記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『ハッピーセピア』で大熊らすこ先生は何を描き、何を描かなかったのか

人見知りな少女の海果が宇宙人のユウに出会い、ふたり共通の目標である「宇宙」を目指す、ガール・ミーツ・ガールロケット青春ストーリー『星屑テレパス』

夜空に輝く光の中には人工衛星やスペースデブリも含まれるように。作者の大熊らすこ先生は、夢を追いかける少女たちのきらきらとした日常だけでなく、理想だけでは越えられないシビアな現実も同時に描く。

この作品を象徴する「おでこぱしー」――おでこ同士をくっつけることで相手に自分の気持ちを伝えられる超能力――も然り。この力を使うユウと出会い、人とうまく話せないことに悩んでいた海果は救われるが、だからといって本人のコミュニケーション能力自体が急激に上がったわけではない。

友人や家族以外と話すときはいまだによく言葉に詰まるし、大勢の人の前でスピーチしたときは緊張のあまり記憶をなくすほど憔悴してしまったこともある。宇宙人・テレパシーといったSF要素を扱いつつも、大熊先生はそれらを決して安易な問題解決の手段にしない。

優しさと厳しさを併せ持つそうした作風は、前作『ハッピーセピア』にも見受けられる。タイムトラベルという壮大なテーマを用いて、大熊先生は何を描こうとしていたのか。『星屑テレパス』がきららの次世代を担う作品として注目されている今、あえてひとつ前の本作を振り返ってみたい。

「だったら私が変えてみせます!! 悔いのない最高の高校生活に!!」

画像1

『ハッピーセピア』は、まんがタイムきららで2017年3月号から12月号まで連載されていた作品。3話まではゲスト扱いで、4話から連載に昇格するものの、単行本が出る直前の10話で突然最終回を迎えてしまう。

有り体にいえば、打ち切られたということだ。しかしそれは、必ずしも作品の評価を下げる要因にはならない。むしろ、当初の想定より短くまとめなければならないからこそ、優先度の低い要素は排除され、作者の最も描きたかったメッセージが浮き彫りになることもある。

物語は、主人公の鳩ケ谷かえでが10年前の世界にタイムトラベルする場面から始まる。

もしも過去に戻れるとしたら。多くの人は自分のため――過去の失敗をやり直すため、宝くじや競馬で大儲けするため――にその力を使うのではないだろうか。しかし、かえでの目的は別のところにあった。

時間は少し遡り、この春から高校生になることを砂守みなみに報告するかえで。かつて自分の家庭教師だった女性で、かえではみなみを実の姉のように慕っている。

制服姿の教え子を見て、かえでと一緒に高校生活を送りたかったとつぶやくみなみの哀しげな表情が忘れられないかえでは、それを実現する方法を探し始める。

再入学、通信制、そしてたどりついたのが、タイムトラベルの治験者を募集する怪しいホームページだった。社会人のみなみがもう一度高校生になるのが難しいのであれば、彼女が高校生だったころまで時間を巻き戻せばいいと考えたのだ。

「追い詰めすぎて自分のことが嫌いになっちゃったら 何のための努力かわかんなくなっちゃいますよ」

画像2

小学生時代のかえでは学校の授業についていけず、親にも呆れられ、自分は落ちこぼれなんだと思い込んでいる子どもだった。大学生のみなみが家庭教師としてやってきてからも、成績はなかなか上がらない。

それでもみなみは、頭ごなしに勉強を押しつけたりしなかった。たとえすぐに結果が出なくても、たまには息抜きすること、目標に向かって努力している自分を褒めてあげることも大事なのだと優しく諭す。

その言葉に救われたかえでは、学力を向上させるだけでなく、自分にも自信を持てるようになっていく。明るく元気で行動力がある今のかえでがいるのはみなみのおかげであり、恩師と言うべき存在なのだ。

一方、タイムトラベルした先でかえでが出会った高校生時代のみなみは、成績面では非の打ち所がない優等生。だが、教師を目指している彼女は自己評価が著しく低く、「高校生活に楽しさは不要」と言い切り勉強漬けの毎日を送っていた。

小学生時代のかえでにみなみがかけた言葉は、彼女自身が高校時代の自分にかけたかった言葉なのかもしれない。そう考えたかえでは、なかば強引にみなみを遊びに連れ回す。

放課後の教室でお菓子を食べながらおしゃべり。午前授業のあと動物園に寄り道。ボランティア部に入り、部員たちとゴミ拾い。無駄だと思っていた体験を重ね、戸惑いながらもみなみの心は不思議と満たされていく。

「私が…その先生に似てるから… だからかえでさんは私に声をかけたり気にかけたりして下さったんですね」

画像3

出会って間もない自分をどうして気にかけてくれるのかとみなみに尋ねられたかえでは、とっさに「恩人の先生に似ているから」とぼやかして答える。

それを聞いて、納得と哀しみが入り混じったような表情を浮かべるみなみ。当然だ。誰かの代わりに好きと言われて嬉しい人はいない。

仮に本当の理由を話して信じてもらえたとしても、おそらくみなみは同じ反応をしただろう。かえでが慕っているのは、優しくて思いやりがある大人の自分であって、頑固で融通が利かない高校生の自分ではないのだから。

そういったかえでの無意識な残酷さは、みなみへの恩を返す手段としてタイムトラベルを選んだところにも表れている。

たとえ善意による行動だとしても、かえでがしようとしているのはみなみの「過去」の改変だ。家庭教師のみなみが落ちこぼれだったかえでに寄り添い、「未来」を示してくれたのとは根本的にベクトルが違う。

なぜかえでは、タイムトラベルという大きな決断を下す前に、みなみ本人に高校時代について尋ねなかったのか。辛い過去を思い出させたくなかったから、といえば聞こえはいいが、みなみとの対話を避けた、本人の口から理由を聞くのが怖かったのではないだろうか。

憧れの人は完璧でなければならない。その人の過去に汚点があってはならない。崇拝にも似たみなみへの想いが、かえでを過去の世界に駆り立ててしまったのだ。

「みなみさんは今目の前にいるみなみさんだから…一緒が良いなって思う…」

画像4

みなみに拒絶されたことで、彼女に高校生活の楽しい思い出を作ってもらうという願いが独りよがりだったことに気づくかえで。そしてあらためて、「恩人の昔の姿」としてではなく、「同い年の友達」として目の前にいるみなみに向き合おうと決意する。

みなみはたしかに優れた人間だが、完璧などではない。欠点だってあるし、間違うときだってある。みなみを盲信していたかえでがその事実を受け入れるためには、物理的に彼女と同じ年齢になる――タイムトラベルをする必要があったのだろう。

全10話で打ち切りとなった『ハッピーセピア』には、回収されなかった伏線がいくつかある。その最たるものが高校時代のみなみのクラスメイト・一水あきらの存在で、実は彼女はかえでを過去の世界に送り出したタイムトラベルの研究者でもある。

あきらがどのような経緯で研究者になったのかを、大熊先生は作中で「描かなかった」。実際には残り話数の関係で「描けなかった」のかもしれないが、あえてこう表現したい。

なぜなら本作の主題は、タイムトラベルやタイムパラドックスといった要素自体ではない。タイムトラベルをしてまでみなみの恩に報いようとしたかえでの一途な想いであり、その旅を通じてみなみの短所にも目を向けられるようになったかえでの精神的成長にあるからだ。

デビュー作の読切『あるじのいぬまに!』では、飼い主に感謝を伝えるため変化の力を身につけたペットを。『ハッピーセピア』では、恩人の後悔をなくすためにタイムトラベルする少女を。

形は違えど、大熊先生は自身の作品で一貫して「大切な誰かに気持ちを伝える」キャラクターを描き続けてきた。そのメッセージは「おでこぱしー」という儀式に昇華され、『星屑テレパス』でついに花開くことになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?