いなく読み取ることはできていないだろうけれど、そこから良さを感じ取ったことだけは、声高に主張したい。