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母の覚悟はどれほどのものだったのだろう

私が6歳、弟が4歳の時、父が突然他界しました。
病死ではなかったので、本当に突然のことだったと聞いています。

私たち姉弟は幼かったので、その時のことをうっすらとしか覚えていません。

母は人生で初めて、食事ができなくなるという経験をしたそうです。
何も手につかなくなり、ただただ呆然とするばかりで、葬儀だとかそんなことまで頭が回らなかったと。

当時、母の実母(私の祖母)が来て、背中を叩き、泣きながらこう言ったそうです。

「あんたには2人の子供がおる!あんたがしっかりせんで、誰がこの子らを守ってやれる!?しゃんとしなさい!!」

この言葉で我に返った母は、私たちを強く抱きしめたと聞いてます。

そして葬儀後、母は人生で大きな選択を迫られます。

それは、このまま義理の両親と同居するのか、実家に帰るか、です。

母方の祖母はもちろん帰ってくるように言っていました。
実母の方が何かと融通は効くし、実家には母の弟もいる。

もちろん父(私の祖父)もいました。

ですが、

母は今の場所にとどまることに決めました。


父方の祖父は口数が少なく、穏やかで優しい人でしたが、葬儀後に泣いて母に頼んだそうです。

孫と一緒に暮らしたい、と。

もし、母が実家に戻ってしまえば、自分と妻、そして年老いた母(私の曾祖母)だけが残され、老人だらけになってしまう。
家庭内の活気は失われ、息子を亡くし、さらに孫までとはもう耐えられないと。

そうして母は、義理の両親と祖母、そして私たち2人の子供と暮らす選択をしたんです。

いや、

すごくない??


32歳ですよ??
私なら絶対に無理だと思う・・・。

嫁いだ先が農家だったので、収入は不安定。
そんな中残る決意をした母は、そこから猛勉強して調理師免許(国家資格)を取得。

公務員になりました(すごすぎる・・)。

学校の給食のおばさんとなった母は、私と同じ小学校に私と一緒に入学・入社しました(笑)


母の人生は、本当に波乱万丈です。
なのに、本人はいたって普通のこととして、今も元気に過ごしています。

こうして私がnoteで発信しなければ、身内以外、誰にも知られないまま人生が終わっていったでしょう。

でも、私は残しておきたかった。

母は、私の人生において、最も尊敬し、最も手の届かない場所にいる人です。


結婚前は保育士として、24時間勤務の場所で働き、休みの日はバイトもして、自分で車を購入。
※こういった経緯があるので、私も車は買ってもらえませんでした(笑)自分で頑張って貯めたお金で購入したことは、私の1番の自慢になっています(笑)


結婚後は慣れない農家でほぼ休みなく働き、私を生む直前まで、畑に出て働いていました。

父が亡くなり給食のおばさんになった後も、ほぼ休むことなく、一生懸命働き、私たち姉弟を育ててくれた母。

今は保育園の事務員としてパート勤務しているので、人生のほとんどを働いて過ごしています。

私は今37歳。
32歳という若さで大きな苦労をして。自分だったらと思うと耐えられないと思います。

周りの人たちも、母も、「あんたたちがいたからだよ」と言ってくれますが、母の努力をもっと褒めてあげてほしい。

そうそうできることじゃないです。

シングルとなった母と私は、友達のような関係性になり、私の結婚前はよく旅行へ行ったりカラオケ行ったりしてました。

母も私が1番気兼ねなく誘えて楽だと言ってます(笑)

母は現在63歳。今年64になる歳です。

大病になったことはありませんが、無理していないか心配ではあります。
※まぁ本人は1人が好きなようなので、そこら辺は心配してませんが

32歳からずっと独身。
結婚はもう懲り懲りだそうで。

今は同じ独身の弟(現在35歳)と喧嘩しながら暮らしてます(笑)


そして、私にとって大切な祖父母たち

母方の祖父母も、父方の祖父母も、みんな私にとっては最愛の家族です。

父が亡くなった時、葬儀の段取りをしたのは、同居していた父方の祖母でした。
自分の息子が亡くなるという、自分も立ってはいられないほどのショックだったのは言うまでもありません。

でも、誰かが取り仕切らなくてはいけない。

嫁は放心状態、夫はショックで動けない、曾祖母には年齢的にも任せられない。なら、自分が動くしかないと思ったんでしょうね。

祖母は全く泣かなかったそうです。
泣いてる暇などないと。

父が亡くなって結構経った後に当時のことを聞いたことがあります。

自分は戦争を経験している。当時は7人姉弟の1番上で、両親も早くに他界。
そんな状況では自分がしっかりしないと、下の子たちが食べていけない。

父が亡くなった時の心情は結局聞くことはできませんでしたが、しっかりすることが身に染みていた祖母は、弱音を吐くということができなかったんだと思います。


そんな祖母は、腎臓がんで亡くなりましたが、病院に連れて行ったのは私でした。
いつもは強気な祖母が連れて行ってくれと言ったからです。

病院の先生から

あんたのおばあちゃんは強すぎる。相当な痛みに耐えていたはずだよ。

と言われ、即入院。

辛い病院生活でも一切弱さを見せず、亡くなる直前には美容院にまで行き、髪を整えて、友人たちに最後の挨拶をし(今思い出しただけで泣けてきます・・)、嫁、私たち姉弟、友人全員に「ありがとう」の言葉を残して亡くなりました。

立派すぎた・・・本当に立派な祖母でした。

祖父は祖母より前にアルツハイマー型認知症によって亡くなっています。
父が亡くなってから悪化し、何もない場所をさしては「狼が追ってくる」「蛇がおる」など言っていました。祖母はそのたびに目くじら立てて怒っていましたが。

祖父も本当にできた人だったので、そんなものが見えたときは、弟が勇者のごとく退治しに行ってました(笑)
「何が襲ってきても俺が守るで、安心しなじいちゃん」と。

母方の祖父は明るく豪快で、いつでもどこでも歌っているような人でした。

胃がんで亡くなりましたが、本人は喋れなくなってはいたものの、眠るように亡くなったので、穏やかな最期だったと思います。

いつも私たち姉弟をからかって遊んでいるような人で、亡くなった後は、ほんと文字のごとく、家から火が消えたようになってしまいました。

母方の祖母は健在で、今も元気な顔を見せてくれます。

いつ会っても「あんたは本当に美人だね」「あんたは本当にいい子だね」と褒めてくれる、優しくて温かい人です。

現在90歳。いつまでも元気でいてほしいです。


私、これだけは自信を持って言えます。

父はいません。片親に育てられました。

けれども、本当にいい家族に恵まれたと思っています。
穏やかで優しい祖父、厳しくも明るい祖母。
豪快で活気溢れる祖父、人の良いところを見る祖母。

そして、明るくて楽しくて強メンタルな母。
口は悪くて嫌味ばかり言うけど、いつも味方になってくれる弟。

叔父も叔母も、いとこ達も。みんないい人です。


シングルマザー、シングルファザー、もしくは祖父母でお孫さんを育てている方。

他人の意見なんて知ったこっちゃないです。

愛してくれて、一緒に遊んでくれて、悪いことをしたときには叱ってくれる。そんな人の元で育てば、誰かが欠けてるなんて思いも無くなります。

現に私は、他人に「お父さんいないの?かわいそうに」と言われても、意味がよく分からなかったし、今でも自分をかわいそうと思ったことはありません。

自分が幸せであれば、他人の言葉なんて入ってきません。
だから、自信を持って愛してあげてください。


・・・今の家族に満足してるから子供いないのかも(笑)


ちなみに、最も尊敬している女性は母ですが、最も尊敬している男性は私の夫です(笑)
夫の名前は私の父方の祖父と同じなんだよなぁ。偶然ってすごい。
(言われるまで気付かなかった)


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