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11月のセロファン

3月のライオン

ひりひりした勝負事の中で一生懸命勝ちに行くこと、価値を確保すること。それと幸不幸を切り分ける話は「ハチミツとクローバー」でもされていたと思う。3月のライオンを読んだ。


ずっと病気と付き合っているキャラクターが、幸福な居場所を見つけた主人公に対して「幸せになって呆けてんじゃねえよ、戦うためのガソリンがなくなったら大変だろ、神様に病気を取り除くか聞かれても俺だったら、俺だったら、あー、病気は治してくださいって言うわ。そういうことじゃないわ。」のようになっている話が特に好きだった。こういうことを丁寧に話してくれる人がいるのはありがたい。私が言ってもあんまり伝わらないから。

羽海野チカ先生って、ふくふくした生きものに対する情愛が凄まじいよなといつも思う。コミックスに収録されていた文鳥の絵を見て感動した。こういう感動を伝播させられたらそんなにいいことってない。こういう風に生きてみたかった。

「納得のいく不幸を見せろ」のアンチ

「欠けているからこそできることがある」という発想は使いようだと思う。そう考えなければどうにもならないターンがあることはわかっている。ただそれはあくまでカウンターであって、「欠け」を指摘されやすい側が、はじめから自分で用いたガソリンではないだろう。そもそもすべては「やったからできる」ものであって、「欠けてたら全自動でできちゃう」わけではない。

欠けていても欠けていなくても、できることはできる。できないことはできない。存在しない「欠け」で許されたり許されなかったり、得ている幸福の分だけ不幸がなければ気が済まないような考え方は、遣る瀬がないから全員を不幸にする。

コミュニケーション

「才能があるからコミュニケーションが苦手なんですね」みたいに言われて、その話を真に受けてしまっている人はどれだけいるんだろうか。そんなことを人に向かって言う人は失礼だし、そんな話でうっかり納得してしまうような人の方が、喜ばせたいだとか役に立ちたいだとか、そういう気持ちに基づいて人と関わっているように見える。

“才能があるからコミュニケーションが苦手なんですね。(自分はそうではない)才能があるけど性格がどうかしていますね。(自分はそうではない)”

これは成績のいい人に“ブスだから勉強を頑張ったんですね”と話すぐらい、頓珍漢で失礼な話ではないのか。慣用表現みたいになっているところがあるから、言う側の怠慢はどうにもできないのかもしれない。けれど、真に受けて苦しんでいる人を見ると「…あなたが言われたことは、言いがかりだと思います…」という感想を持つ。

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