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ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話⑥


相談に行ったその日は丁度ゴールデンウィーク前で、翌日から市役所などの行政関連施設は連休に入るということを失念していた私は、自治体が管轄しているシェルターの調整がつく連休明けまで、ホテルに身を潜めることになりました。

そして、正式にシェルターが決まってもいずれはちゃんとした家を決めなければならないことと、今の私の諸々の状況をふまえて考えてみると、公営住宅への入居は最後の手段にし、先に不動産屋で相談してみるのも一つの手ではあるという話になりました。

これから私は不動産屋に行き、借りれる家がないか相談する。数日間はホテルで過ごし、親族との接触を断つ。その間、相談担当の方から私に何度か電話連絡をし、安否確認をしてもらう。行き先や状況になにか変化があれば、無理のない範囲で私から連絡をする。そのようなことを約束し、別れました。

今やれることをやれる範囲でやろう。そう思いながら勇足で雨降りの中を歩き、ようやくたどり着いた不動産屋は、すでに営業時間を終えていました。


なんだか私が何かする日はいつも雨が降っているなと思いながら、もう涙も出ずに抜け殻のようになった体を引きずって家に戻りました。
誰にも顔を合わせないよう部屋に戻り、前日食べたビスケットの残りを貪りながら、暗闇の中でメッセージアプリを開きました。

立場なんてもともと悪いんだ。知ったことか。
もういっそ開き直ってしまおう。

そう決めて、友人達にメッセージを送りました。




\(^o^)/


『ヤベェよ、そいつら』と、よく言う人がいました。


親族に囲まれながらなんだかよくわからないことになってしまい、いつも目を充血させていた私を、継母達に扱き使われるシンデレラや階段下で生活していた魔法使いではなく『屋敷しもべ』と名付けた彼女は、私の昔のことをよく知る、数少ない友人でした。


私が東京から地元に戻った後、彼女と会う時の話題の大半は、私の親族のことでした。

″最近のヤベェエピソード″を話し、『やっぱりヤベェよ』と返してもらうのが通例のことのようになりつつあった私は、彼女にただ話を聞いてもらえることが、何よりも救いでした。



彼女とは高校卒業後、初めて勤めた職場で出会いました。

東京の観光会社への就職を辞退する羽目になった私は、母の愛人の紹介で入った会社で事務補助の仕事をしていました。

本当は今頃東京で暮らしていたのになと半ば不貞腐れながら過ごしていたある日、自分と同じくらいの年齢の子が隣の部署にいることに気づきました。それが彼女でした。

偶然を装って給湯室で会い、初めて話したその時、彼女はやはり自分と同じ年齢で、私が通っていた高校からさほど離れていない高校に通っていたことを知りました。職場の年齢層的に同年代の子と話す機会もなく、純粋に仲良くなりたいと思った私は『友達になって!!』という文章と共に、自分のメールアドレスを書いた紙を彼女に渡しました。

のちに、あの日のことを『めっちゃビビった。怖い陽キャかと思った』と彼女は笑って言いました。
『でも返ってきたメールに″\(^o^)/″って付いてたから仲間だと思った』と聞いたあの時ほど、あの顔文字に感謝したことはありませんでした。


彼女は私が育った環境とは真逆の、普通の家庭で育った人でした。
両親もいてみんなそれぞれ働いていて、彼女自身もごく当たり前の暮らしをしているように私には見えました。

でも、話をしていくうちに、彼女には彼女にしかわからない苦しみがあるようにも思えました。もしも本当に、それまで私が思っていたような”幸せな人”ならば、進学校に通っていたほどのいろいろな力がある同じ年齢の子が、こんな場所で私なんぞとお茶汲みをしているわけがないのだと、なんとなくそう思いました。

幸せは人それぞれと言う言葉があるように、苦しみもまた人それぞれなのかもしれない。常に笑って、何もかも満ち足りているように見えても、その人にはその人の闇があるもので、目に見えてわかる程度の普通って本当はそんなに単純明快なもので出来ているわけじゃないのかもしれない。

彼女と過ごすうちにそう思うようになっていった私は、自分の苦しみを誰かと比べることは徐々に無くなっていきました。




役所に相談をしに行ったその日の夜、私は一番最初に彼女に連絡をしました。
それまでの経緯と、これからどうするか、どこに行くか。いろいろと伝えたあと、『今だけは私の味方でいてほしい』と送りました。

私の友人やきょうだいをはじめとした、私のことだけをよく知る人は、たとえ私が人を殺めたりしても『きっと何か理由があったんだろう』と、最後の最後まで疑い、味方でいてくれると思います。そう思ってしまうほど大事な人達だからこそ、すべてを知ってほしい。できれば、そのあとも変わらずに味方でいてほしい。ただ、私がそうやって伝えることは彼女達を巻き込むことになるけれど、それでも彼女達は私に手を差し伸べてくれるだろう。私はどこまでも偽善的で、きれいなように見せてきただけのただ生き汚い人間なのだと知った時、離れていく人も中にはいるかもしれない。そんな奴だったなんてガッカリだと失望され、変なことに巻き込まないでと突き放されるかもしれない。
それでも、嘘を伝えて無理に味方になってもらうよりずっといい。それで縁が切れたとしても、まあそうだよなと受け止めるだけ。寂しいけど、むしろその方が当たり前なのだ。そんなことを考えながら、返信を待ちました。




『わかったで工藤!!!』という、彼女らしいパワフルなメッセージを見た時、なんて心強い服部なのだと思いながら、自分は独りではないのだと感じました。

彼女をはじめとした友人達はみんな、私のすべてを知った上で、助けることを選んでくれたのでした。




船出


初めてその歌の意味を知った時、すげえ歌詞だな、と思いました。

ボートは船。オーシャンは海。
英語に関してそれくらいの知識しかなかった私は、なんとなく歌の意味を知りたくなって調べたことがありました。


″海に浮かぶ小さな船が大きな波を起こす″
″たった一つの言葉で心を開くように 私には一本のマッチしかないけど爆発を起こせる″


持てるだけの物を引っ掴んでリュックに詰め込んでいる間、かつて聴いたその歌の意味を思い出していました。



まだ暗い明け方の4時前、なるべく音を立てないように静かに家を出ました。
底が抜けるんじゃないかと思うほど重いリュックやらバッグやらを担ぎながら、坂を登り、くだって、徐々に明るくなっていく空の方へ歩きました。

歩いている途中、あの歌が聴きたくなりました。
『Fight Song』という、いかにもパワフルな名前のその歌。


真っ暗でなにも見えないなら、いっそ迷うことはない。
退路も進路もないなら自ら切り拓くまでだと自分に言い聞かせ、雨が上がった道をひたすら歩きました。




(もうちょい続きます)



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