800mについて

第2回目の記事は800との出会いについて書こうと思う。

中3から高3までは800mを専門に走っていたが、そのきっかけは単純な「思い出作り」だった。

中3になった直後、当時は部活内でとりあえず駅伝メンバーに入れるか否かの瀬戸際程度のタイムだった。

千葉県の北西部に住んでいた故、東葛駅伝という大規模な中学校対抗駅伝には出られるだろう。けれど、たいして活躍もできずに終わるだろう。というレベルのタイムだった。

当時の部活は強豪であり、県駅伝では入賞するし、地区の対抗戦でもトップに入るくらいチームの平均値は高かった。

その中で当時の自分は1500で4分38、3000では9分50程度のタイムだった。速いとみるか遅いとみるかは人それぞれだと思うが、チームの中では先にも書いた通り駅伝メンバーに入れるか否かのライン上だ。

そんな中、「どうせトラックじゃ活躍できないんだし、今までほとんど走ったことのない800をやってみよう」と思った。

実は中2の新人戦では800を走ったことはあったのだ。でも、それはメンバーの枠が空いているからとりあえず参加させられた。という状態だったし、その時の自分の心は長距離や駅伝に向いていたから特に何も思わなかった。

実質、ほとんどやったことのない状態からの挑戦だった。先生に「800やりたい」と言っても突っぱねられたのを駄々をこねて800挑戦までこぎつけた。

おそらく当時の自分が主力とは程遠く、綾波レイの如く’私が消えても、変わりは居るもの’みたいな状態だったものあるだろう。もし、チームの主力だったら許されないだろう。

そうして初めて800に挑戦したら結果は2分11秒。なんと、県通信の標準まで1秒程度に迫るタイムを出せたのだ。ラップで言うと62-69。大爆死である。

しかしこの結果は先生も予想外だったようで、とても褒められた。そして、県通信の標準を突破するために再び800に出たりもしたが、突破はできなかった。

だが、地区の対抗戦で800で優勝を果たし、支部推薦枠で県総体を決めるというミラクルを起こした。

その瞬間「高校では800をやる」と心に決めた。

高校では800をメインにして、2分切りを目標にしていたものの2分02秒止まりだったものの、800との出会いは確実に自分の人生に大きな影響を与えたと思っている。

今なら確実に言えるのは「中3の時に地区で優勝していなければ大人になった今でも走ってはいないだろう」

良くも悪くも影響を与えた種目だった。

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