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10年経ってついに夫の死への罪悪感が消えた話

3日ほど前に以下のツイートから始まる連続ツイートにて夫の死についての罪悪感に苦しむ女性に対して3つの質問を用いてそれを取り去る話をした。

その後読みやすいように加筆訂正してnote記事にまとめたのが以下である。詳細はこちらを読んでもらえるとよいと思う。これから述べる話はこのnote記事の内容の後日談にあたる。

記事の内容をシェアしてくれたAさんは、数日後に「面白い発見をしたから報告したい」とまた連絡してくれて、彼女からもう一度、話を聞かせてもらうことにした。

Aさんは連続ツイートを3回読み、最後の3回目で気付いたことがあったという。このツイートに彼女は目をとめたそうだ。

ひっかかった単語は「偶然」である。

Aさんは「あ!」と思った。

「確かに夫との喧嘩と、そのあとに続く夫の死のタイミングは『偶然』だよなあ」と納得したそうだ。

そして、そこから逆説的に実は自分は夫婦喧嘩と夫の死を心の奥底のどこかでまだ関連付けていたことに気付いたのだという。

今までのどに魚の小骨がひっかかったような感じがしていたのだけど、それが原因だったのか、と。

このツイートを読んで、初めて心の底から夫の死のタイミングは単なる偶然であったと確信できた自分に気付いたという。

A:Aさん め:筆者(めんたね・尾谷) 

A:もちろん、頭では偶然だとわかっていたんです。でも、自分でも気づかないようなレベルでどこか夫と喧嘩別れしたことと、彼の死を結び付けていたんだって、このツイートを読んで気づいたんです。尾谷さんがそこを意識してリフレーミングしようと思ってこの文章を書いたのかどうかはわからないんですけど。
め:全然意識してなかったです。
A:でも、これって10年前のあの時に言われても受け入れられなかったと思うんですよね。
め:確かにそうですね。ぼくもあの時には『偶然』という言葉を入れることは避けたのだと思います。Aさんは夫の死と自分の行動をかなり強く結びつけて考えてましたから。伝えても反発されてしまうからあえて避けた。でも、今はもう大丈夫だろうと気が緩んでぼくも何気なく書きました。

リフレーミングが相手に受け入れられるかどうかというのは、時期とかタイミングの問題もあるということだ。Aさんはこの10年の間に少しずつ最後のリフレーミングを受け入れる準備が進んでいた。そして、今回、偶然リフレーミングされる機会があって、それを受け入れた。

10年がかりのリフレーミングかと思うと感慨深い。こういう貴重な体験をシェアしてくれたAさんにも感謝したいと思う。

リフレーミングは小さく、気長に!

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リフレーミングについて



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