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【15分で読める#02】 like a squeaky stone

豚田商事・総務課

「えぇ!サメジマさん、会社辞めちゃうの!?それ、本当にですか!?ねぇねぇ、イイダ、何か言ってやんなさいよぉ」

 急に話を振られて体が硬直した。あまりにも急だったから、硬直する前にビクッとしてしまった。これはもう聞こえなかったふりをする訳にはいかない。仕方なく振り返ると、少し困った顔のサメジマさんと、したり顔のホタルがこっちを見ていた。まったく…ホタルは悪い子じゃないけれど、そういうところがある。
 ホタルとは入社時期は違うが、同じ課の中で唯一の同年代だったこともあり、お互いすぐに仲良くなった。明朗快活、自由闊達。わたしが持ち合わせていないあらゆるものをもっている子で、その上なんといっても可愛い。どうして地味なわたしと一緒につるんでいるのかまったく分からないが、今ではお互いにプライベートな悩みをいくつか相談し合う仲になっていた。

 あぁ…この前に気になっている人の話しで、サメジマさんのことを言うんじゃなかった。ひとしきり後悔しつつも、状況を整理する。サメジマさんが会社を辞めるとか言っていなかったか。正直なところそれは非常に困る。わたしごときに困られても、サメジマさんの方が困るだろうが、どうしたものか。

「えっと…辞めるって、どうしてですか?」

「あの…実は自分、イチゴ農家になろうと思ってるんです」

 ホタルは「ファッ?」なんて大袈裟に驚いている。わたしも内心は驚いているけれど、イチゴ農家がどいうこうというよりもサメジマさんが辞めるのがどうやら事実らしいということに対するショックが大きすぎて言葉が出てこない。

 サメジマさんと初めて会ったのはちょうど1年前だ。サメジマさんがわたしの勤める会社に、営業としてやってきたのだ。第一印象は全然パッとしなかった。それなのに、営業の話はとんとん拍子で進み、サメジマさんの勧める商品をうちでも取り扱うことになった。それ以来、月に1回くらいの頻度でサメジマさんはわたしの会社の、この総務課にやってくるようになった。

 サメジマさんは営業なのに、まったくグイグイもギラギラもしていなかった。それどころか、総務課に現れても誰にも気付いてもらえない日だってあった。本人が言うにはちゃんと挨拶して入ってきたらしいが、誰にも反応してもらえず、ひたすら入り口付近でニコニコしながら立っていたのだ。あの日は、わたしが気がつかなかったら一体いつまでそうしているつもりだったのだろうか。わたしが声をかけると、いつもの笑顔で「イイダさん、ありがとうございます」と言っていた。

 彼はとにかく何につけても感謝を口にする人だった。わたしが何かすると、それがどんな些細なことでも「イイダさん、ありがとうございます」と言った。そんなこと、他の人はどうとも思っていないだろうけど、わたしにとってはいつも笑顔で感謝の言葉を伝えてくれるサメジマさんは、ただの営業の人から一年という月日をかけて少しずつ、気になる人になっていった。

「えっと…辞めるって、いつですか?」

 ぁあ…いつ辞めるとかそんなことはどうでもいいのに。サメジマさんの下の名前だって、歳だって知らない、もちろん連絡先なんて知るはずがない。今、わたしの目の前で、今日も静かに現れた気になる人が、静かにいなくなろうとしている。それも今度の別れは一生の別れになるかもしれない。それなのに何もできない自分に少し苛立った。

「来月末で今の仕事はさようならです」

 なんと…。ということは、あと会えるのは1回ではないか。


ホタルの家・リビング

 その日の仕事を終えたところで、ホタルが家に来いと誘ってきた。いや、ほぼ命令だったかもしれない。今日の「サメジマさん、仕事辞めるってよ」の件で気分は最悪、全然乗り気じゃなかったが、ホタルの剣幕に押されて気付けば家に上がっていた。とりあえずシャワーを浴びたホタルが、ビールを片手に何やら言っている。

「あんたさー、せっかくわたしが話すチャンスをつくったのにぃ」

 すっぴんでボサボサ髪のホタルが恨めしそうに言っている。こんななりなのに、ホタルにはやっぱりどこか愛くるしさみたいなものがある。うちの会社でも人気なわけだ。どこを見るでもなくぼーっとビールを啜っていたわたしに向かってさっきからギャンギャン騒ぎ立てている。

「イイダはね、主張しなさ過ぎなのよ!まぁそこがあなたの良いところでもあるんだけどさ、でも行くときは行かなきゃ!黙ってても誰もこっちを見てくれないし、何も得られないんだから!」

 はいはい。耳をちくわにして聞き流そうとするが、ホタルの言うことは的を射ている。それも的のど真ん中だ。わたしだってそんなことずっと前から分かってるのだ。分かっているが、なかなか急に変えられるものじゃない。昔から自分に自信がなかった。いや、自分は自信と無縁の人間だとさえ思っていた。自信のある人はいつも眩しかった。いま隣にいるホタルもそうだ。彼女は持ち前の明るさと行動力で何もかも上手くやってのけていたし、そんな彼女を尊敬していた。いや、いつか自分もそうなってみたいと憧れをもっているくらいだ。

「ねぇ、イイダ。あなたね、自信とは辛く長い努力の上に培われるものだって、そう思ってるでしょ?」

「え?なに急に?違うの?」突然のホタルの神妙な問いかけにたじろぎつつも、なんとか答えた。

「はぁー…ぜんっぜん違う。自信はね、言ったもん勝ちよ!わかる?たとえばね、イイダは三角関数の問題って解ける?」

「え?あの…サインコサインとかそういうの?うーん。あんまし自信ないかも」

「じゃぁ足し算は?」

「まぁ…足し算ならさすがに解けるよ」

「オーケー。じゃぁイイダ行くよ。1,354,827足す4,958,279は?」

「はぁ?そんなの分かるわけ無いじゃない」

「なんでよ?自信あるんじゃないの?ねぇイイダ、あなた足し算なら解けるかもって言った時、こんな難しい問題は出てこないだろうって勝手に思ってたでしょ。いい?自信ってね、そういうことなのよ。自分ができなさそうな事を思ったり考えたりしてたら、たとえ足し算の達人だって自信なんて持てないのよ。要はね、できない事を思いつく前に言っちゃえばいいの。わたし自信あります!って」

 世の中に足し算の達人がいるのかどうかは置いておくとして、ホタルの言うことには妙な説得力がある気がする。これも彼女の言う自信の力なのだろうか。
 とは言え、20年以上にわたりわたしの中に培われた考え方は、はいそうですかと言って急に変われるのだろうか。ビールをすする。あぁ…サメジマさんと会えなくなっちゃうのかぁというぼんやりとした喪失感に少し浸っては出る、浸っては出るを繰り返していた。耳の先の方では、まだホタルが熱心に何か言ってくれている。

「the squeaky wheel gets the grease.だよ!イイダはね、あなたが思っているより人気あるし綺麗なんだから、絶対大丈夫!」

 え?クイーキーウィール?なんだそれは?ショックを紛らわすために今夜は少し飲みすぎたかもしれない。頭もフラフラしてきたし、もう遅い時間のはずだ。そろそろ帰ろう。
 あと1回はサメジマさんとは会えるのだし、その時までになにか良い方法が思い浮かぶ。かもしれない。


デカライン高架下・商店街

 お酒はほとんど飲めないと分かっているのに、昨日はついつい飲んでしまった。今日は仕事が休みでよかった。午前中は頭がグラグラして、ベッドの上で生ゴミと化し、午後になってようやく少しは動けるようになった。とりあえず外の風にあたりたくて、適当な服を着て出てきてしまったものの、どこかに行くあてがあるわけではない。なんとなく高架下をぶらぶらしていた。
 やはり気付けばサメジマさんのことを考えている。そもそも、なぜイチゴ農家なのだろうか。イチゴ農家はなろうと思ってすぐになれるものなのだろうか。それとも、どこかの農家さんに弟子入りするとかそういうことなのだろうか。そんなこと考えても仕方ないのに、思考はグルグルと同じところを周回している。

 わたしは子どもの頃から引っ込み思案だった。目立つことが苦手で、いつも周りに合わせることで自分をカモフラージュさせていた。協調性があるとか柔軟性があるといえば聞こえはいいが、自分の中ではなにかそれとは違う感じがしていた。わたしがシロだと思っていても、周囲がクロだと言えば別にクロでよかったし、わたしが丸に見えても、周囲が三角だというのなら三角でよかった。
 今の会社も、どうしてもここが良くて入ったわけではない。ある程度名前が知れていて、ちょうど家の近くにある会社だったし、試しにダメ元で受けたら受かってしまった。単純にラッキーだった。

 会社に入ってからも、良くも悪くも目立たなかった。与えられた仕事は決して遅らせない。でも早くやれもしない。前年踏襲を基本スタイルとして、自分の味を出そうなどとは微塵も思わなかった。もちろん自分の味を出すスキルもなかった。仕事については、何をしたいかよりも何をしないようにするかばかりに気を取られていた気がする。
 二日酔いの冷めた頭で冷静に考えてみると、自分のなかのモヤモヤが徐々にハッキリと見えてきた。要はわたしには信念が無いのだ。固く信じて疑わない何か。今思えば、サメジマさんにはそれがあったからこそ惹かれたのかも知れない。彼はわたしと同じで決して目立つタイプでは無かったが、そう…何か信念があって一本筋が通ったそんな印象を受けていた。いつも言ってくれる感謝の言葉も、その信念によるものなのかもしれない。きっとイチゴ農家もそういうことなのだろう。

 それにしても最近また一段と寒くなってきた。時折り足元を通り過ぎる鋭い空気は、体から容赦なく体温を奪っていく。そろそろ家に帰ろうと、踵を返したところで小さな看板がふと目に止まった。

「喫茶ひまわり」

やけに古めかしい喫茶店だ。まぁそんなに急いでないし、あたたかいコーヒーでも一杯飲んでから帰ろう。そうしよう。


喫茶ひまわり

 店内は外観にも増して古めかしかった。古めかしい上にやたらとごちゃごちゃしている。ただ、ごちゃごちゃしているが決してホコリっぽくはなく、どれもこれも丁寧に手入れされているのに好感が持てた。
 店内にはわたし以外に客はおらず、カウンターもあったがなんとなく窓際の2人用の席に腰掛けた。白いエプロンを腰に巻いたマスターが水とおしぼりを静かにわたしの前に置いてくれる。ホットコーヒーを注文した。

 席の上に吊り下げられたアンティーク調のライトが、鈍くオレンジ色の光を机に落としている。ふと窓の方を見ると、そこには観葉植物とよくできた自転車の置物、どこかの街並みが描かれたかわいらしいソーサーと、それと妙な石が飾ってあった。
 どうしてか、わたしの目は石に吸い寄せられた。それは両手ほどの大きさで、角は取れて丸みを帯びている。全体的に灰黒色のマットな質感はいかにも重量がありそうだ。マスターが声をかけてきて、ハッと我に返った。

「その石、気になるかい?それね、この世界の石じゃぁ無いんだよ、かと言って隕石でもない」

どういうことだろうか…ちょっと意味がよくわからない。わたしが困った顔をしていると、マスターは笑いながら続けた。

「ははは。ごめんごめん。別にお嬢さんをおちょくっているわけじゃぁないんだ。でもね、その石はぼくにとってとても特別で大切なものなんだ」

「どこか思い入れのある場所で手に入れたんですか?」

「いやね、どこで手に入れたかはよく覚えていないんだよ。ある日ね、夢を見たんだ。夢と言うにはやけにハッキリと覚えている夢だったんだけど。真っ白い草原があって、そこには一人の女性がいたんだ。彼女も真っ白でね、どうやら身籠っているようだった。ぼくが、赤ちゃんはいつ頃産まれるんですか、楽しみですねって言ったら、その女性はなぜか寂しそうな顔をしていてね。ぼくにその石を手渡してくれた。ふと目が覚めたら、その石がぼくの手の中にあったんだ。とてもあったかくてホカホカしていてね、まるで石が生きているみたいな、そんな風に思ってしまうくらいだったよ。ぼくには、女性からその石を守ってほしいって言われている気がして、それで大切にしているんだ」

 なんだか不思議な話だったが、マスターがウソをついているようには見えなかった。なによりも、自分が妙にこの石に惹かれる理由が、たしかにそのような神秘性にあるような気がする。今一度眺めてみると、石なのに生命感みたいなものを感じる。

「あの…そんなに不思議な石なら、鑑定とかしてもらったら何かわかるんじゃないですか?」

なんとなく言ってみたが、マスターはニッコリ笑ってこう答えた。

「もちろん鑑定してもらおうかなって考えたこともあるんだよ。でもねお嬢さん、ぼくにとってこの石は鑑定されようがされまいが一緒なんだよ。もしこの石がただの石ですって言われたとしても、逆にすごく価値があるものですって言われたとしてもね、きっと何も変わらない。ぼくの特別で大切なものだってことは、そういうことじゃないんだ。ここにあるすべてのものがそうさ。価値があるかとか何でできているかとか、ぼくが大切にしたいものはそういうものじゃない。そう思ったらさ、なんだかいろいろどうでも良くなってね、それそのものを愛そう、大切にしようって思えちゃったんだよね。ははは…ちょっとキザだったかなぁ」

 石がじっとこっちを見ている。わたしも目を外せなかった。お前はどうなんだ。自分で決めろ。今だ。石から声が聞こえた気がした。わたしの中の何かが試されている。きっとここを逃したら、もう次は無い気がした。そう思ったら、口走っていた。

「あの……わたし、決めました!わたし、やります!今はまだ何をどうすればいいかわからないけど、絶対にやります!」

 ここまで一気に言って、目をつぶった。心臓がドキドキしている。血液の流れがわかる。身体中がお祭り騒ぎみたいになっているけれど、頭だけは落ち着いていた。ゆっくり目を開けて、マスターを見るとなぜか笑っている。急に変なことを言ったことは自覚している。笑われたって仕方ないだろう。ひょっとしたらわたしは泣きそうな顔をしていたのかもしれない。マスターは申し訳なさそうに言った。

「ごめんごめん。いやね、この前も同じ席でお嬢さんとまったく同じようなことを言った若者がいてさ、あまりにも似たようなことを言うからなんか妙に面白くなっちゃって。そういえば、彼はイチゴ農家になるとか言ってたっけなぁ…」

なんと………そうだったのか。

 窓から急に眩しいくらいの光が差し込む。ここに入る時は気がつかなかったが、きっと外には気持ちのいい青空が広がっているのだろう。マスターから差し出されたホットコーヒーは柔らかな湯気をあげ、その液面にはわたしがハッキリと映っている。液面のわたしがわたしを見ている。うん、大丈夫だ。今はまだ、わたしに何ができるのかなんて全然わからない。結局どうしたいのかもあまりよくわかっていない。でも今なら、分からないからこそ言える。

「マスター、わたしやれます!わたし、自信あります!」

そう、自信なんて言ったもん勝ちだ。


ーーおしまいーー

あとがき

 この作品はうちの近くの(と言っても自転車で15分はかかるけど)喫茶店で書きました。そこには本当に変な石があって、なんか書けそうな気がする!と思ったらこんなのができました。コーヒー、苦かったなぁー。ここまで読んでくれてどうもありがとう。また気が向いたら何か書きます。

ちなみにサメジマさんはコチラ。

【15分シリーズ】一作目はコチラ。
お時間ある時にボチボチ読んで欲しい。


100円→今日のコーヒーを買う。 500円→1時間仕事を休んで何か書く。 1,000円→もの書きへの転職をマジで考える。