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ヤベェやつらから逃げ出したヤベェやつの話④



父方の親戚の家に引っ越して間もない頃、ちょうど今くらいの季節でした。

私は少し前にネットで知り合って仲良くなったある人と、初めて会う約束をしていました。


その日は朝から小雨が降っていて、ちょっとだけ肌寒い日でした。迷いながらなんとか辿り着いた秋葉原駅の改札を抜けた先、小さな花屋があるのに気づきました。
そこは無機質な壁に囲まれた建物の中で一際目立っていて、世界に存在する色がすべてここに集まってるんじゃないかと思ってしまうほど、華やかで異質な空間でした。

赤、白、水色、黄色。色とりどりの花の中から、一番元気そうなオレンジ色のデイジーとふわふわした霞草が束ねられた小さなブーケを選んで、少しだけ緊張しながら待ち合わせ場所へと向かいました。

程なくして、彼女は現れました。

私を見つけると、ぱあっと笑って、手をぶんぶん振りながらこちらへ走って来ました。


私はその時、彼女のことを″小さな太陽みたい″と思いました。


今振り返ってみると、初めて会う人から花を渡されてちょっとびっくりしただろうとか、雨降りの中を歩かなきゃいけないというのにさぞ気を遣ったことだろう、とかいろいろと考えてしまうのですが、彼女はニコニコと笑いながら『オレンジ色が一番好きなの!』と言って、喜んで受け取ってくれました。


彼女は私より少し年上で、上品で、ケラケラとよく笑う人で、お酒と餃子が大好きで、いつも自由であっけらかんとしている女性でした。
好きなことには全力でぶつかり、嫌いなことは素直に嫌いと言うサッパリとした性格の彼女は、否定されることを恐れて自分の感情を隠して生きてきた私にとって、眩く、良い意味で刺激をもらう存在でした。



両親が離婚するずっと前、本を読んだり写真を眺めることが好きだった私は、″夢の世界″に憧れを抱くようになっていました。

沢山のパールが縫い付けられた繊細な仕立てのドレスや、大ぶりの宝石が埋め込まれたティアラの写真。
柱に金細工が施されたお城や、舞台の上で力強く踊る美しいバレリーナの絵画。
田舎の港町での日常を描いた漫画や、都会で生きる人たちを書いた物語。

どれも自分には一生手が届かないような遠くかけ離れた存在だとしても、いつか本物をこの目で見てその場の空気を肌で感じることができたなら幸せだろう。そしてその”夢の世界”を生み出す側になれたら、もっともっと楽しいだろうと、いつも夢みていました。それは両親が離婚した後も変わらず常に心の中に在り続けてくれ、どんな時でも自分を支えてくれるひとつの灯火のようになっていました。

ただ、貧乏でお金もない異質な自分が、好きなものや憧れがあるということを現実の誰かには言ってはいけないような気がして、成長してある程度自由に振る舞えるようになっても、素の自分でいるのはネットの中でだけにしようと思い、過ごしていました。


そんな私を、彼女はいろいろな″夢の世界″へ連れて行ってくれ、生きる上で忘れてはならない大切なことをたくさん教えてくれました。

いつか本物の舞台を見に行ってみたいと言った私にチケットをプレゼントしてくれ、マナーも何もわからないけどオシャレなお店に行ってみたいと言った私を行きつけのバーへ連れて行ってくれました。私が落ち込んでいた時、『ちょっと付き合ってほしい店がある!』と言って連れ出してくれ、カレーを食べたりお酒を飲みながら何時間も話を聞いてくれました。


劇場、デパート、遊園地。

喫茶店、行きつけの居酒屋、最近見つけた美味しいラーメン屋さん。

いろいろな場所へ行き、自分にとっての″居場所″を、あちこちに沢山つくりました。彼女と出会い、東京という街で大切な人が増えていくにつれ、この世界は自分が本や写真で見ていたものよりももっとさまざまな色をしていること。私もそのへんの人と変わらない、楽しさを生み出せる人間なのだと気づかせてくれました。


好きなものは好きと言っていいし、そこには誰の許可も要らない。
好きなものが増えていくことは素晴らしいことで、それは紛れもない″才能″なのだと。


電車の乗り換えや地図を見るのが苦手な私のために、自分はいつも遠回りして来てくれていたこと。
オレンジ色も好きだけど、一番好きなのは濃いピンク色なこと。
私が地元に戻ると伝え全てを知った時、誰よりも怒り、悲しみ、遠く離れてもずっと手を握っていてくれたこと。

優しさの形は沢山あるということを教えてくれた、大切な友人の一人でした。








ぼんやりとした意識の中で、まるで長い夢をみていたようだと、楽しかった日々ばかりを思い出していました。

このまま泥のように眠ってしまえばいい。もう怖くて悲しい思いをすることもないのだからと、真っ暗な部屋で目を閉じました。


今思えばなんて馬鹿なことをしたんだと、しっかりしろと、あの時の自分を引っ叩いて揺さぶってどうにかしてやりたい気持ちでもうどうしようもありません。
そして友人や誰にも、このことは今日まで言わずにいました。


私はあの”躾け”のあと、一度生きることをやめようとしました。

自分の部屋に戻ったあと持ちうる全ての薬を一気に飲み、苦しくなって途中で助けを求めたくなっても開けられないようドアを固定したあと、端末の電源を落としました。

結果から言うと、大失敗でした。目が覚めた後、視界が変で意識がはっきりとせず、指も上手く動かせなかったのですが、ただそれだけでした。眠いのかなんとなく息苦しいのかよく分からなくて、それよりもいつの間にか垂れ流していたらしい涎で濡れた顔がとにかく気持ち悪くて、なんとか動けるようになってから、スライムみたいになった体で布団から這い出ました。

幸か不幸か、一瞬で何もかもを終わらせるのにはいろいろと足りていませんでした。それが飲んだ薬の数や覚悟の度合いだったのか、自分の体の強さによるものなのか運だったのかはわかりません。
何者にもなれずどこまでも中途半端な自分に呆れて、ガムテープでベタベタになったドアをみて笑いしか出ませんでした。




夢の終わり

人生の終了式を大失敗した日から、私は部屋に篭っていました。
親族には体調が悪いとだけ伝え、食事をとることも風呂に入ることもせず、電気すらつけずにただただじっと、息を潜めていました。

親族と顔を合わせるのが嫌だったということもあるのですが、姉から送られてきていたメッセージを見て、今の彼らと同じ空間にいることは危険だと感じていました。

『今まで散々世話になっておいて、癇癪を起こすなんて言語道断』
『どれだけ時間と金を使ったと思っている』
『本当は自分達もずっと参っていて、自分達の方こそ被害者だ』
『本人が心を入れ替えて自分が悪かったと認め、直接謝って来ないなら家を出て行かせる』

そう本人に伝えるようにと、彼らから連絡がきたのだと姉から教えてもらいました。
そして、『もし出ていくというのなら、立て替えてあげたお金を一括で返してもらう。それができないのなら、きょうだいに払ってもらう』と。

私が地元に戻ってくるまでに払いきれなかったものを、親族の一人が立て替えてくれたことがありました。

『ちまちま払っても延滞金がかかっていくだけだから、一度こちらで全額立て替える。毎月家に入れる生活費とは別に、立て替えた分のお金をこちらに返済していくのはどうか』

その提案を聞いた時、なんて優しい人なのだろうと思いました。自分の子供でもないのにどうしてそこまでしてくれるのかと聞くと、『家族だからね』と言って微笑んでくれました。そして本当に一括で立て替えてくれたその人に、生活費とは別にその分のお金を毎月返済していました。

ただそのやり方は、生活が破綻しかけているとわかっている相手に新たに借金をさせることと変わらず、相手のことを本当に考えている人間ならばまずしないことなのだと、その時の私は気づきませんでした。そもそも一括で返済を迫るのは支払いが滞ってからの話で、毎月遅れることなく返済している人間に言うのはおかしい。血の繋がりがある関係ならば尚更のこと、まずこんなもの書かせる時点で利用されていると気付かなければならないと、双方のサインが書かれた手作りの借用書の写真を見ながら、のちにお世話になった方々は言いました。

あの時の判断は間違いだったと痛感しました。
この先何かトラブルが起きた時、真っ先に引き合いに出される材料にしかならないと考えていなかったわけではありませんでした。
ただ、何らかの形で家を出ることになっても、必ず返済していくつもりでいたのです。であればこそ、口約束で終わらない、リスクの塊でしかない借用書になんて実際にサインをすることなどありませんでした。


絶対に逃してはくれないのだと思いました。どんな形でも縛り付けるつもりなのだと感じて、同じ家の中で息をすることも怖くて堪りませんでした。


どうしよう。どうすればよかった。これからどうしたらいい。そんなことばかり考えていました。

家を出るなら全額払うしかない。でもそんなお金は無い。
また土下座をして『この家に居させてください』と泣いて謝りさえすれば、誰かがお金を代わりに払う必要もなくなる。
今、部屋を出て彼らに謝罪すれば、すべてが元通りになる。
自分がまた我慢すればいい。それだけの話。



でも、あの人たちは壊した。

私が一番大切に思っている人たちを人質にとるような真似をして、そうすることで私が出てくることをわかって、部屋の外で待っている。


もう何もかも充分だと、そう思いました。





おまもり


暗い部屋の中で、できるだけ静かに音を立てないよう、箱を開けました。
ちょうど1週間ほど前に”餃子とお酒が好きな小さな太陽”から届いた箱の中から目当ての物を引っ掴んで、また静かに布団の中に戻りました。

彼女をはじめとした、東京に行ってできた友人達とよく行ったパーラーで売られているビスケット。もう滅多に食べれなくなってしまったそれが入っているのを見た時、これはとっておきの日に食べようと決めていた私は、今日こそそのとっておきの日だと思いました。

思ってたよりも随分早くきてしまったなと思いながら蓋をあけると、懐かしいにおいと共に思い出が一気に蘇ってくるのがわかりました。

やはり人間という生き物は、暗い場所でお腹が減っているといけないものだなと思いました。食べれば食べるほど力がわいてきて、血液がわぁわぁと歓喜しながら巡っているように感じました。
指が、頭が、思考が、栄養と共にどんどんと明るい方へ向かっていくようでした。

『もう一度、みんなでパーラーに行けますように』
包装紙に付いていたシールを剥がして、端末のカバーの裏に貼り、それを”おまもり”にしました。





計画


家を出るための家が欲しい、と思いました。

ただ、お金も信用もない今の自分がふつうの不動産屋に行っても相手にされない可能性の方が大きいため、県などの自治体が扱っている公営住宅であれば入れるのではないかと思った私は、こっそり抜け出して細かい条件を聞きに役所に向かいました。

住宅関連の業務を扱っている課で聞かれるがままに今の自分の状況を話していると、担当の方の反応が徐々に変わっていくのを感じました。
一連の説明が終わった後、少々お待ちいただけますかとその場に呼び止められ、やっぱり条件に合いませんお帰りくださいとか言われるんやろかと内心焦りながら待っていると、先程まで担当してくれていた方とは違う男性が出てきました。

『いつでもいいので、ここに行ってみて。色々話してみてください』

私にしか聞こえないほどの小さな声でそう言いながら、こっそりと小さいメモを差し出して来ました。


そこには走り書きで、″DV相談係″と書いてありました。





(まだまだ続きそうです、すみません)

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