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夜に咲く(桜あつめより)

「そんな暇ないわよ」
「大体、加持くんなんでそんなトコ入り浸ってるわけ?」

と、冷たく返しても絶対に折れない彼。

「まぁ、いろいろあるんだよ」
「仕事の後、迎えに行くからさ」
「シンジくん達と来るより、俺とデートしたいだろ」

シンジ達を、海洋生態系保存研究機構の社会見学に誘った加持は、ミサトも誘ってはいた。しかし、セカンドインパクトの経験からも、彼自身、驚く程衝動的に彼女の唇を奪った日から、それまでよりも彼女が、更に自分を極端に避けている事実からも、来ないことは分かっていた。

それでも、加持は彼女をどうしても連れ出したいようで、事あるごとに声をかけていた。今回もその件でわざわざ携帯電話ではなく、自宅に電話をかけてきたのだった。

どんなに冷たくあしらっても、加持に何度も何度もミサトを誘ってきた。彼女は辟易しながらも、施設への興味から、気持ちに迷いが生じていた。しかし、セカンドインパクト前の世界を再現しようとしているかの施設に、足を踏み入れることは、勇気が要る。現にあの日のことを思い出すと、未だに心が闇に飲み込まれそうになる。

ただ、諦めない加持と、何よりどうにか押し込めていた、胸の奥に秘めた想いが顔を出すことで、揺らぐ気持ちは収まらなかった。結果、悩みに悩み、シンジ達とは行くのはやめて、加持の提案通り、仕事を終えた後に一緒に行くことを受け入れた。

加持との待ち合わせは、夜も更け始めた頃だった。

当然見学時間は既に過ぎている。閑散としたゲストゲートを通り、ウンザリする程多くのクリーンルームを抜け、ミサトは加持に案内されて、薄暗い施設内に入った。

見学ブースの手前で、夜勤務の職員と何人かすれ違ったが、加持は、ミサトの肩を抱き、「俺の彼女連れてきたんだ」「綺麗だろ」などと、いつもの軽口を交えながら、挨拶をしたり、足を止めて雑談をすることもあった。ミサトは、そんな加持に、顔を赤くしたが、ふと表向きは社交的な加持をよく知ってはいても、思った以上に彼が施設の職員と親しいことに驚く。

狭い廊下をしばらく進むと、その先にさながら幼い頃、両親に連れられて行った、水族館のような大きな水槽が見えてきた。最早、数少なくなった紙媒体や、オンラインのデータでしか見ることが出来ない海洋生物達。自由に泳ぎ、眠りに入ったものは、ふんわり浮かんでいる。甲殻類が底面を這い、海草類は揺れ、大きな珊瑚や貝類が小さくも鮮やかな色で存在感を見せていた

ペンペンが喜んでたという、寒冷地ブースでは、就寝時間が過ぎたのか、お腹をつけて寝ているペンギンの姿が見られ、ミサトは自然と笑みがこぼれる。

ペンペン、もう一度連れてきてあげればよかった…そんなことを思いながら、社会見学の夜のことを思い出す。そういえば、見学から帰ってきたシンジは饒舌で、彼にしては珍しくお喋りな夜になった。上気した顔で、話してくれた施設内の生き物達の話を思い出す。アスカもシンジの話に鋭いツッコミもしていたが、社会見学をパスしたいと言っていた割には、ペンペンを膝に抱き、シンジと一緒に話をしてくれた。そんな、三人で和気あいあいと過ごす夜は、家族といるようで、心地よかった。

加持は、ミサトが辛そうであれば、すぐに切り上げようと考えていた。

しかし、人混みが苦手なミサトは、誰もいないこと、また、夜の水族館のような、ロマンチックな雰囲気に、こんな所に連れて来るなんて、加持らしいなと苦笑いしていた。そして、自分が想像していたより、ウキウキするような高揚感を感じている、と思う。見学ルートをなぞりながら足を進めると、両親や親しい人が生きていた頃のことや、南極でのことが頭をかすめたが、なぜか楽しく思えたのだ。

それは、いつもと違う雰囲気に包まれ、気がつけば素直に加持と談笑しながら、まるで付き合っていた頃のように、二人並んで、展示を観ながら一緒に歩いていたことも、一因だということに彼女は気づいていない。無論、気づいていても、彼女はその考えを打ち消したことだろうから、気がつかなかった方が良かったのかもしれない。

加持は、そんなミサトの様子を見て、彼にとって大変重要なこの施設を、外枠だけでも彼女に見せておきたいという、本来の目的を叶えることが出来そうだと分かり、彼女に気づかれないように、安堵の胸を撫で下ろした。

気がつくと、最奥まできたらしく。『Keep Out』と、大きく書かれた立て看板が目に入る。文字の下には、見学者にUターンし、出口へ誘導する為のマップが表示されている。その立て看板の後ろにある、関係者以外立ち入り禁止の扉の前に加持は進むと、胸ポケットからカードを取り出し、セキュリティシステムのロック画面にかざした。

ピッと電子音が響き、あっさりとロック解除する加持に、ミサトは驚いた。

「加持くん、ここの施設ってうちの管轄だっけ」

その質問には答えず、加持は中へ入っていった。その後を付いて行くと、同じ間隔で左右にドアが奥まで並んでいた。ミサトはドア越しに部屋を覗く。そこには、水耕栽培の農業プラントが並び、小さな苗が等間隔で植えられている部屋や、葉が勢いよく伸びており、実をつけているものもあった。

それにしても、先程までの動物園や水族館のような様子から、随分と雰囲気が違う。ここで復元されようとしているのは、青い海や、海洋生物だけではないのか。

更に足を進めると、吹き抜けになった、広い空間が広がる。

…と、ミサトの目が見開かれ、ある一点に釘づけになった。

月あかりが一本の木を照らしていた。

桜が静かに薄いピンクの色を乗せて咲いている。

ガラス張りの屋根から注ぐ優しい光が、その空間を幻想的な世界を彩るように包んでいた。桜の木は自体はまだ細いが、その幹から伸びる枝にいくつもの花がこんもりと丸くその存在感を見せつけている。

「…綺麗」

ミサトはそう呟くと、しばし言葉を忘れたように沈黙し、ただただ、目を奪われていた。

「ソメイヨシノっていう品種らしい」

俺も昔見た気がするんだけど、と桜に見惚れるミサトに、加持は満足そうに微笑む。

「桜は日本の国花だからさ、ここでも復元されて、象徴的な存在になってるんだけれど、お披露目はまだ先かな…外は暑いし」

「大学の前の桜とは違うけれど、これはこれでいいよな」

加持の言葉に、ミサトは息を呑んだ。

セカンドインパクトで、その殆どは消失したと思われたが、第二東京大学の正門前には大きな彼岸桜が、奇跡的に生き残っていた。温かい地方で大きくなるこの桜は、四季が消えたこの地で急成長したのか、その枝を四方に伸ばし、存在感をアピールしていた。

大学入学前に寮に荷物を運んだ後、ふらりと散歩した時に、見つけて以来、ミサトはこの場所が好きだった。

二年生と三年生になる直前の春は、そこでリツコも交えて立ち見ではあったが、三人でビール片手に花見をした。四年生になった春は、殆ど単位を取り終え、また加持との関係も解消していた。そもそも、戦略自衛隊で特殊訓練も受けていたミサトは、リツコとも顔を合わせる機会が減っていた。それでも彼女は一人でその場を訪れ、想いを馳せた。

大学生時代を終えたあの日も、その晴れ姿を祝うかの如く、桜は咲き誇っていたのを覚えている。

ミサトと加持にとっては、二人の友人、リツコも含めて、様々な想い出が残っている、そんな場所でもあった。

「あの時の葛城、綺麗だったな…」

不意の、穏やかな声に静寂が止む。

「あの時?」

「卒業式」

卒業式、加持からこぼれたそのフレーズに、ミサトは胸の中が温かくなるのを感じた。加持も、自分と同じことを考えていたのだ。

懐かしさと共に、気を許せば出てきそうな、瞳の光る物を抑えつつ、蘇る数々の場面。二人で暮らしたアパートを出て、一年半ぶりに見た加持は、桜の木の下に溶け込むように佇んでいた。

しっかりと顔を見た訳ではないが、一目見て彼だと分かった。
別れてから一年半は経っていた久方の彼は、少し大人びた、遠い存在に見えた。

「加持くんはいつものラフなカッコだったね」

クスクス笑うミサトに、加持の、少しだけ熱の籠った声が降りてくる。

「気づいていたのか」
「うん…式に出れば良かったのに」
「君が眩しくて、近づけなかったのさ」

いつもの茶化したような声。しかし加持にとっては、本当の想いだった。

「バカね…でも」
「あの時、元気そうな姿見てホッとしたのよ、あたしがアパート出て以来だったし」

加持は、彼女がアパートを出たその次の日に、別れの辛辣な言葉を言われたことを、忘れているミサトに、心の中でダメ出ししながらも、少なからず自分のことを気に掛けてくれたらしいことを知り、その目尻を下げた。

「今度さ、リっちゃんも誘って、オフの時に第二東京市に行ってみようか」

リツコの名前を出されて、ミサトの顔が綻んだ。三人で出かけることが出来たら、どんなにか楽しいだろう。でも、そんなことが出来るだろうかと思ってしまう。そんな自分に、大学生時代とは違う立ち位置に立ってしまった寂しさも感じる。

「そうね」

いつになく続く会話、いつもなら途中でいわゆる痴話喧嘩になることが多いし、彼女から一方的に遮断するのに。この言葉のやり取りが心地良い。ミサトは、今ならずっと心に残っていたことが言える気がした。

「あの時…わたしね」

「加持くんに声を…かけなかったこと、後悔…してる…の」

急に緊張したのか、思いの外、声が途切れ途切れになる。

彼女は、桜の木に目を移した。静寂に包まれた空間で、一人ぼっちで、でも、思うままに力強く開くその花に、励まされるような気がする。目を閉じ、一呼吸置いてから、ミサトはその奥底に仕舞っていたその想いを言葉にして彼に告げた。

「卒業おめでとうって言いたかった」
「一人で、卒業してしまうなんて、寂しいもの」

絞り出すような、小さな声。

加持は、眩しそうにその声の主を見つめる。
彼女はいつも不意に、思いも寄らない、彼の心を擽る言葉を紡ぎ出す。今もまた…。

本当に可愛い女。
本当に愛しい女。

君の、セカンドインパクトを間近に見た地獄とは比にならないが俺も泥水を啜って、這い蹲って生きてきた。そして。生きる糧を繋ぐ組織に入ってからは、想像出来ない未来が待っていることを知ることとなった。

そんな先の見えない世界で、唯一の。

一緒にいられたあの時間が、俺にとっては、どれだけ幸せで、満たされた日々だったか、君は知らないだろうな。

君にそんなつもりはなくとも、俺をまた、君の虜にするつもりなのか。

加持は、深い所でちりちりと甘く苦い痛みを感じながらも、彼の全てを包み込むような、幸福感にしばし酔う。

しばらくの沈黙。

ミサトが、気に触ることを言ってしまったのかと、不安になり理かけた時、その沈黙は破られた。

「じゃあさ、俺達も改めて卒業しよっか」

「え?」

加持の飄々とした声に、ミサトが安堵したのも束の間、再び投下される甘い罠。

「別れてた時間からの卒業」

「…な、何言ってるのよ、バカ」

唐突に返した言葉が、いつもの売り言葉に買い言葉口調になってしまい、ミサトは泣きたくなる。瞬間湯沸かし器でもあるまいにすぐ赤くなって怒ってしまう自分。いつもちょっかいばかり出してくる加持に、彼女にしては、真っ直ぐに想いを告げていたのに。

子供じゃあるまいし、結局、一番見られたくない卑屈な姿を晒け出しているではないか。

自己嫌悪に苛まれつつ、冷静に考えようと努力する。

加持とのことは、友人というには、その定義に有り余る程の関係だった時期もあり、どう処理していいかわからない程に、曖昧な存在になっていた。でも、元恋人という称号のような、ちっとも嬉しくない肩書きを外すことが出来るのなら、この先、新たな関係を気付けるかもしれない。一緒に生活して、四六時中お互いを求めあうような、そんな日々には戻れなくても、加持を変わらず愛していることには、変わりないのだから。

そう思うと、ミサトを朱に染めた熱が、寂しさと共に、すっと引いていくのを感じた。

そんな、物憂げな顔をしたミサトに、加持は複雑な弱い笑みを頰に含んで、ポツリと独り言のように呟いた。

「大真面目なんだけれどなぁ…俺」
「あの頃には戻れないけれど…さ」

マモッテヤルコトガデキナイ
ソレデモイッショニイタイ

加持の根底にあるその想いは、ミサトを遠ざけることが一番なのを、彼自身が知っている。

それでも…

「でも、こうやって君と、時間を共有することは出来る」

ひどく、優しい声。

四六時中、彼の声を、温もりを、思うまま求めていたあの頃の自分を、ミサトは羨ましく思う、心の底から嫉妬する位に。

直接伝えることなんて出来ないけれど…

貴方が帰国して、一緒に過ごした時間を、全て愛おしく思ってしまう。否、ずっとそう思っていた。

ずっと忘れられないヒト
ずっと大切なヒト

別れてからも、時々加持との恋を思い出してしまうのは、きっと自分の仕事が、誰かと恋愛なんてする余裕がないくらいに、忙しいからだと思ってた。実際、業務の為に勉強することは山程あったし同期で頑張っているリツコの存在も大きくて、昇進する為に、本当に仕事や勉強ばかりしていた。

でも、加持くんだって悪い。

わたしは、自分の人生の中で唯一の、あの絵に描いたような幸せを忘れたかった。でも加持くんは、いつもピンポイントで現れて、わたしの心を掻き乱す。全然忘れさせてくれない。

ミサトはこの非常時に、そんな子ども染みた、昔の恋に縛られているような想いを、心の底に持っていることに、戸惑いを感じた。しかし最早、どんなに言い訳を考えても、否定することは出来なかった。

イッショニイタイ
アナタノスベテガホシイ

何度も頭の中で打ち消したフレーズを、認めざるを得ないと知った時、ミサトの瞳に加持を求める炎が薄っすらと宿る。

彼女を見つめる彼は、その僅かな変化を見逃さなかった。

ふっと、チクチクとしたいつもの感触と共に、視界が加持の色に染まったと思った時には、もう唇が塞がれていた。ミサトの見開かれた瞳に、先程灯った炎が静かに燃え上がり、熱さを増していくのを感じながら、加持は何度も優しく、啄ばむような口づけを繰り返す。ミサトは目を閉じ、少しずつ深くなっていく、彼の熱を受け止めた。

月明かりに照らされ、桜の木の横で重なり合う二人に、桜の花びらがハラリと舞い落ちる。

若葉が新しい色彩を二人に与えるように始まった淡い恋は、長い期間を超えて、いつしか形を変え、ひっそりと、しかし目の前で咲き誇る桜のように、儚く、刹那的にその想いを咲かせていくのだった。

<FIN>


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