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黙るのは難しい

今日はオンラインワークショップ「わからないと思うための対話」の3回目であった。

参加者の一人から「自分は話の終わらせ方がわからず、延々と話を続けてしまうと気づいた」という話題が出た。

集団内で話をしていて、自分のターンを相手に譲り渡すときには、「以上です」などと自分のトークが終わったことを伝える言葉を添えるか、ただ、黙るか、どちらかを選べばいい。

だが、この「ただ黙る」というのが曲者で、できない人は本当にできない。沈黙というのは案外怖いもので、沈黙を埋めるべく何かを口に出してしまう。カウンセリングにおいては沈黙し続けることは技術であり、沈黙に耐えられるのは能力である。ある程度、練習して身につけるものだ。だから、普通の人たちがうまく黙ることができなくても、それはおかしなことではない。

ぼくは、昔、催眠療法の先生から以下のような修行を課されたことがある。

一週間、極力、無駄なことを一切しゃべらない。かといって、しゃべらなさ過ぎて、日常生活の意思疎通に問題をきたしたり、周りの人間から怪しまれて「どうしたの?」などと聞かれてもいけない。必要最低限の発言に抑えながら、誰にも気づかれず、自然とやり過ごせるように振舞う。

いざやってみると、これがなかなか面白い。様々な理由から口を開きたくなっている自分に気づく。

・思いついたアイデアを口に出したい。
・相手の話を聞いて連想した自分の体験を口に出したい
・相手に何かをアドバイスをしたい
・沈黙が不安で、沈黙を自分の言葉で埋めたい

自分の中のこういった気持ちを自覚してくると、徐々に抑制が効くようになってくる。自覚できない感情や思考に突き動かされてしまうことはよくあるが、自覚できているとコントロール可能な幅が広がる。口を開きたい気持ちはあるが、あえて黙っておく、という行動選択が可能になるわけだ。

わずか一週間まじめにやってみるだけでも、色々と気づくことがたくさんある。興味がある人はぜひチャレンジしてみてほしい。

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